★正仙の愛説法!…人の悪口には通り過ぎる者であれ!

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時には愚痴や人の悪口を言うのも、ガス抜きや精神衛生上人間には必要だと言う考え方があります。

会社の同僚との酒席での上司への不満や愚痴、女性の井戸端会議におけるその場に居合わせない友達の悪口など、実社会で生きて行く上で、誰しにも経験のある事に違いありません。

その様な場で、日頃交流の薄かった意外な人物が、自分と同じ様な批判の芽を会社や上司、友人などに持っている事が判明し、同じ価値観を持っている人間に出会えた喜びさえそこに感じ、意気投合した経験なども、案外、誰しにもある事ではないでしょうか?

でも、こうした出会いにさえも、後にはお互いを引き裂かないではおかない、カルマを生じさせる、エゴの力学、振り子の法則が作用している言ったなら、『何を大袈裟な!』と意外に思われる方も多いのかも知れません。

でも、そんな場に居合わせた時を振り返る時…もっともな理屈を付け、正論をのべている様ではあっても、上司や友達の悪口をまくしたてる同僚や友人の話しに相槌をうったり、同意するかの様な返事をしている内に、言い様のない虚脱感や疲れを感じ、げんなりとしてしまった経験のある方もまた多いのではないでしょうか?

これなども、愚痴や悪口など、その場を取り巻くネガティブなエネルギーの影響をてきめんに受けてしまっている事の現れでもあり、繊細なオーラやエネルギーを持つ方が、こうした場に頻繁に居合わせる事は、自らのエネルギーをドロップさせ、体調を悪くし病気さえ招きかねないものがあったりもします。

簡単に言うとそうした場に頻繁に関わる事は、運気の停滞さえ招きかねないものがあるのです。
(((;゜д゜)))

『人の不幸は蜜の味』とはよく言ったもので、普段は愛や天使の存在を説くスピリチュアルな先生も、自分に不都合な相手に限っては、ワンネスや愛、スピリチュアルな教えの対象外と言わんばかりに、『ここだけの話しだけど言わせてもらうわね…。』と、人の中傷に及ぶ人もいたりする事、スピリチュアルなお仕事をされている方の中には、生徒として勉強された時期などに、見聞きした経験のある方も案外多いのではないでしょうか?

これなども普段、先生と呼ばれるスピリチュアルな教師も、血の通った人間に他ならない事を示している出来事ではありますが…笑
(;~∧~;)

そうした方の中には、どこへ行っても『ここだけの話しなんだけど…』『あなただから言うんだけど…』と、さもありなんな前置きをつけ、人の悪口や中傷で『自分の居場所を作りだそうとしている』事に本人が気付いていない場合もまた多かったりするものです。

悪口や中傷で連帯された人の輪は、はかなく脆いもので、カルマを作りあげ、最後はお互いを罵りあい喧嘩別れする様な顛末を描いて行くものです。
アセンションと呼ばれる地球や私達人間のエネルギーの変化は、こうした人の集まりを分離解体するスピードの早さとなっても現れている様で、別れる人、結び付く人の急速な展開に、そのエネルギーのシフトを感じている人がこの数年多いのも、まさに同様の事象でもあります。

まさに人間は送り出したものをギフトとして受け取る宇宙の真理とは、こんなところにも作用しているのではないでしょうか?

また不思議なもので、分裂解消するまで、こうした強いエゴを元にした人の場を支配するのは、声高に人の悪口や中傷する人間であり、人間の魂に貴賎はないものの…
気付きの段階で言うなら、低次のエネルギーを持つ人が、周りに強い影響やコントロールを及ぼす傾向もそこにはある事、これは現代社会において、政府はもとより会社や学校、その他、あらゆる人間が関わるコミュニティに発生しやすいエゴの磁場でもあります。

こうした厳しいエネルギーの磁場の影響を受け、俗に言うエネルギーヴァンパイアの被害者になり、心身ともに擦り減る様なボロボロの状態になってしまう人がいる事も、セッションでお見受けしてきた事でもありました。

まだ私が極道の世界にいた頃と言うのは、カタギではありながらも、ヤクザの背景を利用し様とする様々な人間が訪れてきたものでしたが、先に書いた様な『いやあ…ここだけの話しなんですがね…。』『組長だから耳に入れるんですがね…。』と殊更に親密さを前立てにして話しをもちかけてくる人間と言うのは油断ならぬ一面もあり、
その内容も人の中傷もあれば、利幅の破格な仕事の話しもあったものでしたが、利害が一致している間はともかくとしても、迂闊に胸襟を開き、こちらの台所を見せてしまえば、縁が切れるなど条件付けが変わった時に、対立する組織に組する商売人として寝返り、こちらの台所の内情をベラベラ話しかねない危惧もそこにはあり、話し半分にしか聞かなかったものでした。

こうした人間が持ち込んでくる仕事に関与する場合でも、当時私の下にいた人間に、付け馬(見張りや借金取りの為に付ける人間)させ、チェックをさせた上で臨んだものでした。
ただこれも、極道と言うサバイバルな世界ゆえの処世とも言えますが…笑

人に向けるエネルギー(想念)も言葉も、いずれ形や角度を変えてでも自ら受け取らなければならないものだとしたら、それでもあなたは憎い人へや、妬ましい人への攻撃を続けるでしょうか?

『いや、とんでもない!この世界を生きると言う事は、正義や理非を通す為に白黒をつけ、相手をギャフンと言わせなければならない時がある。』と思う方も当然の事ながら、多いかも知れません。

でも、今この記事を書いている当人は、かつては重箱の隅をつつくどころか、重箱を逆さにして降ったほど、人を責めるに厳しい人間でもありました(笑)

でも、せめてそんな時でも、いたずらに感情的にならず、膝を付き合わせ、相手の言い分も聞き、サポートしあう様な話しあいの姿勢を心掛けたいものです。
相手をやり込め論破して、その時は溜飲を下げても、後で自分の追いかけてきた罪悪感にしてやられる事になる事は必定と言えるかも知れません。

『してやったり!』と、相手に投げつけた痛罵のエネルギーは、今度はあなた自身の報復される事への恐れに姿を変えて、雌伏の時を待つ復讐者の様に、それが顕現するタイミングをあなたのオーラの中で待つのです。
透視カウンセリングのセッションなどをしていると、外部にある出来事がその方の人生をかたどっていると言うよりも、その方のオーラの中にあるものが現実を創造している事に気付かされる時が間々あるものです。

対人不和や病気や事故、または霊障と言う具合に、その人に応じた不調和となってそれは姿を現したりもしますが、それを現実にしているのは、他の誰でもなく、自分自身に他ならないのです。

家族や恋人、お友達を罵った時、少しの間は『あーっ!スッキリした!』と強がる事、誰しにも経験があるに違いありません。笑
でも、同時にチクリと胸が疼いたり、言うだけ言って捨ててくる様に飛びだしてきた相手の事が後ろ髪引かれる様に気にかかったりと言う経験も同時にあるのではないでしょうか?

これなども、罪悪感の現れであり、これが頻繁に日常であればある程、これを解消せんが為に、人間は自らを罰する許可レベルを、自らの中で上げて行くのもエネルギー上の真理でもあります。

まさに因果応報とはこの事でもあるのです。

私が過去にいた極道の世界でさえ、意外と思われるかも知れませんが…
他組織との利害をかけた『掛け合い』と呼ばれた交渉事などに於いても、『6分の勝ちを収めたら、4分は相手に花を持たせてやれ』または『相手に通れるだけの逃げ道だけは残しておいてやれ』と、人間心理に精通した実践的な教えと言うものもそこにはあったものです。

話しが少々脱線しましたが、人に優しくする事が自分自身に優しくする事であると知る事は、何よりも生き方上手に繋がる事なのかも知れませんね。

合掌

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