☆エイリアンも赦しのレッスンの内なのか!?…ヒーリング私記

 


 

 

私はセッションで様々な恐れにとらわれていると話してくださる方などへ、鏡に写る自分に向かって「これを(恐れを)リアルにしているのは誰だ?私だ!」と繰り返し言うことをオススメさせて頂く事があります。

ここ2年程のセッションの傾向として、未成仏や未浄化の霊の憑依を受けていると言う方は以前と変わりなく多かったりもしますが、それに加えて、自然霊や悪魔の攻撃を受けている、あるいは日本に多く飛来していると言われる爬虫類型のエイリアン、レプティリアンの攻撃を受けていると話してくださる方が増えているもので、そうした体験の無い方からすれば、「何か特殊な世界に生きている人ではないのか?」と思われるかも知れませんが、そうした体験を持つ方も、精神が病むところまで追い込まれてしまっている場合は別としても、定職に就き社会人として生活している場合も多く、外見からことさらに識別出来るものではありません。

でも、内面世界、エネルギーを他の存在に侵奪される恐れに於いて尋常ならざるものがあり、そうした方のお話を聞くと稜線を描く様に、若い内から様々なその人ならではの恐怖体験もあったりで、霊能者やヒーラー、神道や修験系の行者、密教僧などの元にそれこそ藁にもすがる思いで助けを求め、そうした事象が解消される事もあれば、軽減した感じはあっても、また元に戻ってしまう場合や…
「私には憑依をはずせないから、もっと力のある方の元へ行きなさい」と、医師によるセカンドオピニオンの様な事を言われ途方に暮れた経験をお話しくださる方もいたものです。

私はそうした方達のお話を聞くに及んで、その時々部分的な解決を見てはまた再発させるそのパターン、外部の誰かに解決を求める様ではあっても、何ら内なる平和に至っていない事などを感じるばかりの時も多く…

見えざる存在や他の惑星の存在であるエイリアンからの攻撃と、いかにも人間の力の及ばぬ事や複雑怪奇な事にその原因がリアルに存在する様に見えながらも、幻想の世界でもあるこの娑婆(シャバ・人間世界)で、その人自身が持ち越してきている見えざる無意識下の罪悪感や恐れの現れとしてそうした対象を選んでいると云うのが本当のところの様な気がしてならないものです。

究極そこに介在しているのは破壊と再生の星、地球にシステム化された「エゴ」であり、「肉体が全て(物質世界含め)」と云うところに人間の目を据え付けさせ、快楽や虚栄、成功、自己実現など、いっけん人間として生きる上でポジティブな要素の様でありながらも、それは同時に身体が朽ちて行く恐れ(死への恐れ)や報復される恐れに囚われる事を発生させている事でもあります。

スピリチュアルやニューエイジの間では宇宙の神秘に惹かれる方は多いものですが、宇宙でさえも、輪廻転生と言う壮大な「夢」のループを魅惑的に見せる大道具でありトリックの様な気がしてなりません。果てなき宇宙、検索すればするほどに様々な事柄が出てくるWebの世界の様に(笑)答えの出ぬものである事は間違いのないところで、外部に答えを求め続けさせるエゴの意図は、神秘的で深遠なものを感じる宇宙にさえ投影されたものがあるのではないでしようか…?

私のあまのじゃくな性分もそこに手伝い、夜空に輝く星も何億光年の彼方から光が届くのを見ているというよりも、見ている私達が星に輝きを与えていると云うのが真実の様な気がするもので…宇宙の神秘構造を追うのは少なくとも私の担当外(笑)宇宙学者や宇宙大好きのスピリチュアルな面々にお任せしたいところでもあります。

スピリチュアルで言われるワンネス(全てが一つ)を知っている方は多いものですが、それは同時に「他者はいない」事を指し示すもので、この世界の人口が75億だとするなら、神の一人子(私達)が75億のパースナリティーに分割してそれぞれの視点から経験を選んでいる様ではあっても、本当は他者などおらず、自らがこの世界に生まれてくる時にエゴとの契約で生じさせているイメージである事…

イメージなどと言うと、血の通った人様をつかまえて何を無慈悲で無責任な事をと思う方もいるかも知れませんが、それは全く逆であり、他者はいないのだから他者にする事はあまねく自分も受け取らねばならない事であり、簡単に言うならば、明らかに争いよりも優しさや共生が良い循環をもたらす事は、経済力や見た目の豊かさなどと言う事よりも、心の平和、平穏にフィードバックされる事に於いてまさしく真実なものがあります。

この地球で生きる私達に課せられた命題と言うもの、その人に応じたテーマや自己実現と言うものもあるかも知れません。
でも、誰しにも共通したお題とは「赦しのレッスン」以外の何物でもないのではないでしょうか?人の悩みと言う時、そこには必ず人間関係があるものです。

病気や事故などもいっけん人間関係とは関係無き事の様に思える事でさえも、病気の発症や心ここにあらずの状態で事故を招いた原因に人の影や画像があったりするものです。

「よく楽しみ、よく学び、よく赦せ!」今の時代の風潮としてよく楽しみ、よく学びまでは受け入れられても、よく赦せは受け身一辺倒なイメージがあったりでなかなか抵抗感を持つ方も多いのかも知れません。
でも、赦しのあるところに初めて愛は顔を出すものである事は、元極道から密教僧侶ヒーラーとして現在活動する私にとって身に沁みて感じる事でもあります。

この地球、人を通して、時には見えざる存在を通してさえも罪悪感を浮上させ、それを解消するレッスンの場である事…
そう言う意味では冒頭の悪魔やレプティリアンでさえも、その人ならではの罪悪感や恐れに形を与えているものである事、私はそうした意味からも、そうした事象に悩む方にサイキックでの対処やヒーリング、密教僧としての加持祈祷なども行う一方で、肉体として見れば限界があり制限だらけの自分の様ではあっても、本質は神の一人子として、何ら攻撃など受ける事のない神と共にあるスピリットそのものである事をお伝えする事も多いものです。

恐れの種類に関わらず、自分の頭をもたげる様な事が生じた時は下記の言葉を鏡の前で繰り返し唱えると良いかも知れません。何がどの様にと言うことよりも、唱えている内に自らが光である本質に気付く事が出来たりもします。

ゲイリー・R・レナード著
「神の使者」より引用

『わたしは不死の精霊だ。

この身体はイメージに過ぎない。
私とは何の関係もない』。

『あなたは不死の精霊だ。

全体であり無辜である。

すべては癒され、解放された』。

 

以上の言葉は、特定の相手に葛藤を感じている時なども有効です。

合掌

 

 

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