★人生交差点…ある女傑の回想③

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※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

ある時、移動中の車の中で理事長が私に『渡部さん、よくTVに出ている○と言う坊主を知っていますか?』と聞いてきたので、『ええ、よく滝に打たれて念仏唱えているあの坊主でしょう?』と、後にはその念仏を唱える坊主に自分がなるとはこの時は夢にも思わず答えた私でしたが…笑

『そう、そう、その坊主なんだけどね、あんなの坊主と違いますよ、詐欺師です!前に私が宗教法人欲しいと言ったら…理事長、私に任せておいて下さいだなんて、散々、私から金だけ騙し取っておきながら、後はシカトですよ…。』と語る理事長でしたが、話しをさらに聞いてみると、○に騙し取られた金額は数千万にも及び、後に裁判になったそうです。

裁判所では、あることないことをまくし立てる様に自己弁護をする○に、呆れ果てた理事長は、裁判所の表で『あんた、裁判所でよくもあんなデタラメを言えたもんだね!』と詰めよると…

『いやぁ…だって、とりあえずああでも言わなきゃ、理事長に言い負かされて裁判で負けちゃうじゃないですかあせる』と、まるで懲りない悪ガキが、頭をかきながら言い訳をするかの様な○の表情を見ている内に、おかしさが込み上げ、憎しみも半減してしまったと語る理事長でしたが…
でもその後で『しっかり落とし前は取りましたけどね。』と付け加える事も忘れなかったものです(笑)

老人医療の世界に生きる理事長に取って、宗教法人を取得する事は、人生の終末期を過ごすお年寄りも多い、特養(特別養護老人ホーム)や老人病院に付帯するものとして、霊園の開発にまで視野を拡げる野心もそこにはあった様で、寄付行為などに見られる非課税の特典を活かし、マルサで知られる国税の追求を逃れ、資金洗浄、マネーロンダリングをする上でも一石二鳥なものがあると考えていたところに、○を介在させてしまった弱みもあった様でした。

私などは現在僧侶とは言っても、宗教法人の取得など相叶わぬ万年の一人寺で結構だと思っていますが(笑)この当時など、何千万~何億と言う金額の宗教法人の売買の話しなどが、ブローカーなどより、まことしやかに持ち込まれる時があったものです。

また、この頃と言うのは、社会福祉法人や医療法人の役付きの名刺を持った人間が、病院の売買の話しなどにブローカーとして関与してきたり、広大な面積に及ぶ地権者の同意書の写しなどをチラつかせ、特養など、老人介護に関する施設を誘致し、利益のおこぼれに預かろうと暗躍していた時代でもあり、話しに乗ったはいいが、その地区に虫食いの様に反対する地主が点在していたりで、実際は施設の建設が困難だったり、国や県より許認可が降りない土地だったりする場合も多かったもので、そればかりか、本来何の権限もない人間が、さも自分が地主の同意や確約をとりまとめたかの様に話しを業者の間に振って歩く、眉唾な『ブローカー話し・ばなし』と言うものも多かったものでした。

都内の高級クラブで理事長を豪快に接待したり、見せる所は見せ、使うべきところは使ってみせた(金を)○のやり口は、昔の私の言葉で言うなら『場面設定』のうまい、上の部類の詐欺師が用いる典型的なやり口であり、こうした人間と言うのは、身なりにも気を遣い、会う場所なども相手のステータスをくすぐる場所を心得ていたりで、被害に遭う人間も、まさか自分が騙されているなどとは夢にも思わず、いつの間にか金を上手に引き出され仕上げられてしまうものなのかも知れません。

さらに車の中で理事長の話しは続いたもので…
『私は、あの坊主の○から、一丁あがり~で、してやられたけど、それでもあの男、爽やかな一面も持っていて憎めないところもありましたよ。』と語る理事長に『ああ、そうですか…』と返事をしながらも、内心では、自分をペテンにかけた相手を誉めるこの方に、半ば呆れるものを感じてたものでしたが、でも、自分がダマされたそれを『一丁あがり~で、してやられた』と自嘲するかの様に表現するこの方が、刹那的なアウトローな世界の住人の様にさえ私には思えたものです。

『私が目の黒い内に、私を利用したらいいんです。特養(特別養護老人ホーム)や、老健(老人健康保険施設)を建てた時には、社会福祉法人の監事にでもなって社会的背景として利用するも良し、それとも施設の職員として名前を連ねて、給料と言う形で定額収入を得るも良し、定額収入などと言うと、何かチマチマした話しの様に聞こえるかも知れませんけど、大切な事ですよね。
そうした社会的な立場を作って置いて、ヤクザの活動をされたらどうですか?』と私に語る理事長の言葉に…
『ありがとうございます。そんな時がきましたらよろしくお願いします。』と答えた私でした。

そこに無頼な世界に生きる私の将来を心配してくれているかの様な親心を感じつつも、『やはりこの方も堅気なんだな…』と思わざるを得ないものがあり…
社会福祉法人や特養などにたとえ名前だけでも籍を置ける事は、社会的背景となり、人の信用を得る上でも、当時の私にとって、この上ない魅力的な話しでもありました。

ただし、これも何もなければの話しで…

組織の為には身体を差し出し、当番(上部団体の事務所当番)にも入らなければならない、現役の極道でもあった私が、そうした公共の肩書きを持つ事は、事件を踏んだ(起こした)時など、その法人や施設に、私がたとえ関連している事を黙秘しようとも、お構いなしに強制捜査の対象になり、鳴り物入りでスクープされてしまう事は火を見るより明らかな事でもありました。

あるいは、組織から一線を画した企業舎弟と呼ばれる自分の息のかかった人間を送り込む手もありましたが、所詮は畑違いの世界の事でもあり、危なかっしい事この上なく、有り難い理事長の言葉でも、かかる迷惑を考えた時、あたり前にお受け出来る話しではなかったのです。

私はこの当時、自分の正業としての会社を持っていましたが、自分の会社でさえも、信頼の置ける年輩の人間を社長に据えて、自分は会社の顧問として定款にさえも名前が載らぬ様にしていたもので、これなども、司法(警察)対策の意味と共に、近隣の業者なども本当は極道の私の会社とわかっていても、社長が堅気であれば、暴力団との交流などと、とかくうるさい世間の目にも一応の建前を取りやすい、取り巻く業者の本音に対応したものでもあったのでした。

つづく

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