★人生交差点…インコの思い出

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※社会通念上不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

それはちょうどオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生し、世間を騒がせていた頃の事…

この事件が起きた1995年は、1月には阪神淡路大震災が起き、3月にはサリン事件が発生するなど、何か捉らえどころのない不気味な時代の幕開けを感じさせるものがあり、混沌とした時代に突入した様な気がしたものです。

その頃の私は極道の世界に身を置き、自分が籍を置いた組織(現在は解散)の組長の付き人として、毎月何度か『本家』や『総本部』と呼ばれた広大な面積を持つ事務所を訪れる時がありました。

そこでは当番に入る各組長の付き人(組長付や組長秘書とも言われました。)の詰め所でもある畳敷きの小さな部屋があったものです。

顔を合わせると『おはようございます!』『ご苦労サンッス!』とお互いに挨拶を交わす付き人の面々でしたが、付き人とは言っても、地元に帰れば多くの組員を従える有力組織の組長が付いて来ている場合も多かったもので…

でも、そんな方達も、自分の親分に付く時は気取った事など言っていられるものではなく、極道渡世の親子の分に従い、一兵卒の働きをしなければならないのもその世界の道理でもありました。

例えば、当番に向かう移動中の新幹線の中でも、親分が駅弁を食べたいと言えばお茶を出し、弁当の箱を開け、醤油をかけ、箸を割り、食べるばかりにして差し出すもので、付いている人間と言うのは、親分より後で箸をつけても、先に食べ終え、箸を置き、偉い方が食べ終わった弁当の空き箱を回収するのが当たり前であり…

こうした事から、おのずと早メシの習慣が身について行くもので、万事において機転や機敏さが求められる世界でもありました。
まして少年院や刑務所などに服役した事のある人間が殆どでもあり、食事ばかりでなく、洗面から用便、入浴に至るまで、時には刑務官の怒号飛び交う中、ある面、軍隊の様に迅速化されたものを経験しているだけに、万事にスピーディーなものがあったりで、日常の動作の端々にもそうしたものは滲み出るもので、懲役の経験の有る無し等、周囲におのずとわかるものがあったりしたものでした。

私なども、現在、家では入浴の後でバスタオルを使いますが、銭湯に行った時などは、半タオル一本で事足りてしまいます。と言うのは、少年院から刑務所に至るまで、塀の中の入浴と言うのは、時間が短い事は言うまでもありませんが、身体を洗い、入浴を終え、身体を拭く動作に至るまで、半タオル一本ですべて行うからであり、こうした事も、その頃の名残と言えるのかも知れません(笑)

付き人の詰め所である小部屋に控えていても、付き人同士、小声で、たわいのない雑談や談笑の内にも、周辺視野の片隅には常時自分の親分を捉らえているもので…

灰皿もタバコの吸い殻が三本とたまらぬ内に換えるのもあたり前ならば、一般の社会の方から見れば、潔癖に過ぎると思えるであろう、折々におしぼりを出すその習慣と言うもの、それは食事の時ばかりではなく、親分と呼ばれる方がトイレに立てば、まるで影身の様に、おしぼりを手に持ち、トイレの前に控える若い衆の姿と言うものは、若い頃から見慣れた光景でもあったものですが、極道社会独特の因習でもあった様な気がします。

そんな付き人として控える私達に、親分と呼ばれる方達の席より声が飛ぶ時がありました。

『オイッ!メシの用意出来てるんか?』

『ハイッ!出来てます!』

『オイッ!冷たいコーヒー持ってこんかい!』

『ハイッ!』

『オイッ!〇〇こっち来て肩揉んでくれや!』

『ハイッ!』

これなどはわかりやすいものがありますが、時には…

『オイッ!あれ持ってこんかい!』と声が掛かる様な時があり、『あれ』とは何なのか?それが新幹線の中で読みかけだった雑誌を持って来いと言っているのか?それとも付き人の持つ、鈍い光沢を放つクロコダイルのバックにしまわれた目薬を指しているものなのか? それとも、病院から処方された薬を持って来いと言っているものなのか?瞬時に判断しなければならず、まかり間違っても、『あれって何でしょうか?』などと、間の抜けた事の聞けない世界でもありました。

しかしながら、長年付いてきた人間と言うのは親分から『あれ』と言われれば、声の抑揚などからそれが何を指しているのか身体で覚えている様なところがあり、食事の好みから機嫌の良し悪しまでを、まるで身体の一部になったかの様に理解しているもので、端で見ていても、阿吽の呼吸とも言える、心の結び付きを感じさせる見事な人間がいたものです。

また、耳に入ってくる親分達の会話と言うものも、よく任侠シネマに見られるシーンにある様な、ギラギラと何か策謀を巡らしている様なものとはほど遠く、お互い敬語で話し、その内容も、ゴルフの事や健康に関する話しなど、あたりさわりの無い話題に終始する事が殆どだった様な気がします。

時には…『兄弟、ウチの娘がやね、この春にええ会社に就職しよるもんやさかい、ワシが極道しとる事で、娘の就職に障りが出なきゃええがと、こないだもウチの女房と話しとったんですわ…。』

『ああ、兄弟のところもそうでしたか…ウチところの娘も、大学出て就職したんやけど、今だにお父ちゃん言うて、素直に育って、ワシが懲役行って留守の間、苦労かけたカミさんには頭があがらんのですわ…』と、

子の行く末を案じる親の心情を感じさせる会話と言うものも聞こえてきた時もありました。
極道の親分と言うのは、総じて寡黙な人が多い上に、気心の知れた組長同士が合当番と呼ばれるペアを組んでの当番は別としても、交流の薄い親分同士の当番などは、延々と沈黙の時間が続く時もあったものです。

そんなある時…

付き人の詰め所である畳敷きの小部屋に入ると、部屋の隅には何故か大きな鳥かごが置いてあり、中にはニ羽の大きなセキセイインコ?がいたもので…
組長同士が合当番な事から、お互い一泊を共にする付き人同士、それこそ挨拶も簡単に済ませ、このインコに見入ったものです。

一人が『これまたごっついインコでんな!』と言うと…

また別の人間が『あ~っ、ひょっとしたらこのインコ、オウムのサリン対策で置いてあるんと違うやろか?インコって、サリンとかを嗅ぎ取る能力があって、反応が早いとか聞いた事おまへんか?オウムの連中、頭イカレとるから、何処で何するかわからしまへんからなホンマに!』 と、言うのを面白い事を言うものだと聞いていた私でしたが、次の瞬間、それは聞こえてきたものです。

『オジキ!その手形あきまへんで!ハッハハハ!』と、一羽のインコが、声のトーンで言えば、笑福亭鶴瓶の様なダミ声で話し出したかと思えば…
(((;゜д゜)))

すると今度はもう一羽のインコが、『おはようさん!景気はどないでっか?ボチボチやってますわ!』と、これも三者三様の声音を使い分け、関西弁で話し出したもので、きっと詰め所で携帯電話などで話す、付き人の会話を、インコが巧に記憶したに違いなかったのですが、『おはようさん!どないでっか!』と思い出した様に繰り返すインコにからかわれている様でもあり、また何を記憶されてしゃべられるやもわからず…

その日一日、沈黙と静寂に包まれた付き人の小部屋だった事は言うまでもありません(笑)
(((;゜;Д;゜;)))

合掌

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