★人生交差点…ある女傑の回想②

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※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

今朝の新聞を見ていると『特養待機52万人』と言う見出しが載っていました。

特養とは特別養護老人ホームを略した呼び名ですが、老人医療のエキスパートでもあったこの理事長から当時よく聞かされたワードでもありました。

この某病院の理事長だった女性は、前章にも書きましたが、クリスチャンディオールなどの派手なサングラスに、特注で誂えたスバンコールやラメの入った演歌歌手のステージ衣装の如き服装に身を包み、どこにでも現れた方でもありました。

また経済力から言えば、エルメスのバッグを持ち歩いてもおかしくない方でもありましたが、これが意外で、口紅からファンデーション、サングラスや財布、宝石やアクセサリー、自分の著書から、病院関係の書類までが乱雑にテンコ盛りで入れられたコンビニに売っているかの様な大きな紙袋を持って現れるのが常で、一緒に仕事で歩いた頃などは、体調が悪く、強い投薬のせいか、立っている事もままならぬ様なこの方の持つ大きな紙袋を私が付き人の様に持って差し上げる事も多かったもので、我ながら奇妙なカバン持ちだと思ったものです(笑)

またこの理事長は、ホールズと言う飴が好きで、この紙袋にいつもいくつもの飴をしまい込んでいたものでしたが、誰と会う時でも、それこそ相手がヤクザであろうと、バッヂを付けた議員であろうと、誰に憚る事もなく、口の中でカラカラ飴を舐める音を響かせていたものでした(笑)

でも、そんな合間にも、私によく老人医療や製薬業界のウラ話しをしてくれる時があり、特養に入所したお年寄り1名を1ベッドとして換算し、そこに国より給付される補助金のシステムやカラクリなどを私に教えてくれたものです。

その後助成金のシステムなども改正された様で、今はどうなのか知りませんが、この当時、特養に入所するお年寄り一名に対して30万円程の補助金が発生し、単純計算で、40名の入所者がいたなら、月額にして1200万円の補助金の収入が施設にもたらされ、その他にも賃料や食費など、有利老人ホームに比べれば安価であるのの、別途で収入が発生し、こうした利益が入所されているお年寄りにかかる純然たる経費として、必ずしも消化されている訳ではない様で、社会福祉法人、通称、社福と言うものが、フィルターの役割さえ果たし、入所者への補助金さえも、利益として取り込む為の温床となっている事などもこの理事長は私に教えてくれたものでした。

ある時、移動中の車の中で、『渡部さん、薬局で売っている水虫の薬で水虫が治ると思いますか?』と理事長が私に聞いてきたもので…

『えっ、水虫?確かに薬局で売っている薬なんだから効きそうなもんですが、水虫持ちの人間はなかなか完治しないと言いますよね?』と私が答えると、

『その通り、本当は水虫を完治してしまう薬など、明日にでも薬剤メーカーは世に出す事が出来るけど、それをしたら薬のデリバリが止まってしまうから、効き過ぎる薬は不要なのです。かと言って治らない薬じゃ商売にならないから、ほどほどに治って、ほどほどに再発してと言うサイクルが、製薬メーカーにも、病院にも必要なんですけどね。』とあっけらかんと言い放つ、理事長だったのです。

この方はご自身の若い頃の話しなどもしてくれたもので、それは地方の医療クリニックに勤務した時から始まり、薬価差益と呼ばれる、薬問屋と卸し業者の間に発生する中間マージンに目をつけ、薬の売買で膨大な利益を手にした事や、よくこの理事長は『私はやらずぶったくりの女でね、ホホホ…』と、自分自身を揶揄するかの様に言っていたもので…

この方の若き日の写真を見せて頂いた時がありましたが、女優顔負けの美貌とスタイルの持ち主であり、医療業界に斬り込んできた若き新進気鋭の美女とは言っても…

医療業界も政治の世界同様、派閥やその世界ならではの利権や因習もあり、腹黒い狸も跳梁跋扈する世界の様で、そんな人間達からすれば、かわいいお嬢さんにしか見えない若き日の理事長の姿であり、様々な有利な条件を提示しては、暗に身体を求められる場面に出くわす時もあった様です。

しかしながら、親子ほど齢の違う老獪な男を相手にしても、この理事長の方が役者が上だった様で、逆にその美貌を武器に、さもこちらも気のあるそぶりだけ見せておきながら、かと言って情事に及ぶ事もなく、商談や要求を通した後は思いっきり背中を向けるそのやり口に『やらずぶったくり』の語源があった様です。笑

そうした若き日に経験した、情事を迫られた修羅場と言うものを、『ほんわか、ほんわかした雰囲気だけ見せておいて、いざとなったら恐喝かましたりしてね、アハハ…』と事もなげに語る理事長に『それは相手の方もたまったもんじゃありませんね、それじゃあまるで、蛇の生殺しの上に奈落の底に突き落とされた様な話しだ、アハハ!』と私は答え、笑いあったものでしたが、どこかしら病院の理事長などとは思えぬ、そのアウトローな感覚が好きな私でもありました。

私が出会った時はこの理事長は50歳と、本来ならまだご高齢と呼ぶには早過ぎる年齢でもありましたが、私にはこの方が人生の晩節を迎えている様に思えたもので…
私も当時は極道の世界に身を置く人間であり、水心あれば魚心ありで、この理事長を担ぎ上げ、特養(特別養護老人ホーム)や老健(老人健康保険施設)などの施設を開設して貰う事で発生するケースメリットを目論んでいたのが本音のところでもあったのです。

でも、当の理事長は癌を患い、長年に渡る投薬の影響で顔や身体の浮腫、副作用から起居もままならない時もあり、かと思えば日中は寝ていて夜中に起きだすこの方のサイクルからか、深夜の2時過ぎに電話をかけてきた上に、2時間や3時間に及ぶ長電話もざらであり、この理事長がクリアな時の話しと言うのは、伊達に病院グループの総師ではないなと言うものを感じさせるものがありましたが、そうでない時は同じ話しを延々と繰り返す様な時も多かったもので、

特養や病院関連の仕事の話しで先方と待ち合わせの時間を約束している時なども、それこそ待ち合わせが都内の近場でも、約束の2時間前にはこの理事長の住むマンションの下に若い衆に運転させる車をつけ、何十回となく電話を入れ、ようやっと目を覚ましてくれた理事長でしたが、目覚めの開口一番『あれっ、ところで今日は何かありましたん?』とすっかり約束を忘れている事も一度や二度ではなかった思い出があります。笑

ある時、地方での特養(特別養護老人ホーム)の用地買収の話しを進める為、理事長と共に地元の不動産業者を相手に話しを進めていたものですが、相手の態度に煮え切らぬものを感じた私は、相手がトイレに立った隙に『理事長、帰りましょうや…。』と促したものです。

でも、この時理事長は『ええ…でもチョット待って下さい。』と私に答えたかと思うと、その時同席していた業者の人間達に『陽も暮れた事だし、皆さんどこかで食事でもどうですか?』と声をかけたもので、私は内心『答えの出ない人間達と一緒にメシなど食ったところで何の意味があるんだ!』と少々腹立たしい思いでその業者が案内する小料理屋に向かったものでしたが…

ところが、先方の業者も、多少のアルコールの勢いもあってか、饒舌になり始めた頃を見計らい、仕事とは関係のない雑談から徐々に話しの核心に導引して行く理事長の話術には、隣の席にいる私が唸らずにはおかない見事なものがあり、日中はこちらを秤にかけるかの様に、乗り気な様子が見られなかった先方の業者も、『ぜひこの件の土地の買収や同意の取りまとめをウチにさせて下さい、その地区の地主はよく心得ていますので、』とその態度を一変させたのでした。

帰りの車中で『大の大人がね、真昼間から四角四面な顔をつきあわせて、時計の振り子の様な汗を流して話してもね、お互い構えてしまって、いい話しにならない時が多かったりするのだけど、そんな時はダメ元で食事の席で多少相手が胸を開いたところで上手に本題に話しを向ける事で、良い結果に繋がる事も多いものですよ…。』と私に語る理事長でしたが、揚げ足の取りあいの様な、極道の世界の交渉事には若い頃から慣れていた私でもあり、仕事などで相対する業者なども、どこかで、敵味方、メリットになるのか?ならぬのか?と言う視点で見ていた当時の私でもあったのです。

『時計の振り子の様な汗』とユーモアな表現をするこの理事長の話しがおかしくもあり、帰りの車中で自然とはにかんでしまった私でしたが、結果としてこの話しはその後、頓挫してしまうのでしたが、商談などの話しと言うものも、白黒つけるかの様な心持ちで見切ってしまうばかりでなく、時には結果を度外視した無駄と思える飲食の余談の席で花開く時もある事を、この時の理事長の姿に教えられた様な気がした私でもありました。

つづく

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