あるがままの自分と対機説法・スピリチュアル私記

あるお客様いわく『スピリチュアルなセミナーやクラスなどの集まりに属する人達って、その会というのかグループのリーダーがSNSで発信する内容や集客に向けてインパクトがある言葉なんかを共有していて、自分のセッションにも受け売りの様に使っていたりしまよね?まあそれはいいんですけど(笑)でも、それが今の私にどの様な関係や意味をもたらしているのか聞くと、しどろもどろになったり、慌てて💦こちらがまるでピンとこない過去世の話にすり替えたりで、要領を得ない後味の悪いセッションをされる方もいましたね。結構スピスピして有名な方でしたけど』と話していたもので、厳しいご指摘ではあります(笑)

スピリチュアルな教師と云うものも気を付けていないと、自らは常時、アルファ波やシータ波の中に身を置く悟りの賢者の様に、生滅変化の因果法則、諸行無常は他者にこそあるのであって、自分には及んでいないという錯覚に立って、セッションやカウンセリングを行う方も多い様で、こうした事からクライアントや生徒さんから思わぬ反応や投げつけられるものが出てくると、驚きやショックを受けてしまい、自分のスキルが悪かったのかと💦慌てて教科書をめくり(笑)小手先を見るばかりで、高みに立とうと一生懸命で、一方通行になっている自分の心の在り方、思考パターンに気付かずに未消化なセッションを繰り返したり、トラブルを生じさせる方もいる様です。

自己啓発、スピリチュアルな観点からもよく言われる『あるがままの自分で良い』とは、確かに絶望の淵にあって自らを責め立てたり、罪悪感に苛まれている人への一時的な慰めの言葉や方便にはなるかも知れません。

でも、人間というのはその人なりのあるがままと云うものを持っており、周波数、振動、カラーとそれは置き換えても良いものです。


極端なたとえで言えば、冷酷な殺人鬼だってそれは同様なのです。スピな世界のバイアスとでも言うべきものに、人間誰しもがピュアで汚れ無き天使性でも持ち合わせているかの様に十把一絡げに見る傾向がありますが、愛ある視点で人を見る事は大切なれど、その人間の今生での業(カルマ)の中にはその人間のアーキタイプ(原型)や性格、思考や行動パターンなどもプログラミングされたものがあり、それはよく言われる複雑な家庭環境や貧困、親からのネグレクトにさらされるなどの幼少期を含めた後天的な体験や学習が全てではありません。

持って生まれたかの様にとかく攻撃的だったり、情の観念に希薄で、欲望や怒りのままに起こす侵害や過干渉(搾取、依存も)が芯にすり込まれた様な人間もおり、そうした人間にとってのあるがままなど、粗暴著しく、脱線、逸脱そのものに他ならず、動物的な本能で、機械的に反応して生きてきた無知、無明のそれから、知性や理性に目覚め、人の痛みを知り、良心、常識、道徳に至るまで、時には人や社会から排斥されるかの様な体験をして学んで行かなければならなかったりと、それだけで今生のミッションを終える人間もいるのです。

この様な事を踏まえた上で、中立な視点視座を養う事が大切で(人間、贔屓も片寄るのでなかなか難しいのですが、笑)せめて、勝手な世界観やこちらの思い込みから生じる人物像を相手に投影した上でセッションを行う事の無き様注意しなければならない様です。

仏教の開祖お釈迦様はその人の精神状態や理解能力、今の置かれた立場に応じた言葉やストーリーを使い真理を諭す『対機説法』を駆使した方でも知られた方ですが、これはお大師様(弘法大師空海)なども重要であるとその教えの中で触れているものです。


これは過去に極道の世界に生きて、千変万化にも人の妬みや憎しみ、強欲、飽食、暴力、剥き出しの何たるかに出くわしてきた私にとって、全く持って納得出来る教えであり、骨肉の争いや地獄の沙汰とでも言うべき状況にも金の匂いを嗅ぎ取り、自らが出張ったからにはガキの使いに終わらせず、金になる様に無理にでも仕向けると言うのがその世界の習いでもありましたが、当然ながらそこに善意やヒューマニズムが特に介在しているわけでもありませんでした。

でも、こうした事を収めるにあたって、癇癪を起こし口角泡を飛ばし論陣を張る人間の奥底にあるものを見抜き、その人間の今の状況にふさわしい言葉や抑揚、物のたとえさえ選び話した事で解決を見る事などもあり、これなども対機説法の別バージョンと言えるものかも知れません。

簡単な話しが、怖れや拒絶で凝り固まっている人などへ仏教のお法話やスピリチュアルな真理を話しても耳に入らない時もあるもので、そうした時『人様から学として上っ面で学んだ事を偉そうに言うなよ💢アンタの体験から来るものを聞かせてくれ!』と言わんばかりの想念が以心伝心でこちらに伝わって来る様な時もあり、そうした時、その人の問題に即した私の体験やケースなどをたとえに出す事で、理解を深め、気付きを促す事さえ出来たりするものです。

私などは元極道なので、清濁併せ呑む判断に長けていると思われるのか(笑)不倫や浮気、やらかしてしまった事に免罪符を得ようと、清濁の内、濁の方にすがってくるかの様な人もおり(笑)勝手な拡大解釈をされて突っ走り、ずっこけられても困るので、どんなに分かりやすく噛んで砕いて話しても、真理とする事はねじ曲げずに伝える事が大切と自らを戒める愚僧であります。

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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