人材不足の昨今、堅気と不良に見られるあいまいさ・雑感私記

※写真は22才、極道当時の私です。

人がいつかない。育たない。今の時代、贅沢言わなければ仕事に溢れてはいても、人材不足にあえぐ会社や職場が多い様で、職務上の事で注意したりするだけでパワハラや暴力だと動画で晒し、労基や警察にも飛び込みかねない有り様で、腫れ物に触るかの様で基本的な信頼さえ築けないと嘆く方のお話を聞く事が本当に多くなりました。

私が昔にいた極道の世界などもどこかの県では平均年齢が51才だそうで、これなどもこの県ばかりの統計ではなく、その世界に若い人間がいない事をまざまざと現しているものです。それはそれで良い事かも知れませんが、中学を出てそのまま組にゲソを付け(組に入る)事務所に部屋住みなどをするのがその世界では普通でもあった昭和のそれを眺めてきた私にとって隔世の感もあるもので、今でこそ『半グレ』と言う言葉もヤクザもどきの集団や組織を指すものになっていますが、当時は文字通り万事に中途半端でヤクザにも堅気にもなれぬ根性無しに対しての蔑称として用いたもので、現代の半グレに相当する様なものとしては昭和の昔からテキ屋、博徒の系譜にも所属しない愚連隊、平成に入ってからは破門者グループなどもあったものです。

ネットのニュースなどにも上がってくる(基本TVは見ません)大きな抗争でヒットマンなどの実行犯として逮捕される人間の年齢を見てみれば私と同年代の人間が圧倒的に多いもので、本来、組織の為、一家一門の為にと『隠居のオッサンは引っ込んどれ!』とばかりに身体を差しだす若手の不在が如実に現れているものです。

車で敵対組織の事務所に突入し、門扉を破損した程度の事ならいざ知らず、銃器を用いての殺傷ともなれば有期刑で30年、無期懲役も当たり前に量刑として打たれる時代で、これが何を意味するかと言えば、鉄砲玉として身体を差し出す事は塀の中で人生を終えると言う事であり、上に立つ者が言葉であろうと雰囲気であろうと迂闊に『行って来い』とは言えぬものがある事は明白でもあります。

ましてや今時の若者にとって、ヤクザの世界などと言うのは金にもならず、疑似家族を為す上下関係疎ましく、自分名義での口座も開設出来なければ(現役は勿論、堅気になっても5年以上の縛り)部屋を借りる事やスマホを持つ事などにも制限を伴い、すぐに警察に捕まるなど、割に合わないスホ根ドラマの極地の様な認識なのであり、ましてや型にハメられるのを嫌い、朝も早くから炊事や洗濯に掃除、事務所当番、親分の車の洗車、運転などをさせられる部屋住み修行などはもっての他と言うもので、行儀が出来ていない💢と上の人間からカマシでも入れられた日には警察どころか労基(笑)にでも飛び込みかねない危うさがあり、そんな人間に組の浮沈をかけた物事を任せられるはずもなく、結局は長い間極道渡世に生きて、親分や兄貴分と心の絆を築いた四十代半ばから今の私くらいの年齢の人間が、刑務所の裏から出てくる(死亡して出所)事を覚悟で行かなければならないジレンマと言うものをニュースなどから見る文面に感じるばかりです。

私なども若い頃は、ヤクザ世界の大きな抗争で、敵対組織の幹部や組長のタマ(命)を上げんとばかりに鉄砲玉として地下に潜る様な日々も体験しており、現代の熟年、中高年の人間がヒットマンとして押し出される構図と言うのは切実に分かるものがあり、かつて山口組の顧問弁護士だった山之内幸夫氏が書いた『悲しきヒットマン』と言う本のタイトルそのままなものをかつていた世界に感じるばかりです。

私がかつて生きた極道世界を擁護するつもりも礼賛するつもりもありません。最近では組長への使用者責任の裁判などでも知られる暴排条例など、現代の厳しい司法の在り方が、組織犯罪や抗争事件の抑止に繋がっているならそれはそれで評価されるべき事ではあります。

しかしながらそのせいもあってか、堅気とヤクザの境界もすっかりあいまいになった様で、都合の良い時は不良を気取り、都合悪くなれば堅気の仮面をかぶる若者などが雨後の筍の様に半グレと化して行く傾向などもある様で、入る時もやめる時(堅気になる)もそれなりの覚悟と痛みを伴うヤクザのそれとは違い、入退室自由な様でありながら、その世界なりの行儀やしきたり、長幼の序を重んじる気風にも乏しく安易なだけに、逆にいつまでたっても稜線を描く様に友達感覚で人生に犯罪がつきまとい真の堅気になれない弊害と言うものもそこにはある様な気がしてなりません。

話が長くなりましたが、このあいまいさと言うもの、不良の世界ばかりでなく、冒頭の堅気の世界にも形を変えて人材不足などの現象として現れているものを感じる事の多い愚僧であります。

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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