★人生交差点…撃鉄と緋色の花②

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※社会通念上不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

①の続き

昭和が終わり平成に入ろうとする頃と言うのは、長渕剛の「とんぼ」をよく耳にしたものです。まだバブル全盛の不夜城を思わせるそんな時代の事…

都内の一流ホテルのラウンジにて、自分の座る席から奥に拡がる綺麗な色の絨毯の敷かれた廊下の奥にある中華料理店に意識を凝らしている矢先、ふと、半月程前にある人間からもらった電話の内容を思い出していた私でした。

その電話の主は近からず遠からずと言う間柄の、関東の組織に属する年配のヤクザでしたが、とりとめない世間話しをした後で…
「この前さ、○組の舎弟サンと会う機会があって話した時におたくの○○親分(死去)の話しになってね…今回の抗争で一番向こう(敵対組織)の人間のタマもあげているし、やっぱり跡目は○○の親分さんで決まりですかね?って聞いたら、『あ~っ、○○さんね、まあ今が一番いい時でしょうよ、今がね…』と、いくら○組の舎弟だからって、わが親と兄弟分の人を『叔父さん』とも呼ばずに、妙に含んだ物の言い方してやがったけど、オタクの親分、何か『大組織』の中で難しい立場に立たされているとかそう言う事ないの?』と聞いてきたもので…

※「タマをあげる」とは、狙う相手を殺す事。

これに対し私は「今がいいねと言うなら、親分の明日は悪いとでも言うのか?○組の舎弟だか何だか知らねえが、ナメた事ぬかすなと言っとけっ!」と少しばかりこの電話の相手に噛みついてやりたい衝動をグッと抑え…
「俺は別に○○組の直参(じきさん・直系の事)じゃないし、偉い方達の話しなんか知りもしないし、聞こえてもこないさ」と、とぼけて答えたのでした。

さぐりを入れる様に聞いてきたこの人間の言う、○組の舎弟が言ったと言う『今が一番いい時でしょうよ、今がね』と言う言葉の裏には、約5年に渡る抗争の功績から、大組織の若頭補佐に急遽抜擢され執行部入りした○○組長を快く思わぬ勢力から、失脚が知らぬところで静かに画策されている事を告げる言外の響きがある様に私には思えたものです。

抗争終結、新体制確立の大組織の趨勢に抗うかの様に、あくまで敵対組織の会長のタマ取りに執念を燃やす○○組長が、大組織から割って出るのでは?と言う危惧が、末端の組員の間に出始めたのもこの時期でもありました。
『清濁併せ呑む』の言葉の如く、極道渡世の因果から、袂を分かち敵味方となっても、行き場所を無くし懐に飛び込んでくる人間を身内とするのも極道であり…
総崩れとなった敵対組織の組員が、次々と大組織傘下の有力組織に帰参しはじめ、各組織が着々と新体制に向けて地歩固めをしている様に見受けられたものでしたが、私が籍を置いた組織は、相手側から射殺された大組織の先代組長の出身母体の組である上に、攻撃の急先鋒に立った事から、敵側にいた人間が帰参するには敬遠される実状と言うものもそこにはあったのかも知れません。

それにしても、若頭(死去)が、「本部の親分の怒鳴る声が聞こえた時は○を殺れ!」と言った○とは、冒頭に出てきた私に電話を寄越した人間が「今が一番いい時でしょうよ」と、私の所属していた組織の組長の憂き目を願うかの様な皮肉を言ったと言う人間の親分の事でもあり、私の座る席から伸びる廊下の先の中華料理店には、今まさしくその○がいるのです。

そこに極道渡世の不思議な因果や帰結するものを感じつつも…
抗争の終結を不本意とし、播州弁で切り裂く様な親分の怒号響き渡るその時は、背広姿のワイシャツのボタンを腹の前からひきちぎり、ニット地の薄手の腹巻きに挟んだそれを抜き出してヒット(狙撃)に及ぶ事に於いて、当時の私は躊躇がなかったに違いありません。

少年刑務所を出て、極道の世界に飛び込んだ私は、火中の栗を拾うかの様な抗争の渦中に身を投じて行ったのです。
そんなある時など、行動隊の指揮を取っていた若頭が「コラッ!ワレわかっとんかい!この喧嘩で向こうの幹部の一人や二人殺らん事には、親分の舎弟や言うて、本部で威張っとれんがい、ワシも今まで色んな人間にカシラ(若頭)させてきたけどやな、ワレが一番不出来のカシラじゃこのボケナスが!」と組長(死去)から怒鳴り付けられるのを聞いていた時もあるものでしたが…
これなども、半分は隣の部屋で控えていた抗争の実行班でもある行動隊の私達に、戒めで聞かせている事は明らかであり、私もいつしかたとえ長期受刑になろうとも、鉄砲玉の自分の生き方に一度ピリオドを打ちたいと思っていたのです。

極道社会のキラ星の如き親分衆が会食する廊下の奥にある中華料理店に意識を凝らしていた私ですが、ふと少し離れた席に座る少女と目があったもので、年の頃で言えばまだ小学生高学年と言う感じなのですが、そのオリエンタルな目鼻立ちが、日本人でない事を教えてくれている様でもありました。共に座るその少女の母親と祖母らしき女性も、アジア圏と思われる顔立ちですが、一流ホテルのラウンジでお茶を飲んでいるだけあって、観光なのか?とても上品な服装をしていたものです。

でも、この少女の座る席の周りを囲むのは紺やグレーなどの隆としたスーツに身を包み、白いカッターにネクタイ姿のビジネスマンスタイルの男たちではあっても、アウトレイジな世界の住人達である事は発散される雰囲気に明らかであり、この少女や共に座る女性が、日本人ならばいたたまれず早々に席を立ってしまったに違いありません。ところがこの外国人親子は、ヤクザの存在など知らぬとばかりに楽しそうに歓談していたもので、目のパッチリとしたこの少女は、私と目があうと親しみを感じたのか?離れた席にいる私に小刻みに手を振り始めたものです。

これには少々面食らった私ですが、微笑み返すと満面の笑みを見せてくれたこの少女の姿…
私がその時置かれていた切迫した状況と言う事もあるのかも知れませんが、同じ空間でそこだけ異空間と言うのか、場違いと言うのか、不思議な気がしたものです。この少女は綺麗な緋色の花の柄の入った洋服を着ていたもので、日本の子供では着ないであろうその服の絵柄も手伝ってか、何故かそれが強く目に焼き付いた私だったのです。

しばらくしてより、親分衆と共に店内に入っていたと思われる他の組織の人間が、ラウンジに待機する私達にチェック(会計)が入った事を知らせてきました。これは店から出てくる事が近い事を意味するもので、ラウンジに控えている各組の人間の間にも緊張が走り、ホテルの正面に車を回す為に席を立つなど、ラウンジに控える人間の間にもあわただしい動きが出始めました。
その中には当然私が所属する上部団体の直系組長達もいたものですが、親分の怒号が響き渡り、もし私がヒット(狙撃)した場合など、類が及ぶのを避ける為に、私はあえて挨拶する事もなく、離れて座り、他の組織の人間の態を終始装おっていたのです。

また各国の要人が来日している時などは、大きなホテルにはテロ対策も兼ねて私服のSP(警察)がラウンジや喫茶にも放たれている時があり、ヤクザらしき人間が集まっていたりすると、こちらに分からぬ様に集音器を向けて会話をチェックした後で、職務質問の上ボディーチェックなども間々あった事から、銃刀法不法所持などの現行犯で逮捕された時の事も考え、犠牲は最小限、そうした時は身内と言えどもそこにいるのが見えないかの様に知らぬ半兵衛を通すのが常でもありました。

そしてそれより少しの間を置いて、ボディーガードを兼ねた若い衆に囲まれた親分の一団が店より次々と出てきたのです。その中には私が籍を置いた最上部団体の組長の姿もありました。離れたところから見守る様に立つ私を一瞥する様に見た組長の目と言うもの…
表情は微笑を湛えている様でしたが、目が笑っていないものを私は見てとった様な気がしたものです。私はその親分に声を出す事なく黙礼で挨拶し、多くのボディガードを兼ねた随行や付き人に囲まれた親分がホテルの前に用意された車に乗り込むのを遠巻きから見届けたものです。

その後、この時話しあわれた内容が聞こえてきたものですが、事実上この時で抗争終結が決定し、私の組織の親分は、その世界の重鎮より、様々な条件をつけられ、実際に外堀、内堀を埋められたに等しいものがあった様で、冷遇覚悟で大組織に残るのか?それとも組織を出てまで亡き実兄の仇討ちをして行くのか?と言うところに追い込まれて行ったのです。

はぐれ者のうたかたの夢は敗れた…

その頃の私はそんな心境だったのかも知れません。

その後、私が所属していた組織は大組織を離脱、大組織より度重なる攻撃を受け、櫛のはが抜ける様に組織は衰退していったのです。私にしても、その時置かれる極道渡世の人の縁から、その後間もなくして大組織傘下の組織へと戻って行きました。霊性への目覚めなどはまだ遥か後の事…
流転の日々は続いたのです。私に殺れと命じた若頭はその後大組織に帰参するも組織を破門された後投獄され病死、またこの若頭が争いとなった時は殺れと命じた相手である○組長は、その後世間を震撼させる事件に於いて射殺され亡くなりました。

私はこのホテルを出る時、また少女と目があったものです。私を見て親しげに微笑んでいる少女が何故か私にはシュールに思えたものです。
純粋さを湛えているかの様な遠目にもわかる大きな瞳…この子供の洋服に描かれた緋色の大きな花が、場違いな修羅の世界に咲く花の様に思え、この子供の瞳を汚す事なく、ホテルを後に出来た事にどこかしらホッとしていた若き日の私でありました。

合掌

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