★人生交差点…体罰・仏教と名の付く学園の回想②

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※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

私が十代の頃に暴力事件を起こし、委託試験観察処分で送られた仏教と名のつく学園でしたが…

ここでの作業と言うものは、碁石で知られるナチグロなどの石を、サウンドペーパーで磨きあげる作業が黙々と午前中、午後を通し続いて行くのでした。

それは粗い目のそれから始まり、磨く工程と共に、細かい粒子のサウンドペーパーで磨き仕上げて行くのですが…

ちょっと注意散漫になると、石に不要なキズが付いてしまい、またやり直さなければならず、今考えてみると、たかが石磨きではありましたが、集中して作業や仕事に従事させる矯正教育としての目的も当然あったのでしょうが、
今振り返ってみると、石磨きを一つの忘我の境地に達する禅や瞑想として体験させる意図もあった様にも思え、こんなところにもこの学園に仏教と名の付く由縁があったのかも知れません。

この学園での生活にも慣れてきたた頃…
私は中で舎弟分を作り、掃除の際の、地獄の雑巾がけの回数もごまかす様に園生に根回しをしたりで(笑)遂には園長から『貴様が来てからどれだけここのルールが変わったと思っているんだ!』と睨まれるところとなり、その後数ヶ月して私は白昼堂々、舎弟分を連れて学園を脱走したのです。

逃げる際、玄関脇の居間の前を通った時、開いた扉からは、今となれば確か観音様だったと思うのですが、室内に置かれた金箔に輝く仏像がチラリと目の隅に入ってきたのでした。

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この部屋は更正婦人会の方が詩吟などを教えて下さる部屋でもありましたが、ある時、この部屋で私達を目の前にした園長が『この仏像の前を素通りして逃げた人間で誰一人幸せになった者はいないぞ…。』と語った言葉が、逃げる私の背に冷水を浴びせるかの様に思い出されたものです。

いつもと変わらぬ学園の日常…
作業に黙々と励む園生達の前で、園長から表へ出て、庭木の手入れをする様に言われたと、デタラメな申告をして学園から脱走した私達でしたが、そんな私達の申告を不審に思ったのか?

『リーダー』と園長より命名された最も古い園生が、いつの間にか背後から追いかけてきており『兄貴ーッ!逃げてくれーっ!』との声に振り返ると、マルと呼んだその男はリーダーと呼ばれた園生に捕まり羽交い締めにされていたのです。

両親の顔を知らずに親戚をタライ回しにされて育った事を話してくれた事のあるマルは、純粋な目をした人間でしたが、そんなマルの姿に後ろ髪引かれるものを感じながらも、サイを投げ後戻りの出来ぬ私は、『あせるすまぬ…。』と心に念じそのまま止まる事なく走って逃げたのでした。

しかしながら、その後ほどなくして再犯で捕まり、中等少年院に収容されたものの、反則ばかり重ね、特別少年院に不良移送された私だったのです。

特少(特別少年院の略)でも、管区が同じ事からか、学園にいる時に詩吟を教えてくれた先生が、私のいる班に講話に訪れる時があったものです。

この年配の女性は今思うと、何らかの信心をされていた方の様にも思え…

『皆さんには肉体と共に霊体がある!寝ている時は霊体が監視しています。だから寝ている時に何か肉体に侵入し様とするものがあれば、霊体が危険を教えてくれるから、うなされたりもするのです。』と、端整に和服を着た、いかにも詩吟のお師匠然とした雰囲気からは似つかわしくない霊的な話しも、冒頭によくしてくれたものです。

勿論、規律厳しい矯正施設の事でもあり、気安く声などかけられるはずもありませんでしたが、塀の中でさえも巡る人の縁の不思議さを感じたりで…

『ヨイショッ、ショッ、ショッ、ショーッ!根性出してーっ!頑張ってーっ!』と裂帛の掛け声と共に行った学園での雑巾がけの風景や、それと共に『兄貴逃げてくれーっ!』との言葉を背中に聞いたのを最後に縁の絶えたマルの顔が思い出されたものでした。

高い更正率を誇る学園でしたが、この学園で一緒だった人間の中には少年院で再会した人間もいたものです。

少年院は矯正施設と思われていますが、犯罪学校の一面があり、特少ともなると、中学生の頃より教護院や初等少年院に入所した後、さらには中等少年院を経て特別少年院に入所するなど、十代の殆どを塀の中で過ごした人間も多かったりもするもので…

一般社会では前科前歴として、ハンデになるそうした事も、裏社会では『エリートコース』『金筋・きんすじ』などと言われ讃えられる風潮さえあったものです。

しかし、そんな中にも、窃盗を犯した者はドロボウと呼ばれ馬鹿にされ、婦女暴行などの罪状も、破廉恥扱いを受けコケにされるなど、『犯罪に格差などあるのか!?』と一般の方からみると奇異に聞こえるかも知れませんが、そうした犯罪社会特有の倫理構造は少年院から刑務所にまで引き継がれている事でもあり、十代の内よりこうした施設に入り浸る事は、矛盾や不条理も黙って飲み込む処世の術を自らに叩き込んで行く事でもあるのです。

少年院に何度も入所した様な施設慣れした者は、あらゆる事に目ざとく敏感でもあり、少年院なら『先生』と呼ばれる教官の性格や教官同士の力関係、誰が院生に手をあげ威厳を保つ為の『軍曹役』を買っているのか?と言う事や…
機嫌が悪い時など嫌がらせの様に院生を些細な違反で連行して行く時のパターンまで熟知して行くところとなり、

例えば、ウルサイ教官の前では返事一つ、気を付けの姿勢一つでも、油断なくするのに対し、院生同士の些細なトラブルにも見て見ぬフリをする様な、大人しい教官や、サラリーマン化した教官に対しては、反抗的な態度を取ったりと、人を見て態度を変える表裏の使い分けは、自ずと身体の一部となり、言い換えれば、二重規範とでも言うべき意識構造が根を下ろすのも、こうした矯正施設の中だったりもするのです。

少し話しが逸れますが…

『ちょっとビシ、バシしてよ!』と今時の女子高生でも使う『ビシ、バシ』と言う言葉も、元は少年院で使われていた隠語だと知ったら驚かれるでしょうか?笑

前章で学園の園長が『おまん達、監視体制に慣らされるじゃねえだよ!』と事あるごとに言っていた事などにも触れましたが、まさに施設での、この表裏を使う姿勢が、
見られている時だけ要領よく真面目にやってればいいと言う、正業に就いた際なども、表裏ある、一貫性の無い不誠実さに繋がる事や、犯罪もバレずにやればそれで良し!とばかりに、犯罪を是とする信念さえも形成する恐れがある事を指していたに違いないのです。

この園長とすれば、口で言ってもわからない人間には身体で教えるより他なしとばかりに、竹刀を振りあげ打ち据えていたのかも知れません。
またどの園生にも、相応の愛情を持って接しているかの様にも私には見えたものです。

でも、再犯を繰り返す犯罪傾向の進んだ若者は、片親や、幼少期に親からDVを受けるなど、寂しい生い立ちの場合も多く…
スピリチュアルな世界では、暴力は不当化のエネルギーの極みとも言われたりしますが、寂しい性根を持った人間にとっては、人からも自らも不当な扱いを受ける事にも慣れてしまい、この学園に見られた体罰の様な事も、涙を流して改心するどころか『泣きなど入れてたまるか!』と不良の意気地を強める結果になりかねず、またある人間にとっては益々卑屈な世界観を色濃くするだけの働きしかもたらさないのかも知れません。

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今思い出しても、とても深い情を持った学園の園長でしたが、『貴様はどうしてわからんのだ!なんで貴様の根性はそう愚連隊なんだ!』とその罪を憎むかの様に竹刀を振りあげれば振りあげる程に、自らの求める矯正教育の理想が遠ざかる空しさを感じる事も多かったのではないかと思ったりもします。

体罰と言うものが効を奏する時と言うのは、叩く方も叩く痛みを心に感じながら叩く様な時…
こんな時、叩かれる方にも情動の部分でまっすぐ伝わるものがあるものです。

こうした方と言うのは教師の方にもいる様で、叩いた事を悔いたりで、叩かれた生徒以上にショックを受けて寝込んでしまうデリケートな先生がいる事なども聞いた時があります。笑

私が過去にいた極道の世界でも、昭和の頃は個性的な親分が多く、中には自分の若い衆を人間サンドバッグの様にヤキを入れる事で有名な方もいたりしたものですが、そうした方に仕えた人の中には、自分の苦労が身に沁みている為か…
自分が舎弟や若い衆を持つ立場になった時、下にいる人間に、よほどの下手売り(へたうり・失敗や不手際などの意味)がない限り、決して手を上げない事を信条としている人などもいたものです。

合掌・つづく

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