観察者と言う言葉が嫌いだった私・立場や思い込みのハードルをおろす事の大切さ

『人間は平面図ではない』とはよく言わせて頂く事でもあります。親切な人かと思えば冷淡だったり、真面目かと思えば浮気者だったりと、こちらが安心したいが為に人は相手に一貫性を求めるきらいがありますが、そのどちらもが今の相手にあるものと理解する事が大切な様です。

『明るいキャラかと思っていたけど会ったらそうでもなかった💦』なんて経験をした方は多いはずですが、人はただでさえ自らの幻想を通して人を見る傾向があるもので、思い通りの相手でないと幻滅したり批判に転じたりもします。

私は今の道に進んだ時、瞑想などでも用いられる『観察』と言う言葉が大嫌いでした。スピリチュアルな世界でも観察者の視点でなとど言う言葉を聞くにつけ、刑務所を出所した後の保護観察でもあるまいし(笑)または昆虫を観察すると言った様に高いところから人を劣ったものとして睥睨する様なイメージさえ覚えたものでしたが、これさえも極道の世界で生きた私が培った世界観、心の垢、メンタルイメージ(画像)から派生しているもので、クリアリングする対象でもあったのです。

今となっては自分の日々の思考、感情、サプライズな出来事、人に接するにも八方に同心円を描く様に自我から生じるジャッジメントや思い込みを避け、観察者の視点を定着させる事無くして心の平和はあり得ないと確信するに至りました。

人と言うのは気持ちの強い時もあれば弱い時もあり、無常の因果法則は当然、私達人間の心にも作用しているのであり、人が自分の思い通りの姿をいつまでも堅持し演じてくれていると思うのは真理に逆らうとんでもない慢心であると理解しなければならない様で、瞑想を行うなど、感情のままに心を汚さぬ努力は自らに対して為すべき事であり、相手に無理強いしコントロールすべきたぐいのものではありません。

されど、特に赦しのレッスンとでも言うべき葛藤の対象が身近な人間である場合なども日々お試しの様に多いものです。それも父であり母であり、夫であり妻であり、彼氏であり彼女であり、男であり女であり、兄であり先輩であり上司でありと言った様な自らの社会に於ける立ち位置が『こうであるべき!』と言う信念と共に私達の脳内にフォーマットとしてしっかりすり込まれている事から、そこに制限制約、様々にも縛りが生じて自由な発想が出来ず、感情の起伏に翻弄されるままにドラマを繰り広げる私達人間であり、相手が思う様にならぬ怒りをぶつけ合うループにはまり込むと言う自我が最も好むパターンを採用しているのも私達人間の実相と言うものかも知れません。

この自分の社会的な肩書きや立場のハードルを内面からおろす訓練と言うのは大切な様で(瞑想や自分に適したやり方で)

『そんな事言ったら社会は成り立たない』

『親は親なんだから子供に四の五の言わせない、それが俺の流儀』

『そんなアイデンティティを放棄する様な事出来るもんか、あんた昔ヤクザの世界で生きてそんな綺麗事言っていいのかよ』(笑)など様々にも意見はあるかも知れません。

でも、これを書いてる当人は昔は瞬間湯沸かし器みたいな人間で、人から言われなき陰口を叩かれたり、呼び捨てにされただけでメンツを潰されたものを感じ相手に刃物を向けて行った人間でした。

人は困った友人の為に何かしてあげたいと言う思いと自己承認欲求を混同させたりもします。とかく大きなお節介と言うケースも多いもので、とかくスピリチュアルな世界でもありがちな病気やケガなどで痛みを負った人の投稿に対して『○○さん、エネルギー送りますね♥』などのコメントが並ぶのを拝見する時がありますが、『あら、ヒーラーの○○さんもコメントつけているから私も一応コメントしておかなきゃね、私のイベントにお誘いしても来てくれた事ないし、それほど○○さんと親しくはないのだけど💦』などの儀礼的なものもそこには感じられ、仲良し小好しで微笑ましいものはあってもエネルギー送るはいらんだろ、などと思う私が単に天邪鬼なだけなのかも知れませんが(笑)そうしたお流れ頂戴的なヒーリングはこれまでただの一度もした試しがありません。

問題やトラブルに於いて、自分の立場のハードルをおろすと言うのは同時に相手への執着をおろす事でもあり、共にの着地点を見出すなどして問題の解消に繋がる事も多いのです。人は何かあると、もっと声をかけてあげれば良かったとか、何かしてあげれば良かったとか一方通行の善行為に悔やむパターンなどもあるものですが、観察者の視点で傾聴を心がけ接する時、こちらから発する言葉も相手にとって的を得たものとなりやすく、自分自身で答えに行き当たり真の解決の後押しの働きさえもたらすものです。

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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