ヤクザから堅気になるものの、中身はそのまんまのケースも多いものです。
『俺は堅気にはなったが、男をやめたつもりは無いぜ』とばかりに。
ここで言う『男』とは性別の事では無くて、何かトラブルや揉め事があっても警察は頼らず独自のやり方で解決するといった様なその世界に生きる信念やスタイルの様なもので、これがある内はなかなか素っ堅気にはなれません。
また不思議とこうしたものが腹にある内はそこを攻められ、絡みつかれる事象を引き寄せるもので、現役のヤクザからすれば『そうだよな、アンタも堅気になったとはいえ、男だもんな、サツタレ(警察への通報)なんか出来るはずねえよな?』と脅しと縛りの格好の口実に仕立てられしまう様なラウンドに自らを放り込んでしまうもので、神経衰弱させられるかの様なハードな体験の後、四の五の言う余裕もなく、ぶざまに見栄も虚勢も削がれた真の堅気に押し出され、自分の幻想を身を持って思い知らされる事もあるものです。
また、愛憎やDV被害のパターンなどを何度となく経験する女性と言うものも、その全てではありませんが、寂しさや強い依存心から、粘着質な男ばかりを引き寄せ安易に関係を結んでしまう方などもいるもので、別れる時も身も心もズタボロになるほどの苦労をしながらも、磁石となる依存心や寂しさが解消されていない事から、本当は嫌で抗うタイプの男ばかりを引き寄せ『なんて私って、男運が悪いんだろう?💦』と溜息と共に首を傾げるばかり。
女性の場合はここに、貧困や暴力と共に流産や墮胎の経験などが記憶に影を落としている場合も多いもので(オーバードーズなどの影響も)罪悪感と共に自らを苛み、はたから見れば『苦痛を愛しているに他ならない』様にしか映っていない事を当の本人は気付いていなかったりします。苦痛や混乱の日常から逃れる為に外にある人や状況を変えようとする人は多いものですが、それを表に『投影している映写機』である肝心要な自分の心の在り様、思考パターンから信念、日々選び取っている事までに思いを向け、監視する人は少ない様です。
合掌