人生交差点…酔歌③

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※社会通念上、不適切な表現や描写がある事お許し頂きたいと思います。

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な~むあ~みだ~んぶぅ

な~むあ~みだ~んぶぅ

『南無阿弥陀仏』と葬儀場に響き渡る浄土系と思われる僧侶の読経の声…
会葬者の耳には『な~むあ~みだ~んぶぅ』と聞こえてきます。

そう…それは若干24才で死んだUの葬儀でした。

酔歌①の記事で触れた私とUとの邂逅でしたが、その後のUはまるで生き急ぐかの様に他界したのです…。

平成に年号が変わり、最大組織を二つに割った大抗争も終結したものの、以前として覇権を賭けた極道世界の抗争は続いていました。

不思議なもので、今ふり返ってみると…
世界的にも国内でも政変や紛争や激動期にある時、それは極道社会にもリンクし反映されていた様な気がします。

『行く道は行くしかない…』と言う言葉が極道世界にはあります…。

後戻りの出来ぬ生き方、危険やリスクを承知で時には組織の為に身体を差し出し先頭に立つ生き方

一般社会には受け入れられる事の無い、裏社会に生きる男の矜持や美学と言うものもそこにはあるのかも知れません…。

その刹那に於て吐く言葉の一つ、所作一つで、その人間の持つ器量や性根を見透かされてしまう、そんな厳しい世界でもありました。

今のヤクザ世界の事は私にはわかりませんが…
私が若い頃は金儲けや商売に長けた人間でも、他の組織との喧嘩などに際して尻込みし、覇気を欠く様な人間は、同格の若い者同士の関係でも、その『弱い部分』を嗅ぎ取られてしまい、物言いひとつでも…

はた目にはたとえそれが微妙であっても、ひとつもふたつも覇気に溢れた好戦的な若い人間に遅れを取ってしまう事になり、簡単に言うと…
かたやが名前を頭から呼び捨てにしているにも関わらず、一方は『~さん』や『~ちゃん』と敬称を付けて呼び返さなければならぬ力関係をそこに生じさせる事にもなります。

こうした事ひとつ取ってみても、組織に於ける若い人間同士の序列と言うものはそこに自然と形成されて行くものかも知れません。

またこうした人間関係の機微と言うものが、自らの心やプライドにひっかからぬ様な、良く言えば大らかな人間、悪く言えば愚鈍な人間では、伸びて行く事の出来ないのも極道の世界だった様な気がします。

しかし喧嘩の際に、鉄砲玉としてヒットマンとして先頭に立つ事を自らに課した男に取っては…常に組内の他の人間の目を意識して行くところとなり…

『あの男ならよその組織に一歩も引かず結果を出してくれるだろう!』と…声にならぬ周囲の視線や期待と言うものが、良くも悪くもプレッシャーとなり、こうした事から、益々自分自身を好戦的なスタイルに追い込み駆り立てて行くのかも知れません。

まさにUはそんなタイプの男でもありました。

ある時は同じ組内の人間が街中で他の組織の幹部と言い争っているとみるや、『問答無用』とばかりに、車のダッシュボードにあったスパーナ(工具)を片手に殴りかかり、相手の鎖骨やあばらを複雑骨折させた上、半死半生の目にあわせるなど、現場近くにあった電話BOXも喧嘩の為に大破し、ガラスも粉々に辺りに砕け散っていたものです。

相手も地元では売り出し中の若手でもあり、当時Uも地方都市にある自らが所属する組の若き本部長でもあり、『これぞ叩いてしまう好機!』とばかりに殴りかかったUでもありましたが…

しかし実際は当の二人は旧知の間柄で、仲良く談笑していたと言うのが本当のところであり、Uの度を越したとんでもないフライングだったのです…。

当然病院送りにされた相手側の組織も黙っているはずもなく、報復に出てくる事も予想され、喧嘩支度となったものの…
上層部の話し合いで急遽円満な解決を見る事が出来たのでした。

病院送りにされた相手も、この決定を不服としてUの命を狙うべく地下に潜ったとの情報も聞こえてきましたが、やられ損をした相手組織が体裁が悪い為にリークし流しているデマである事は明らかであり…

喧嘩は間髪入れずに報復に出なければ、その意気もなまくらになり萎えてしまうもの…
いずれそこに理屈が付き、報復の機会を失う事は、私がその世界に居る頃、何度となく見てきた事でもありました。

相手にとっては理不尽この上ない事でも、地元で売り出し中の極道をUが倒した事には変わらず、その評判は地元のヤクザや暴走族、不良少年の間に広がって行ったのでした。

こうした間尺に合わぬ暴力と言うものさえ『恐がられてなんぼのヤクザの世界』…
時にその人間のヤクザとしての虚像をつくり上げ『あいつは怖い人間だあせる』とのイメージを定着させる事になり、その後における無用のトラブルを省く働きさえもたらす時があります。

私も現役の極道当時は、色々な職種の方とのお付き合いをさせて頂いたものでした…。
県会議員もいれば病院の理事長、不動産屋や土建屋の社長、生保の会社の社長もいれば、水商売や風俗店を多角経営するオーナー等…etc

その範囲もオールラウンドであり、中卒の学歴しか持たない私でしたが、そうした方達と交流するにあたり、私の胸の中には『我は世間の黒子なり』との矜持さえ持っていた様な気がします。

本当に多くの人間模様を眺め、人の奥底にある素顔と言うものや、金が絡んだ時の人間の浅ましさや変貌ぶりと言うものを、自分の中にも人の中にも随分と見てきた様な気がします。

私が若い頃、極道渡世の先輩が『ヤクザを厄座と書いて読んだら面白いな…』と言った時がありましたが…
なるほど、トラブルや揉め事の渦中にさえ金の匂いを見いだそうとする極道をそれはうまく言い現した言葉だったのかも知れません…。

色々な立場の人との繋がりの部分に於て、そこには人情もあれば笑顔もあり、お互いの立場を離れての友情と言うものもそこにはあったのかも知れません…。

でも、こちらがそうした方達から何らかの仕事の依頼を受ける時と言うのは、やはりこちらの極道としての力の部分、言いかえれば、それがスマートで洗練されたものであろうとも、剥き出しの荒々しいものであろうとも『暴力』に着目し、それを頼んできたに違いないのです。

当時、そうした方達と接する時に、『組長達の世界には任侠道があるから…』とか『組長は筋を通す人だから…』などと、こちらの歯が浮く様なお世辞を言ってくる方達もいましたが…

『力のある者が筋を作り変える』現実を散々若い頃より裏社会でみてきた私にとって、そうした言葉が腹に染みいる事は無く、むしろ裏社会の人間である私に…たとえそれが人に貸した金の取り立てであろうとも、物事を頼む事のうしろめたさを減殺する為の方便の様にさえそれは聞こえる時があったものです。

当時極道社会では、人の命の取り合いをする様な抗争を勝ち抜けば、3年や5年はその組織は安泰で楽にメシが食えると言われたものです。

何故かと言えば、その組織には何か事あれば即発砲するかの様なイメージが世間から地域社会にまで定着するからであり、一般の方から見れば、それでは恐れられ、かえって敬遠されるのでは?と思われるかも知れませんが…

ところがどうして、ヤクザを利用する人間は、力の無い組織に物は頼みにこないものなのです。

『蟷螂の斧・とうろうのおの』では話しにならず…
世間では単純に暴力団と忌み嫌われても、その計算された暴力や人間の背景にある組織の力と言うものも含め…好戦的で即発砲する様なイメージに、社会概念の上では認めたくないものを感じても、そこに集金力に繋がる魅力を感じているところが、極道を利用し様とする人達の胸の奥にはあったのかも知れません。

ただそれさえも…最近では、暴排条例が適用されるなど、極道社会に対する司法の峻厳な姿勢を見る時…
私がその世界にいた頃も、暴力団新法の施行など、厳しい状況はありましたが、尚更に隔世の感さえ思わせる現在の裏社会の様相でもあります。

合掌つづく

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