☆人生交差点…手にした本からの記憶とは?

 

 

※社会通念上不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

過去には極道の世界にいた私ですが、今ではその筋の事が書かれた本や雑誌など手に取る事もなくなり久しいものがあります。

でも、ふと書店で見かけた本の表紙に思わず足が止まった私でした。

本の帯にも書いてある「親の敵も討てんのやったら、ヤクザやめとけ、ボケーッ!」の言葉そのままに、周囲を切り裂くかの様な、今は亡きこの方の播州弁丸出しの大音声を思い出したものです。

私のブログ記事「人生交差点」など、昭和の終わりから発生した当時のヤクザ世界を二分するかの様な大抗争に於いて、ヒットマンとして臨んだ若き日の自身の姿や心情経過を描いたものですが、その頃の私と言うのはこの本の表紙の方が組長を務める組織の「枝の若い衆」だったものです。
(枝とは、自分の舎弟や子分のさらに舎弟や子分など、木の幹から枝葉が分かれる姿を組織構造に見立てた隠語)

敵対する組織のヒットマンに射殺された大組織の組長でこの方の実兄の形見でもあった、どこかの国の大使がプレゼントしたと言う、真珠をすりつぶして塗装したと言う文字通りのパールホワイトのベンツのリムジンに乗るこの方の姿は、抗争に於ける突出した功績と共に若い私には本当に輝いて見えたものです。

フィリピンまで渡航し、マグナム、マシンガンの射撃訓練も行い、「GO」のサインが出れば、パイナップル(手榴弾)を敵対する組織の事務所や自宅に投げ込む事さえも躊躇なかったであろう当時の私でした。

直系の組員でもなかった私がこの方を知った様な事を言うことは出来ませんが、この方が上京された時にはボディガードを兼ねた随行として、この方の岡山や姫路の本部事務所に当番に入る時など、お顔を拝見する事もしばしばあり、まだ駆け出し同様の若者当時の事であり、他の組員と同様、面前で座る事など許されぬ、直立不動で終始この方の話を聞いていたものです。

でも、そんな中でもこの方は自らが食事をしていれば、末端の組員にしか過ぎぬ私達にも「おい若い衆、こっちへ来てメシ食わんかい!」と声をかけてくれ、緊張して卓につくと「ようけ食べんかい」と箸ですき焼きをごそっと、私の取り皿に取ってくれたりもしたもので、緊張するやら嬉しいやらで何を食べているのか分からなかった思い出があります(笑)

また本部当番などと言うと不寝番が基本でしたが、当時は抗争の最中でなおさらなものがあり、それでも夜明前のひとときなどはテレビカメラのモニターを見ながら、眠気との闘いになったりもするもので、そんな時、この方がガラガラッと、戸を明けて入ってくる様な時があり、親分たるもの、若い衆の事など、それも自分の直系の組員でもない人間の事など知らんぷりが普通なものですが、この方は「おいっ、若い衆、寝なんだら身体がまいってまうど、かめへん、横になって休まんかい」と声をかけてくれたものです。でも、だからと言って言葉に甘えて寝る様ではヤクザ失格でもあり、決して寝る事はありませんでしたが、当時は雲の上の人と思われた方からの言葉が嬉しく、眠気も一瞬にして吹っ飛んでしまったものです。

ヤクザの親分も色んなタイプの人間がおり、「清濁併せ呑む」の言葉の如く、剛毅と深謀遠慮の両面を持っている方が多かった様な気がします。もっとざっくり言ってしまえば、アメとムチの使い分けとでも、拳固と握手の使い分けとでもいうべきものですが、綺麗事抜きで人を泣かせてメシを食べて行かなければならぬ世界の事でもあり、腹黒さが評判として定着している人間も珍しくないものですが…

この方は組織人に見られる政治や駆け引きとは無縁なおよそ武骨一辺倒な愚直とさえ思える人柄を感じるばかりだったもので、この本にも書かれている様に、抗争終結から権力争いに伴う政治、暗闘劇に巻き込まれ、大組織から離脱するところへ追い込まれて行った事など、読んでいる内に当時の空気感が甦ってきた様な気がしたものです。

この方が大組織の中で実兄でもあった当代(組長)を殺られた敵討ちを頑強に主張するあまり、煙たがられ、外堀を埋められて行く様は、当時は末端の組員にしか過ぎなかった私の耳にも聞こえてきたもので、この方がさるホテルにて、極道世界の重鎮や錚々たる親分衆と抗争終結に向けての話し合いがもたれた時なども、私は遠巻きにその場にいたものです。

当時、抗争の指揮をとっていた若頭(死去)は私に言ったものです「あいつら、親分をないがろしろにして絵を描きやがる、いいか自分な(私)奥で親分の怒鳴り声が聞こえた時は話が決裂した時だ、その時は構わんから中に入って行って○○を殺れ!とどめに頭にも一発入れろ」と…
 

※絵を描く(えをかく)とはこの場合、謀略、人を陥れる画策の事。
 

でも、この方独特の播州弁の怒声が遂に聞こえる事はなく、平和裏に話は終わったかの様でもありました。でも、この方が話し合いの会場となったホテル内の高級中華料理店から出て来たときの表情、その眼を見た時、微笑を浮かべている様ではあっても、眼は決して笑っていないものを感じたものです。

その後、ほどなくして大組織は新体制を発足させ、極道の筋に固執し主張するこの方は、大組織を離脱するも、大組織の攻撃に晒され、実兄が組長を務めた組織でもあり、報復もままならず、忍従の日々を送った事などもこの本に書いてありましたが、人間らしい葛藤の様子も感じられたものです。

私にヒットを指示した若頭は後に組織を破門され、投獄の後に病死。そして親分の怒鳴り声が聞こえてきた時は殺れと指示を受けたその方は、関西のホテルで射殺され、世間を震撼させる事件として多くの人の記憶に残るところとなりました。

ヤクザの親分が亡くなると功罪ともに評判になるものですが、決して綺麗事ではすまされぬ人の記憶もそこには介在するものです。この方はそんな中でも、堅気には優しくヤクザにはめっぽう強いそんな昔ながらの仁侠を通した方だったのかも知れません。

でも、今ではヤクザ世界を礼賛するものはない私でもあり、こうした本を読んでも、人としての赤裸々は感じても、美化せず、その根底にあるものに思いが向けられます。

この方の半生を綴るこの本を読んでいて、愚直とも純粋とも思えるこの方のお人柄は際立ちながらも、善因善果、悪因悪果の因果律が作用する事に於いて今の時世、ヤクザの世界はあまりにもハード過ぎる事…

世間から隔絶した世界で生きる様ではあっても、どこまでも赦しのレッスンからは逃れ様が無い事に於いて、ヤクザも堅気も無いことなど、改めて感じるばかりの愚僧でした。

諸行無常

 

 

読者登録してね

☆ヒーリング吉祥の営業日

☆ヒーリング吉祥のセッションメニュー

 

ベル地に足をつけ今を生きる!吉祥グラウンディング講座!!

ベル確信の持てるヒーリングセッション!大元ヒーリング講座!!

 

タイトルとURLをコピーしました