☆人生交差点…きれいごとじゃなかった私の「おかげ様」

 
 
 
※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。
 
世間でよく言われる感謝を現す「おかげ様」と言う言葉…
私がこの『おかげ様』と言う言葉の功徳を理解するまでにどれだけ長い年月がかかったのでしょうか…。
 
若い頃などは人格者めいた格言をかざす人を見たりすると…
 
『何を言いやがる、綺麗事ばかり抜かしやがって、人間、糞もすれば屁もたれる、偉そうな能書きを言ったところで、山へ連れて行って脅しあげれば大抵の人間は言ってる事をひるがえして命乞いするさ、綺麗な女をあてがわれれば雲の上からだって転げ落ちるし、金を目の前に積まれれば首を縦にふらぬ人間などまずいない、どんな人間も、重箱をひっくり返して逆さに振れば、アラの一つや二つは必ず出てくる』。などとシニカルに斜に眺めるのが常だったものです。
 
私が過去にいたアウトレイジな社会は、生みの親の言う事も聞かない人間が集まる世界でもありましたが、ある面「俺が!」「俺こそが!」の気概や覇気を持つ人間が集う場でもありました。
 
そんな世界だからこそルール無きバトルが起きぬ様、親分や叔父貴、兄貴や子分と言う擬似家族の枠組みが必要な世界だったに違いありません。
 
また、そんな世界には「ついた人間がすべて」と言う言葉がありました。
 
極道の社会で、生殺与奪権を預ける盃を貰う親分や兄貴分と言うもの…自分の能力を認め引きあげてくれる人もいれば、いじめ抜くかの様に不遇な目にばかり合わせ、伸びる芽を摘んでしまうかの様な人もいたりします。
 
親分、子分と言えどもそこに人間としての相性もあるのでしょうが…
 
中には親分と呼ばれる人から実の子の様に愛されていても、事ある毎に殴られ、叩かれる「殴られグセ」のついたかの様な人間もいたものです。
 
私はその世界の駆け出しの頃、年輩のその道の先輩から『ええか…親分と言えど、聖人君子じゃあらへんぞ、我が儘な生き物だと思うとけ…』と諭される時がありました。
 
それは、時に風当たりが強く、理不尽で不条理な事さえ経験するであろう事を見越してのその世界ならではの思いやりの言葉だったのかも知れません。
 
1+1=2にばかりはならない、時に、欲望に純粋で、不健全で赤裸々な血の通った人間の姿、他者にも自分の中にも見せられたそんな世界でもあった様な気がします。
 
でも、この『聖人君子ではなく、我が儘な生き物』と言う言葉、それは極道の世界ばかりでなく、私達すべての人間関係、親子から兄弟、夫婦、友人までに当てはまる処世の言葉の様な気がしてなりません。
 
時に人を傷つける事も、傷つけられる事も避ける事が出来ぬ未完の生き物人間…
絵に描いた様に円満に仲良く出来ないところに学びがあるものです。お互いに聖人君子ではない事を心に留め置き、人に接する時、穏やかさを見出だす事も出来るのではないでしょうか?
 
どんな世界でも、能力や力量のある人間でも、ついた人間を誤ったばかりに、不遇な年月を余儀なく過ごさなければならない時もあったりします。(魂レベルで考えるならばついた人間を誤ると言う事はなく、完璧な魂の運行として選びとっていると言うのが真実の様です)。
 
でも、本当に辛抱強い人間と言うのは、そうした不遇の冷や飯を食うかの様な時期が、3年、5年と続いても、水に沈めたコルク栓が水面に浮かんで来る様にいつかは頭角を現すもので、その世界にいる時に何度となく見てきた事でもありました。
 
私なども、若い頃はその世界で一枚でも、二枚でも上の座布団(上の地位)に座りたいと思ったものです。
 
そんな頃、私にはそれまでついていた組長から離れ、さらに高目(たかめ・上の地位を現す隠語)の親分の直系の子分として盃を貰う時がきたのですが…
(現在この組は解散)
 
それまで自分がついていた親分がそれを快諾してくれなかったのでした。私はそれを当時疎ましく思ったものです。
 
それから紆余曲折時を経て、私の所属していた組は解散し、新たな組織へ移籍した私は再び同じ一家の人間としてその方とお会いする時がありました。
 
厭味の一つや二つは言われるだろうと思いきや、その方は穏やかな表情で私を見据えて「ああ…こうして会うまでは、あの馬鹿野郎!とも思いもしたが、こうしてお前の顔を見たら、そうしたものも溶けちまったさ…しっかり頑張れよ!」と声をかけてくれたものです。
 
この時は私も、氷が溶けた様な気持ちになり「親父っさん…長い間親不孝かけました…これからもよろしくお願いします」と答えたものです。
 
見栄や虚勢を張る事では人一倍のヤクザの世界…そんな中、自分の下にいた人間を引き上げる事は、スポーツの世界の先輩が後輩を讃える様な訳には行かないところがあったりもします。
 
そこには昇進を認める事により伴う力関係の変化もあったりで、以前と変わらぬ立て引きを見せて「親父・オヤジ」なり「おやっさん」と前からの呼び方を通す人間もいれば、「オヤジ」や「おやっさん」と呼ばず、その人間の役職で呼ぶ人間などもいたりで、力関係のままにそれも通る世界ではありましたが、立場が上になっても、旧の主従を大切にしているのか?声に出さぬ厳しい目と言うものもその世界にはあった様な気がします。
 
無頼なアウトローの世界で「人間として」とはおかしな話しに聞こえるかも知れませんが、カオスな世界に生きる身だからこそ、条件付けで変わらぬ人間の資質を求め惹かれるものもそこにはあったのかも知れません。
 
その世界でよく言った「つかえる人間」なら尚更の事、手元に置いておきたい気持ちもあれば、伸ばしてやりたい気持ちもあったりと、様々な気持ちが錯綜する事においては、極道も人間に変わりありません。
 
そうした事が時に深刻な様相を呈し、「あの野郎、親の俺をないがしろにしやがって…」と命の取り合いになる様な悲劇を生み出すのも極道の世界でもありました。
 
私は前述の方の手元を離れ、小さいながらも自分の組を持ち、私を「親父っさん」「兄貴」と慕う人間が増えてきた時…
 
以前、付き従った方の下にいる時には分からぬ苦労や心労にも行きあたり…自分を送り出してくれた方の思いと言うものも、その時に初めて腑に落ちるものがあったものです。
 
自分が目をかけていた人間が、自分から離れる事の痛みや寂しさもあっただろうに…と、その時私にはまるで追っかけてくるかの様な『おかげ様』の感慨が湧いたものです。
 
紆余曲折を経て、私はその後獄中で「神との対話」と言う本を読んだ事から、初めてスピリチュアルな気付きに恵まれます。
 
組織を出て、堅気になった時、どうして良いのやらわからず、ある会社の社長の元に縋る様に飛び込んだ時があります。
 
その方は健全な会社を経営する著名な方でもありましたが、私は極道当時、バッヂを付けた議員とマッチポンプまで仕組み、紺色の背広に白のカッターシャツにネクタイと、紳士然としたスタイルながらも、慇懃無礼にこの社長を恐喝したものです。
 
そうした事を考えれば、頼み事など出来る間柄ではありませんが、訪れた私を笑顔で向かえ「ああ…それは良かったですね!今までいた世界の事も、しばらくは船の上から過ぎゆく波頭を見る様に思い出されるだろうけど、そこに思いを留める事なく頑張って下さいね」と祝福の言葉をかけてくれたものです。
 
『極道から転身して何らかの宗教者としてスタートして見るのも面白いね!』と…今思えば、現在の私を示唆するかの様な不思議な事をその時に私に言った方でもありました。
 
私に住む部屋まで提供してくれ、仕事まで世話してくれた方でしたが…私はこの方の期待に応える事なく、極道の看板が無いと言うだけのアンダーグラウンドの世界に再び舞い戻ったのです。
 
その後は闇金の用心棒から何でもござれ…自然と「親父」「兄貴」と私を呼ぶ人間も集まってきたものです。
 
スピリチュアルな気付きも何処へやら…でも、今思えばそうした事さえも完璧な経験だったのかも知れません。
 
その後、自分を慕ってきた人間の覚せい剤による死、また獄死した人間の枯れて小さくしぼんだかの様な刑務所の裏から出てきたその顔を見た時の無常感…
その他にも様々な出来事が、その世界に留まろうとする私を許さぬかの様に背中を押して行ったのです。
 
「おかげ様」と言う言葉…今考えれば、会ったなら、赤面の態で土下座でもし、逃げ出したい様な、後ろ足で砂をかけたかの様な顔、顔、顔…
そんな人との出会いの中にも、今日に繋がる珠玉の『おかげ様』が秘められていた事…
 
感じるばかりの愚僧であります。
 
                    合掌
 
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