★人生交差点…ある女傑の回想①

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※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

愛犬チビと散歩から帰ってくると、おりからの強い風で飛ばされたのか? 家の前の道路に某政党のポスターが落ちていました。

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このポスターにあるブラック企業は許しません!と言うワード…
ブラック企業と言う時、それはバブルの時代に流行りし、企業舎弟やフロント企業などと言う言葉とはまた違う意味がある様で、パワハラやセクハラが横行し、皆無の保証制度や低賃金で生活の維持すら出来ない様な、その劣悪な雇用状況を指す言葉の様です。

ところで…このポスターに描かれている指を差す漫画のキャラクターを見ている内に、私が二十代の頃に、半ばボディガードの様に一緒によく仕事をさせて頂いた今は亡き某病院の理事長の姿を思い出すものがあり…
まさにその理事長とは、漫画のキャラにしたならば、服装から髪型までこんな感じの女性でもあったのです。

有閑マダムを思わせるド派手なディオールのサングラスに、美川憲一ばりのスパンコールの入った特注のスーツに身を包み、決してスカートなど履く事もなく、下はパンツルックの上下スーツ姿で何処にでも現れた方でもありました。
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私は極道当時、色んな職業の方や会社の社長さんと交流もありましたが、女性の起業家や社長さんとも交流があったもので、極道の世界で『姐さん ねえさん』と呼ばれるヤクザの本妻や愛人だけでなく、堅気の世界にも色んな女傑な女性と言うものを見てきた様な気がします。

そんな中でも、この女性はひときわ異彩を放つ方でもありました。
総理大臣経験者や財界の大物、昭和の時代に一世を風靡した俳優とも親交があったりで、そんな事から、この理事長より、芸能界の関係者に貸した金銭の取り立てを頼まれる時などもあったもので、この理事長が先方に貸した金を私が回収してきては連絡を入れ、その都度、取り立てた金の折半の金額を礼金として貰うのが常でもありました。

二十代の一時期はキリトリと呼ばれる債権取り立てだけでメシを食べていた私でもありましたが、債権取り立てもピンからキリまであり、言葉のたとえが悪いかも知れませんが、あたり前に貸した金を返して貰えるなら、誰も手数料の高くつく極道に取り立てを頼むはずもないのです。

地獄の沙汰も金次第とはよく言ったものですが、個人間の金銭の貸し借りなどは因果がハッキリしていてわかりやすいものが多く、金を借りた当人が、借りる時は藁にも縋る思いで、相手が仏の様に思えても、いざ金を返す段になると、約束した金利や元金の支払いが重くなってしまい、相手が鬼に見えてしまうのも、債務者の偽らざる心情に見える時が多かったものです。

そんな時は、借用書や債権譲渡書など、ただ債権債務の権利関係をタテにカマす(脅しあげる)ばかりでなく、例えば債権者と債務者が友人の場合など、『あんたがどうしても貸してくれ言うから、この人もあんたの女房子供も知っとるし、なんとか立ち直ってもらいたいと思って、用立てた金と違うんかい?えっ、どうなんだよあんた?急場を凌げば後はシカトでええのか?喉元過ぎれば何とやらで、人の恩もあだで返すんかい!黙っとらんで返事ぐらいせんかいっ!!』と、お互いの間にあった情の部分さえも、さもありなんに話しの上で絡め、債務者を精神的に追い込み、金を払う心情にさせる事も、債権取り立ての現場で求められる機転でもあったのです。

こうした場合、最後は『すいませんでした…。』と、金銭の支払いを確約し、涙を流す債務者と債権者との間に立ち、『よかったやないか、これでわだかまりも解消や、さあ、今までの事は今日を限りに水に流して、お互いの手を握って…』と、わだかまりを残し、後で『脅された』などと警察に飛び込まれぬ様に、ガッチリ双方を握手させてしまうケースもあったものでしたが、金を取られたと言う様な被害者意識にさせずに、人間関係の不和さえ解消出来たと言うホッとした様な気持ちに相手の気持ちを着地点として誘導して行く事も、時には必要な心理テクニックでもありました。

また、少々言葉の例えが悪いかも知れませんが、逆さに振っても鼻血も出ない様な人間を相手に債権の回収に臨まなければならない時も間々あり、他から借金もままならぬブラックな人間など、何らかの仕事をさせ、その利益分から回収する機転が必要になる時も間々あったものでしたが、これが仕事や事業に絡むものだったり、不動産や土地の売買に絡んだ債権債務の場合など、ストレートな金銭の貸借関係ばかりでなく、借用書の外で為された利益の分配など、お互いのみが知る黙契と言うものまでが話しの上で持ち出され、複雑極まりない話しの展開になったりもするもので…

『私はこの人間から貰うべき金はあっても、払うべき金などビタ一文ありません!』などと開き直る人間がいるかと思えば、

『私と一緒にした土地取り引きで、私の利益分までこの人間はポッポに入れた(懐に入れた)のだから、この借用書の借金は帳消しのはずだ!』と債権者にくってかかる様な物言いをする人間など、黙って見ていた日には、債権者と債務者の揚げ足の取り合いが延々とエントレスする事なく繰り広げられるだけで、いっこうにラチがあかないケースがあったりするものです。

でも、債権者側には取り立てを代行する者として、債務者側には債権者をガードし守る者として、極道が付いた時点で、急速に話しは決着に進んで行くものです。
でも、時には組織の力関係や話しに臨む人間の器量に圧倒されて、債権者と債務者の立場を逆転されてしまい、債権者が債務者より明らかに貰うべき金と言うものがあるにも関わらず、借金を帳消しにされてしまうばかりか、挙げ句の果てには逆因縁(さかいんねん)を付けられペナルティ(金)を取られる事もあるのです。

相手に付くヤクザが腰が引けていると見るや、さらにイチャモンをこしらえてでも、とことんきつく出るのも、当時の極道同士の掛け合いの実際でもありました。

よく極道の世界を称して『ヤクザの世界の人は筋を通す』と言う人がいたりしたものですが、私が若い頃より見てきたヤクザの世界とは、力のある者が筋を作り変えてしまうと言うのが本当のところでもありました。
でも、これはヤクザの世界に限った事ではなく、国家間や人間同士が関わりあう場のすべてに大なり小なり発生する、適者生存、弱肉強食の振り子の法則でもあるのです。

こうした債権取り立て一つとって見ても、取り立てるヤクザにしても、債務者をガードするヤクザにしても、その力量は常に問われるところであり、例え分の悪い債務者側に付いて臨んだ話しでも、債権者側に付いたヤクザの気迫にに呑まれ、向こうの要求そのままの金額を払う様な事があると、後日になって『○○から俺は金を取ってやった』『○○は俺に金を付けた(払った)』と、相手の手柄話しとして吹聴されるところとなり、地元の極道社会でたちどころに噂話しとして拡がったりで、人気商売の一面のある極道の世界に於いては、こうした風評一つでも、箸と茶碗(収入)にハネ返ってくるものがあり、穏やかな話しの中にもお互いの面子を賭け、斬り結んでいる様な緊張感と言うものが常にあった様な気がします。

つづく

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