先日の深夜、ケーブルTVで『サヨナライツカ』と言う映画が放映されていました。
原作は作家の辻仁成で、同タイトルで小説も出ている様で、映画を見た方も多いのではないでしょうか?
韓国のイ、ジュハンが監督を務めただけあってか、日本の映画では見られない様なアングルで撮影されているのが斬新で、見終わった後で少し余韻の残る映画でした。
今や往年のアイドルとなってしまった感のある中山美穂ですが、この映画では不倫の愛人がその役所…成熟した演技を見せ、悲恋に死んで行く一人の女性を見事に演じきっていました。
でも、私は静かな姿を見せながらも、夫が異国にいる女性に傾倒している事を知りつつも、笑顔で単身赴任に送り出すその裏で…
本当は内面では葛藤し、嫉妬の情念を演じてみせた石田ゆり子の姿にとても惹かれるものがありました。
映画のラストの方で、中山美穂演じる愛人が亡くなり、夫役の西島秀俊が車を走らせながら悲しむシーンがありました。
その時、印象的な詩の様な言葉が流れ…それはまるで一度は妻や家族を捨てて愛人の元に走ろうとした夫に対する皮肉の様でもあります。
この言葉、悲観的で暗いところもあり、スピリチュアルな観点で言えばネガティブな印象さえあります。
でも、男女の恋愛ばかりでなく、多くの出会いと別れを経験してきた私にとって、とても胸に透るものがありました。
同じ屋根の下で暮らしながら、とうに潰えた愛情で、お互いの孤独を尚更に重くしている方達の多い昨今…
この言葉にひとつの処世としての爽やかささえ感じるのは私だけでしょうか?
いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うがよい
愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある。
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩りあきさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間消えてしまう氷のカケラ
サヨナライツカ…
永遠の不幸もない
いつかサヨナラがやってきて
いつかコンニチワがやってくる
人間は死ぬとき
愛されたことを思い出す人と
愛したことを思い出す人にわかれる
私はきっと愛したことを思い出す
辻仁成
合掌