☆あなたの真のメンターは聖霊ではありませんか?ヒーリング私記

 

 
 
 
もうだいぶ前の事…
 
ある方より連絡が入り、カルト教団に洗脳されて困っている人間がいるので、カルト脱会の観点から話を聞いてやって欲しいとの事で会って見ると…
 
教団をやめる気はあるのだが、きっかけがなくなかなかやめられないと目の前で話す男性は、四十代半ばの方で、全てを私に話して良いものか?逡巡している様子がありありと伺えるその話しぶりでもありました。
 
それもそのはずで、その方が〇神様と呼ぶ、教団に入る事を勧め、きっかけを作った人間は、教団本部の幹部を兼ねており、お寺で言うなら兄弟子、会社で言うなら直接の上司にあたる人間でもあるのですが、同時に寮に住み込みで働く会社の社長でもあり、この方の宗教から住居、収入までを監督下に置く存在の様で、朝の朝礼からこの教団の教義を唱え、頻繁に行われると言う会社の業績などにおける個々の仕事に対する姿勢や成績などを評価批判し合う集団でのカウンセリングの際なども…
教団の教えが仕事の現場に活かされているのかチェックが入るとの事で、この方にしても会社の業務の不透明な部分や上司の表裏ある仕事への取り組みに不信感や不満があっても、それを口に出せば、「信心不足、精進が足りない」と教団の教義を盾に取られていなされるばかりで、辞めようにも、住み込みで年月も経っている上に、仕事を見つけるとなれば新たにアパートなり住む場所も見つけなければならず、そんな事が自分を億劫にしている事や、自分の低い学歴の割には給料も良い為に辞めると云う気になれずにここまで来てしまった事などを意を決した様に正直に話しだすのでした。
 
私はこの方の会社で行われると云うカウンセリングの話しなどを聞いている内に「少年院のひっつき集会」を思い出したものです。
 
※ひっつき(隠語・イジメ)
 
少年院では矯正教育に基づいて院生の生活態度などをお互いに批評し合う各班での集団でのカウンセリングなどが設けられていたものですが、そんな事は建前で、回答に窮する様な理不尽な質問攻めにするなどの揚げ足の取り合いが教官立ち会いの元に公然と行われていたものです。更正を誓い、教官から覚えの良い模範を気取る院生などに執拗に攻撃が向けられる傾向と言うものもありました。
 
こうした事から真面目に更正を決意した人間も「朱に交われば赤となる」のたとえの如く、いつの間にか派閥形成に飲み込まれて、中で幅を利かす人間の後ろを付いて歩き、ヅケ取り(ご機嫌取り)をする様になっていったりするもので、「少年院や刑務所が犯罪学校」で更正が難しいと言うのはこんなところにも一因があるのです。
 
私が少年院に入所した頃と言うのは、長い間の因習化した少年院のヤキ(暴力・特に新入生に対して)やイジメが酷くて、自殺者が出るなど社会問題となった事が背景にあり、そうした事から、新入に対する院生の通過儀礼の様なイジメを徹底的に排除するなど、施設側が取り組んでいた時期でもあり、効を奏しているかの様でもありましたが、教官も心得たもので、外傷に残らぬ様に柔道の技で投げ飛ばす、竹刀で叩くなどは日常茶飯に行われていたものです。
 
炎天下の夏の日も、重量挙げの国体選手だったという教官の「コラーッ!貴様らテイチク使っとんかい!」と怒号響き渡る中、午前中の早い時間から昼までインターバルトレーニングが行われ、広いグラウンドをただ走らされるばかりでなく、うさぎ飛びからアヒル歩き、腕立て伏せ(300回)腹筋(300回)背筋(300回)ヒンズースクワット(300回)などのメニューを消化しながら走るもので、娑婆(ジャバ)ではネオンにたむろする夜光虫の様に不摂生をしてきたヤクザの若い衆や覚醒剤の注射や密売で捕まった若者、暴走族や泥棒で施設は慣れっこな若者までが、あまりの運動のキツさに輪になってゲーゲー嘔吐していた光景など、今でも鮮やかに思い出す事が出来るものです。
 
※テイチク(テイチクレコードからくる隠語で、大袈裟な芝居、役者がかっている事などを指す)
 
反則ばかりして独房に入れられていた私は、謹慎体操と呼ばれる懲戒処分(刑務所は懲罰)を受けている謹慎中の運動時間など、炎天下で熱いグラウンドを他の謹慎者と共に、足を持たれ、手押し車でグラウンドの周回をさせられたもので、終わって見ると両手の平の皮がベローッと火傷した様に、一枚剥がれ血が流れていたもので、それを見た教官が「ヤワな手の平しやがって…」と嫌味を言ってきたものであり、この時はさすがに殺意さえ覚えたものです。こんな時の治療と云うものも、せいぜい医務室に連れて行かれてヨードチンキを塗られておしまいでした。
(原液そのままなのか、殺菌力は抜群でしたが 笑)
 
話は戻って…
 
冒頭の方の話は、自らが所属する教団の教祖が説く教えにも及んだものですが、私に「正仙サン、教祖様が、アセンデッドマスターと呼ばれる様な悟りを得て天界から人の指導霊となったり、サポートを続ける存在でも、時代の進化について行けなくてはサポートが困難になる為に、時には状況を把握する為、輪廻転生して地上に帰ってこなければならない時もあると仰っていたのですが、本当でしょうか?」と言うので…
 
「もしそうだとしたら…極端な話し、釈迦もキリストも新型のスマホが出る度に、ハイブリッド車から完全な電気で走る車が普及する度に、千年も前にはいなかったスタイル抜群の美女が街を歩く度に(笑)天界から逆さまに落っこちてこなければいけないのではないですか?」と言うと、
 
「スマホ?電気?」と腑に落ちない顔をしたこの方でした。
 
※アセンデッドマスター
天界にいる高尚な魂をもつ霊的存在。 イエス・キリストやブッダに代表される。 過去に人間として地上で生活をした後、天界にて神の観点から人間をサポートすると言われている。
 
「時代の進化と言う事で言えば、千年も前の人間など想像だに出来ないほどの進歩を遂げているのは分かりますよね?」
 
「ええ、それはわかります」。
 
「でも、仮にもアセンデッドマスターになって人をサポートしようする存在にとってそんな事を追っかける必要があるんだろうか?」
 
「でも、教祖様は必要だと言っていましたけども、人間は永遠に輪廻転生をするものだからと…」
 
「でも、お釈迦様は輪廻転生など幻だと説いているし、出家しているお坊さんにとっても、俗世で生きる人にとっても、この娑婆は辛いところだから、輪廻転生はしない方が良いと説いていますよ。そんな進化する度に輪廻転生しなければならないとしたなら、アセンデッドマスターなんて言ったところで、落ち着きを得ない戦々恐々としたこの世界の人間と何ら変わるところないやね…」
 
「・・・・」
 
「アセンデッドマスターは勿論、本来なら貴方の慕う教祖様だって、霊的なサポートと云う事がそのメインとしたなら、どんなに時代が進化しハイテク化が進み世界構造が変わろうとも、『その人間にある愛や闇を見つめる事に他ならない』とは思いませんか?言い換えるなら、その人の内在するものにフォーカスするだけであって、時代背景がどうとか、社会構造の激変だとか、外見がどうとか、仮想通貨がどうだとか(笑)そんな事は演劇の舞台設定と同じで、アセンデッドマスターからすれば鼻にもかけない事だと思いますよ。それに失礼な事を言う様だが、輪廻転生をチラつかせておいた方が、貴方を縛りにかける上でも教団側には都合が良いのではないですか?アセンデッドマスターだって輪廻転生して学ぶんだから、貴方達もしっかり教団の教えに従いなさいと言う具合にね…」。
 
と私に言われて、少し気色ばんだこの方…
 
「それなら正仙サン、教団を辞めても、私を教団に導いた人ではあるけども、会社の社長は人格者だと思うので、人生のメンターとして交流を続けて行きたいと思うのは間違いじゃないですよね!」と言うので…
 
「貴方が誰を信じ様と自由だし、収入を得ている会社の社長だから関係を残して置きたいのは人情からすれば分からない事もないが、宗教、会社と入り組んで共依存の関係にある人間が、何がメンターなの?あなたが教団を辞めてその社長と良好な関係など残して置く事は出来ないと思ってまず間違いないと思いますよ。教団を去る時は会社は勿論、今の会社の寮を去る時、全てイコールしていると思って腹の括りが出来ない限りは今の状態でいるより他ありませんよ。カルト脱会の観点から話を聞いてやって欲しい と〇〇さんから聞いて今こうして来ているけども、貴方の箸と茶碗(収入)に関わる事だしお節介は私もごめんだ、後は自分で決めてください」と、この時には遅れてこの件を私に依頼してきた方も同席していたので、その方と少し話をした後、帰宅した私でした。
 
「メンター」と言うワードもここ数年トレンド化しているワードでもある様で、メンターの意味は影響や師事を受けているなど、広範囲なとらえ方もありますが、自分だけのメンターを持っている事が一つのステータスの様に誤解されている向きもある様で、私のところにおみえになるお客様の中には、自分が教えを乞うた教師やセラピストが、ブログやフェイスブックでやたら「私のメンター」で始まる文章が多い事に辟易し、「私は人の受け売りしか出来ぬ実際は空っぽなセンセに付いてしまったのでしょうか…?」と嘆く様に話してくれる方もいたりで、生徒と言えども、教師の文章にあるものを明け透けに見ているものです。
 
スピリチュアルな世界に足を踏み入れ、ヒーラーとなり、僧侶となり、真摯に謙虚に時には強い葛藤を感じながら(笑)学びと気付きを重ねてまいりましたが、過去にはアウトレイジな世界で生きた私でもあり、その世界に生きる人間を通して、人の弱さや寂しさ、破格の求心力のある人間の顛末などを垣間見てきた私にとっては…もう、人に盲信したり、人に自分を預ける命数とも情熱ともつかぬものは使い果たしてしまった様な気がします。
 
メンターと言う時、その相手を部分的に見ているのか?自身に問いかけて見るのも良いかもしれません。何故かと言えば、それがビジネススキルであろうが、スピリチュアルであろうが、人生指南の師匠であろうが、メンターと崇める人間の内面にあるものは確実に自身との関係に影響を及ぼしてくるからです。
 
ある時期からメンターの教えに矛盾を感じ始めたり、人柄に不信を感じたり、引き合う様に関係が潰えたりした事などをブログなどでカミングアウトする人も多い時世の様です。
 
誰の何を信じ様とも教えを乞おうとも自由ですが、せめて、人の自由意思を尊重してくれる風通しの良いメンターに付きたいものです。
 
ちなみに天の邪鬼な私などは聖霊(ハイアーセルフ)こそが最大最強の人間のメンターだなどと思ってしまいます(笑)
 
※聖霊(ハイアーセルフ、ホーリースピリット、内なる神、高次の自己などとも言う。過去生、今生、未来生のカルマや課題の全てを統括し人間の日々の経験を通しサポートする存在)
 
その後、冒頭の方が教団を離脱、会社を辞めるにあたり、借金の問題などで少し揉めたものの、円満に他の土地に移り住んだ事など連絡が入ったものです。
 
                       合掌
 
 
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