※画像は下記文章とは関係ありません。
銭湯と言うのも様々な人間模様があって面白いものです。
文字通り一糸纏わず、すっ裸で同じ空間を共にする銭湯のサウナなども、地元の常連、ご年輩の方が座っている時もあれば、板場や厨房の職人、介護施設の職員、高校生らしき十代から二十代の若者たち、肌の劣化と共に入れ墨も色褪せた元テキヤのお年寄り、舎弟分を連れた現役のヤクザ、タトゥーを入れた半グレの一団、カラオケ店舗を経営する社長さん、本山での修行を終えたばかりの若き僧侶まで(笑)
薬草風呂やジェット水流の風呂、ラドン温泉に浸かり、サウナと水風呂の往来で癒やされ整う事に於いては職種や肩書きも関係なければ、優劣や貴賤も無い、ストレスフリーな大人の憩いの場と言うものが銭湯で、サ道などサウナを題材にした映画やタレントが『整う』と推奨しているおかげもあってか、この数年は銭湯を訪れる若者の姿がとても多くなった様な気がするものです。
かと言って、銭湯は決して景気の良い商売では無い様で、重労働の割に儲けが少ない事、後継者がいない事、メンテナンスにかかる費用(電気代、ガス代の高騰も)が甚大な事から年々廃業して行く銭湯も多い様で、私がよく通った銭湯もこの7、8年の間で3店舗が廃業し、それこそ寝巻にサンダルをつっかけて行けるくらい近所にあった銭湯もとうの昔になくなり、せめて小台湯の名前を名残りとしたのか、跡地にはODAIYOUの名前でアパートが建ち現在に至ります。
銭湯のサウナに入る時なども私がどんぶりで身体に刺青が入っている事もあってか、現役のヤクザと間違われ、変な気の使い方や遠慮をされる💦のが嫌で、サウナなどでよく顔を合わせる方には入れ墨は入っていても堅気で坊主の旨を告げて安心してもらう事なども度々ありましたが、おかげで常連の方は私の素性を知るところとなり、コンチワ、どうもの間柄で親しく他愛ない話しなどもさせて頂くものです。
今行く銭湯でよく一緒になる親子連れの客がいるものですが、父親である男性がサウナに入っている間、私が「坊や」と呼ぶ、小学生のこの男性の息子は水風呂をプールと見立ててジャブジャブ遊んでいるもので、かと言って周囲の大人に迷惑をかける様な事はせず、私に親しみを感じるのか(笑)気安く話しかけてきたり、帰り際には父親である男性と現れ「おじさん、おやすみなさい」と必ず挨拶して行くもので可愛いものがあります。
ある時、サウナから出て水風呂に入ると件の坊やがいたもので、水風呂に浸かる私の刺青をまじまじと見て『オジサン、これ痛かったでしょ?お金もいっぱいかかったんでしょ?何で入れ墨入れたの?』などと無邪気な表情で矢継ぎ早に聞いてくるもので『痛くないよ、くすぐったいんだよ、これせっけんでこすると落ちるんだよ、お父さんに聞いてみな』などとからかっていると😆『ぜったいウソだ、だって針で刺すんでしょ、痛くないはずないもん💦』と子供にありがちな好奇心旺盛な様子がおかしく思わず笑いが出てしまったものです。
クールダウンするのに脱衣場で扇風機に当たっていると、身体をふき、帰り支度をしているこの親子の会話が背中より聞こえてきたものです。
『何であのオジサン、痛いのに入れ墨とか入れたの?』と言う子供に対し、私に会話が聞こえていると思ったのか?
『コラッ、あの方は今はお坊さんだからいいの、そういう事言うな』とたしなめる様に言う父親に対し『それなら入れ墨とか入れないでまっすぐにお坊さんになれば良かったじゃん』とこれまた至極ご最もな事を無邪気に言う子供。
そんな言葉に我が人生とは『遠回り』と『せっかち』の連続だったなと。そんな事を振り返り感じるまでにはたんまり時間のある坊やが羨ましく、よく遊びよく学べよと念じつつ、会釈をするこの親子に手を振り、この日六度目となるサウナと水風呂のループに消えた愚僧であります。
合掌
密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰
かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。
あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に
愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。