★断捨離流行りに思う事…削除のボタンが死刑宣告のボタンになっていませんか?

1479004_10152459549778098_948279197_.jpg

私のところにお見えになるお客様から『サイキックアタック』と言う言葉をよく聞かされる時があります。

私などはサイキックアタックなどと聞くと、透視ヒーリングの学校に通っていた頃、ダークサイドなエイリアン対策の為に習ったサイキック護身術を思い出すのですが、多くの方が言うサイキックアタックはそうではなく、他者から自分に向けられた憎しみや嫉妬などの悪想念(性的な執拗さまで含め)や俗に言う生き霊に憑かれている状態を指して言う様です。

『あの人は念が強いから恨まれたらやっかいだ…』と言う様な言葉を誰でも一度は身の回りにいる人の口から聞いた事があるのではないでしょうか?
『人を呪わば穴二つ』とはよく言ったもので、人の悪口を喧伝したり、人に恨みや嫉妬の想念を向ける人間は、いずれブーメランの様にその対価を受け取るハメになるものですが、この私達の生きる世界は、自分から発したものを受けとるまでのタイムラグが生じる為に、自分だけは人の悪口や陰口を叩いても、何ら罰される事も影響を受ける事もないだろうと考えてしまうのも人間の業と言うものかも知れません。

罰されると言うのは言葉として適当ではないかも知れませんが、でも、文字通り追いかけてきた罪悪感によって、自分を傷つけ痛めつけ、罰してしまうのも私達人間の実相なのです。

ところで…断捨離流行りの昨今ですが、部屋や居住スペースの不用品の整理整頓だけではなく、自分に制限や制約をもたらしている様な人間関係にもこの断捨離を応用している人も多い事は良い風潮と言えるのかも知れません。

でも、人間関係をプッツリ、ザックリ、やんわりと、その人に応じた形で断捨離する時、対象とする相手への、自分の心の在り様に注意を払う人は少ないのかも知れません。

どんなに自分にとって不都合で、憎くて、精神的な負債としか思えない様なその相手であっても、その人はゴミ箱にポイ捨てされる空き缶やゴミではありません。

魂の運行で言えば、完璧に自らがスケーブゴートして人生に招き寄せた相手であり、たとえその人との間に何ら実るものがなくとも、傷つけられたり、酷い束縛をうけたり、罵られたり、酷い暴力を受けた相手で、記憶から一刻も早く消去したい相手であっても、結果として…自分を夢から揺さぶり起こすかの様に、自分が経験したくない事、本当は人からどう扱われたかったのか?本当は自分は何がしたかったのか?と言う様なところへ押し出してくれるマスターの役割を果たしていたりするものです。

よくインターネットの文章の中で、『私にとって、不要な人間関係をポイッと断捨離してスッキリ!』と言う様な文章に出くわす時があります。

ストーカーや、何らかの形で侵害をもたらす相手なら、問答無用の断捨離や対応も講じるべきですが…
リアルにお互いを知る仲の良かった友達などが断捨離の対象となる時なども、携帯やスマホの着信拒否やメール拒否、facebookやアメブロで繋がっている場合などは、友達削除やブロック、読者登録の解除など、矢継ぎ早の強行策も、今では一般的な風潮とさえ言えるものがある様で、削除やブロックされた当時者には無断通告でこれらが為される場合も多い事から、トラブルに発展し、お互いの誹謗中傷をブログで繰り広げるなど、泥沼化してしまうケースもある様です。

とは言え、削除やブロックと言う事も、何ら制限を受ける事のないもので、自由な選択がそこにはあって然るべきものだと思います。

それは『ポチッ』と友達削除やブロックのクリックボタンを押すだけの小さな行為なれど、『私をないがしろにしてfacebookで○○さんと仲良しになって許せない!』『私を認めてくれなかったあの人なんか消えちまえ!』と、心に去来するものは人それぞれ違うものがあるかも知れませんが、でも、まるで人を裁き、死刑のボタンを押すに等しいものがそこにある事までは、なかなか私達は思い至る事が出来ないのかも知れません。

心の疼きは正直にそれを教えてくれるものです。

断捨離にかこつけて、人の否定拒絶を繰り返してしまう人もいます。
ある時私に『ヒーラーの人こそ、心を病んで癒されていない人も多いんじゃないですか?』と苦言を呈してくれた方がいたものですが…
確かに、ヒーラーやスピリチュアルなワークをする方の中にも、様々な形の否定のパターンがあるのかも知れません。『あの人はエネルギーが粗い!』『あの人はエネルギーコードを刺す傾向がある』などと、自分の思わしくない人間関係には、ヒーラーのジャッジハラスメントとでも言うべきスピリチュアルな価値判断を相手にひっかぶせ、本当は人間に向き合えぬ自分の弱さをそこにひた隠している場合もある様で、幼少時からの親からの束縛や、子供の頃にあったイジメの影響など、癒されていない呪縛がそこにしっかりあぐらをかいている場合もある様です。

断捨離…一度背中を向けた相手に感謝を向けるなど真っ平ごめんな事かも知れません。
でも、人生に起きる苦難や不遇の原因が断捨離する相手にあると思っている内は、何度となく最後には苦々しい断捨離に至る出会いへと、他の誰でもない、あなた自身が自分の背中を押して行くのです。

自分が相手に抗うものが強ければ強いほど、認めたくないかも知れませんが、自分の中にある恐れや狂気を相手が映し出していたりするもので、過去世に原因がある場合と同様、こうした事が相手のすべてが疎ましくなったり、憎くなったりするエネルギーとして、自分の中に浮上させる場合もあります。

必ずどんな出会いにもレッスンやギフトが秘められている事、忘れたくないものです。
自分自身消耗するものを感じ、関係を絶ち、断捨離に及ぼうとする時、目を閉じ静かに合掌し、その相手が目の前にいるものとイメージし、『○○さん(君、ちゃん)あなたとの関係において何ら実るものを感じません、また私自身、自分を保つ事が出来ません。今日でお別れしたいと思います。今世で出会ってくれてありがとう。』とそのイメーシ上の相手に声を出して(出さずとも良い)語りかけて見る事を数日続けると良いかも知れません。

これだけでもお互い双方の霊的レベルに良い影響を与え、自分の気持ちにも癒しがもたらされたりするものです。

合掌

タイトルとURLをコピーしました