「山の時もあれば谷の時もある」とは人生の流れを現す言葉でもありますが、谷の時がひたすら続くのも人生…肩肘に力が入ろうが入るまいが、それを人生につきものの苦楽と置き換えても、それは高名な人が掲げる人生訓でもなく、著名なカウンセラーなどが掲げる成功哲学の言葉でもなく、その人しか分からぬ質感を伴って経験させられるものです。
これはスピリチュアルも同様で、何か華々しい世界と勘違いされる方も多いものですが実際は地味な活動の積み重ねにしか過ぎません。
1~2年で消えて行ってしまう人間も本当に多い世界です(当然それが本人にとって良い場合も)
「僕のチャネリング能力は凄いんだぞー!」とか
「アタシのヒーリングは凄いパワーなんだから!」とか
「私の天使の声の様なカウンセリングを受けてみて!」とか(笑)
言葉は違えども、自分の持つスキルや能力と言うものを自分の実入り(収入)につなげられぬもどかしさを感じて日々を過ごす方と言うものはスピリチュアル過多と言われる今の時代、本当に多いに違いありません。かと言って口コミだけで集客出来ればそれに越した事はありませんが、どんなに実力があってもその人が…
「どんな人なのか?」
「何をしているのか?」
「何を提供できるのか?」
など分からなければ誰もお金を払ってまで訪れてくれません。
そう言う意味に於いてもヒーリングサロンなどを開業されたいご希望をお話しくださる方に「書く事も仕事の内だと思えますか?」とはよく言わせて頂く事でもあるのです。
ブログやフェイスブックで記事を書く、書き込みする、タイムラインに投稿するなど、書く事への許可レベル、言い換えるなら自分を晒す事(内面)への勇気もそこには必要だったりもします。
裏目続きの時の対応を迫られる事に於いては起業、実業に変わりなくスピリチュアルを生業とする人間も同様で、こんな時は隣の芝生が青く見えたり、何かいっそのこと楽に人の傘の下(影響下)に入ってしまえとか色んな想いも湧き起こりやすいものですが、でもそんな時でも落ち着いて心を沈めて見れば、自分の足元にすべき事や取り組むべき事は用意されていたりするものです。
私なども裏社会から抜け出てヒーラーとして歩み始めた頃と言うのは自分の進む方向に確信が持てず、悪党の稼ぎを断った私にはズボンのポッケに2~3千円の金しかなかったもので…
「何が坊主だヒーラーだ、いったい俺はどこへ行くつもりなんだよ」
「葬式坊主でもあるまいし、檀家のいる寺持ちの坊主の様にお布施の実入りがあるわけでもなし、ましてやヒーリングなんていったところでふわふわと手をかざしてあやしげな事をしているだけで、そんな事をして本気で俺は食べていけると思っているのか?」と煩悶するかの様な思いのまま、何処へ行くあてもなく、都内を循環する山手線から見える景色をただ眺めていた様な時もありました。
でも、そんな中で始めたお年寄りへの無料でのヒーリングで「ああ、暖かい、本当に楽になりました」と合掌せんばかりに感謝の言葉をかけられた時、極道の世界に生きた当時など、散々人を泣かせては脅し上げてきた私にとってはもったいない言葉の様に思え、その場で流れそうになる涙をグッとこらえたものです。
またこの時期「正仙サン、書いて発信しなければ誰にも分かってもらえないのだからぜひアメブロを書いてください」とアメブロの開設を勧めてくださった方などもいたものですが、簡単に言えば「見ざる、言わざる、聞かざる」など、沈黙を美学とする(特に対警察)裏社会で長年生きた私にとってブログなとに投稿すると言う行為は自分を晒す事に他ならず、名残の様に自分を攻撃する裏社会で生きた信念、報復される怖れや様々な葛藤も生じたものでしたが、もう前を向いて歩いて行かざるを得ないところへ自分自身が立っているのは明らかで書く決心をしたものです。
またパソコン不得手な事もブログ開設へ踏み出せない原因としてあったもので、そんなある時、山手線に乗っていると女子高生の神技としか思えないカチカチと両手でのガラケーの早打ちを目撃し(笑)ガラケーではパソコンに比べれば文章作成のスピードも格段に劣るに違いないのですが、それは完成された文章をタイプすればの話しであり、文章を一から考えて作成する事に於いては五十歩百歩の違いしかないではないかとこの女子高生の姿に開眼させられたかの様な思いになり(笑)ガラケーでアメブロを書き始めたもので、後にこの時期、「ブログを実はガラケーで書いていた」と言うとプロのライターが驚くほどのそれは長文でした。
アメブロを始めると私の過去の経歴もあってかみるみる読者登録も増え、毎日数十件はつくコメントがさながら公開カウンセリングの様な感じで徹夜でそれもガラケーでコメ返しをしていたもので今となっては懐かしいものさえあります。
よく「私はそんな波乱万丈な生き方などしていないし、ブログに書ける事なんて何もありません」と話してくださる方もいたりします。でも、こうした方がヒーラーやセラピストとして開業し集客したい欲求を持っている場合も多いもので、開業したい、でも書く事は省いて通りたい(笑)と折り合いをつけられぬ悶々とした思いをお見受け出来るケースもあるものです。
でも、書けないと決めてしまえば文章の女神から降りてくるインスピレーションも塞き止めてしまうものです。
書く事への抵抗が実は自分自身のアイデンティティーに直結していたりもします。親との関係性、幼児期から現在に至るまでの否定的体験と言うものが書く事で癒されたり、浄化される事へエゴ(自我)が抵抗するのです。
ですので、サロン開業に伴いブログなどを書きたいのだけどまだ紹介出来るセッションの事例、お客様の感想なども無く、思いつかないと上っ面だけで答えを自分に与え様と思っている方などへ、その方とすれば決心のいる荒療治の様ではありますが、自らの葛藤を感じる事などにテーマを当てて文章にしてみる事などもぜひオススメで自身の浄化や気付きにも繋がるもので、他人の言葉ばかりを引用して自分のブログを着飾るよりも、たとえ稚拙と思われ様とも(他人の目線に評価を預けない)自分の言葉で発信して行く事の大切さ…また、その方の提供するセッションとは関係無き内容の事を書いている様ではあっても、その文章から嗅ぎ取り読み取り、セッションを受ける上での査定の源となる人物像の輪郭を描いているのも読者と言うもので…
皮肉な人間の心理と言うもの、その時々何が心にヒットするかは個々により違うものであり、実際は何一つ書く事に於いて遠回りな内容などと言うものはないのです。
とは言いながらも、忙しいおりなど「ハイハイ、書く事も仕事の内、分かっておりますランラララン♪」と…
誰に言うでもなく虚空に向けてぼやく愚僧であります(笑)