☆今日は終戦記念日…お盆に訪れる見えざるものからの影響とは?ヒーリング私記

 

 
八月に入ってより東京は梅雨と夏が入れ替わったかの様な連日の雨で、15日間連続の雨は40年ぶりだそうです。
 
今日は72回目の終戦記念日、早朝より戦没者のご供養と、世界平和を祈願し、大元法(大元帥明王法)を厳修しました。
 
お盆の今の時期はお会いする方などより「今の時期はお盆でお忙しい事でしょう?」などとお声かけ頂く事もありますが、それは檀家のあるお寺さんなどで、法事、法要、追善供養など、普段はあまり人の出入りの見られないお寺でも、お盆の時期と云うのは一年間の繁忙期が集中したかの様な人の訪れ賑わいを見せるお寺もある様です。
 
私などは気ままに庵を結ぶ一人和尚の様なもので(笑)お盆と言えどもヒーリングセッションや加持祈祷と日頃と変わりないものがあります。でも、この時期と云うのはお客様よりお聞きするご相談内容にお盆ならではのものを感じさせられる時があります。
 
お盆は故人の方の霊が活発に動く時期でもあり、霊障を訴える方や、連日亡くなった肉親や友人が夢などに現れる場合などもある様で、自らに起きる「事故や不幸を暗示しているのでは?」と不安になる方や…
お盆の時期になると身体がだるくなり、亡くなった肉親が側にきている様な感覚と共に、香水などではない子供の頃から慣れ親しんできた親の匂いと云うものがすると話してくださる方など、色んなケースがあります。
 
亡くなった方の霊(エーテル体)が見えると言う時、目で目撃するかの様に可視化する人もいますが、寝ている時など強い金縛りや自然と歯がカチカチと鳴る様な顔全体が痺れる様な感覚と共に、脳裏で亡くなった方の姿をとらえている様な場合もあり、そんな方に限って「いやぁ…私は俗人で霊だとか見る能力などないものですから」などと言うものですが、そんな時「いやいや、あなた亡くなった〇〇さんの姿をしっかり見ていらっしゃいますよ」と受け答えさせて頂く事があるものです。
 
額の真ん中にある(眉の間にあると教える教師も)第6チャクラ、通称サードアイ、第3の目と呼ばれる人間のエネルギーセンターは、人間の直感力や透視など、見えざるものを見る能力を担当するチャクラでもありますが、私などもそれが故人の霊であろうと、目の前にいる人のエネルギーの変調であろうと、目で見ていると云うよりも、脳裏にあるスクリーンにスッと映し出される感覚があると云うのが本当のところで、これなども第6チャクラの影響によるもので、こうした事から対面のお仕事をして行く上で、自らのオーラやチャクラなどのエネルギーの浄化はとても大切な事だったりもします。
 
お盆の時期と言うのは親や兄弟が鬼籍に入っている場合など、普段思いもよらなかった自分の亡くなりし方への想いが湧き出たり、気付かされたりする事もある様です。誰しも本当は感謝や自分の想いを伝え切れずに肉親や大切な人を逝かせてしまった事を悔やんだりする事はあるもので、故人の霊が歩み寄ってくるこのお盆の時期と言うのは亡くなりし方の波動と云うものに影響を受けて、故人との間にあったカルマ、内在しているものを表面化しやすい時期で、繊細な方は体調にも影響を受けやすい様です。
 
でも、それは亡くなりし方からの「責めや障りなどではない事」セッション時に伝えさせて頂く事の多い私でもあります。
亡くなり向こうへ旅立たれた方の魂は、この現世でのレッスンのあらましを向こうで理解させられる為か、俗世での親子間のわだかまりなども綺麗に消化した上で子供の元を訪れている場合が多い様です。
 
親としていたらなかった部分を死後詫びてきている様なケースも…そんな時、子供の方で亡くなった親の姿が心を占める様に現れて、涙が止めどなく流れて癒された感覚が訪れる事もある様です。
 
親が亡くなっても、親子の絆は永遠に不滅の様です。
 
明日は送り盆…生前は伝え切れなかった感謝の言葉や自分の想いを添えて故人を天に帰してあげると良いかも知れません。
 
自坊本尊大元帥明王は、行者をも調伏する(拝み手に対しても賞罰が厳しいと云う事)と言い伝えられてきた明王の中の明王と呼ばれてきた真言密教の歴史もあってか、真言宗のお坊さんからも恐れられて(笑)拝むお寺や僧侶も希少だったりします。
私が得度しこの大元帥明王を本尊に迎えた時と言うのは、まだ片足を裏社会に入れている様な時でしたが、この本尊を据えてから一気呵成に、本当の意味での素っ堅気の僧侶としてヒーラーとしての生き方へ後押しされた様な気がします。
 
その過程で私を慕う人間が立て続けに、獄死や非業の死を遂げたりで、僧侶として憚りのある事を言う様ですが、私はこの大元帥明王に立て続けに舎弟分を殺られた様な気持ちにさえなったものでした。自分自身の裏社会で長い間生きた信念、ライフスタイル、すべてを削ぎ落とすかの様な時期でもありました。
 
でも 、それさえも自らが求めていた変化変容だったと言う事…
そんな自分自身の人生の節目のヒーリングのシンボルとして大元帥明王を自らが招請していたと言う事を理解し今に至っております。
 
 

 
 
大元帥明王を拝み始めた頃と言うのは「私が拝み倒せるのか?それとも障碍で倒れるのか?」と気負ったものもありましたが、今では写真にもある青黒の憤怒の相の中にある白い観音様の顔の如く、観自在菩薩(観音様)の変化としての大元帥明王のエネルギーにアクセスするものであり、遠隔加持などに於いて印や真言と共に同化して行く時、自らも癒され、脳裏では誰をお加持しているのか分かっていながらも恍惚と時の経つのを忘れるかの様でもあります。
癒し癒される事に於いては、スピリチュアルヒーリングと等同なものがあると言っても過言ではありません。
 
今日もこれより数名の方への遠隔加持を行います。
 
世界の生きとし生けるものすべてが幸せであります様に
 
合掌
 
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