★生き霊と人の念…ヒーリング私記

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私の元に訪れる方達から受ける事の多い質問として「私は何の神、何の仏と繋がれば良いのでしょうか?」と言うものがあったりします。

また、自分が師事するスピリチュアルなクラスやセミナーの教師や先生が、特定の神仏やアセンデッドマスターとの繋がりを強調し、そうした自分の外側にある「存在」との繋がりを持つ事によって、人生が好転すると言う様な事を言われた為に、慌てて寺社仏閣を回り始めたり、そうした見えざる存在と繋がりを持つ為に、何か特別なイニシェーションを受けなければならないのか?と、かえって混乱を招き、そんな時期にある方が私のサロンを訪れるケースもあったりで、冒頭の質問になったりもするのですが…

私が密教僧である事からか、特定の寺社仏閣に参詣する事や「お不動様を拝みなさい」と言う様な答えを期待して来られる方もいる様です。
人からの念、よく言われる生き霊からの影響や憑依を受けやすい方が、霊的プロテクトの必要性を感じ、諸仏諸尊の真言や印の結び方などを私に聞いてくる場合などもあります。

でも私はこんな時、ご自宅に仏像を安置し、すでにお勤めをする習慣等をお持ちの方などは別としても、それらの事をお授けする事も、お経を唱える事をお勧めする様な事などもまずありません。

※真言とは梵語(マントラ呪の訳語)仏の言語梵語(サンスクリット)をそのまま音写したもので、短いものを真言、長いものを陀羅尼(だらに)と言います。

※印を結ぶとは印契と言い、手ぶりや手指の組合わせによって、諸尊の悟りや誓願、功徳を現し、修法の際に招請する為のシンボルです。

そんな時ケースによっては「あなた何からプロテクトしたり結界すると言うのですか?あなたに印を結んだり、お不動様のご真言を教えて差し上げれば、その時は効果が出るかも知れません。でも、失礼な事を言う様ですが、今のあなたの心根では次から次へとプロテクトを必要とする状況や相手を作り出して行くのではないでしょうか?念を飛ばしてくる人間も、生身の肉体を持っているのだから、あなたが相手を呪う様な気持ちで印を結んで真言を唱えれば、影響が出る事もあるのですよ…そしてそれは必ずあなたの元に返ってきます。自分の体調や仕事が思わしくないからと言って、人からの念や生き霊が原因だと決めつけるくらい楽な事はありません。自分のふがいなさや誰しにもある生きづらさも、生き霊や成仏出来ずに浮かばれない仏(亡者)のせいにし様とする、自分にそぐわない人や状況を汚れ(よごれ)と決めつけるあなたの心根こそ見直して浄化されたらいかがですか?生き霊も未成仏の霊も、あなたのオーラの中にあるものに感応し、引き合うエネルギーがなければ影響を及ぼす事など出来ないのだから」と、リーディング時にお答えさせて頂く様な場合もあるものです。

霊的プロテクトや場を結界したり安全な空間にする技法やスキルは、宗教、スピリチュアル双方にあります。でも、前述の様に自分の不快や恐れとする状況をコントロールする為にその一部分だけをパーツの様につまみ出して用いる時、その根底にあるのは…

「平手で来るなら拳で殴り返してやれ!」

「ナイフでくるなら拳銃で撃ち返してやれ!」

「テポドンでくるなら核弾頭撃ち込んだれ!」

と言う様な、「目には目を歯には歯を」と言った様な戦争の論理にさえ相通じるものがあると言ったなら、元極道僧侶のあまのじゃくな戯れ言にしか聞こえないでしょうか…(笑)
人間を争いや対立に駆り立てるエゴは、スピリチュアルであろうが宗教であろうが、人の集まるところどこにでも発生するもので注意が必要なのです。そしてそれは複雑かつ巧妙な形さえ取るものです。

生き霊や人の念、未成仏の霊など、一見、見えざるものが相手で不可抗力な事象であり、エゴなど関係ないのではと思われる方も多いかも知れませんが、生き霊や他者の霊に憑依され攻撃されていると言う想いは、それにとどまらず、見るもの全てに伝播し、肉体を持った人間にも投影され、見る世界を暗いものにしてしまう時さえあるものです。

ヒーラーでもある私は、お客様のエネルギーに相対する仕事でもあり、エチケットの上からも自らの想念やエネルギーに淀み無き様、グラウンディングからエネルギーを流す瞑想を行い、オーラやチャクラなど、自己のエネルギーの浄化が日課となっています。
そんな私でも生き霊を飛ばされる時がありました(笑)

生き霊を向けられると肩こりや頭痛、人によっては鬱の様になったり、あまり知られていない事としてまるで心臓があぶる様に激しく心拍数が増加する事もあったりします。

この様な時、頭頂部にある第7チャクラに相手のエネルギーが来る為か、相手の姿が鮮明に脳裏に浮かぶ時もあるもので…
生き霊(想念)を向けられる原因や因果が分かっている時など、私も人間…腹立たしい思いにとらわれそうになる時もありましたが、そんな時、そんな相手でも今生では、実ろうが実るまいが、何らかの出会いを定めて自らがキャスティングした聖なる存在であるに違いない事を思い出し、相手に意念を向けたり何らかの術を施す事もなく、生き霊や相手の念に感応する自分にこそ原因があるものとして、自らの中からエネルギースキルを使い浄化して行ったものでした。

極道当時の「やられたらやり返せ!」のどっぷり染みこんだ世界観をそぎ落とす作業は、霊的なレベルでも繰り返しお試しの様にさせられたと言うのが、私の場合本当のところかも知れません。

私が今まで見てきた経験で言うと、「あの人の生き霊がまとわりついて離れない!」「あの人がまた私を憎み念を飛ばしてくる!」 と騒ぐ様な人間は、また自らも、人に生き霊や念を飛ばす事に於て等同なものがある様です。

生き霊の影響や霊障、憑依を受けやすい人と言うのはそれらのものに感応し、魅いられてしまう「癒されるべき何か」をオーラやチャクラと言う、人体を取り巻くエネルギーの中に持っていたりもするものです。
人をやりこめ屈服させたところで心に平和がこないのと同じ様に、霊的実相も同じで、人を呪う言葉や悪口に加担する事なく、自らの思いをチェックする習慣、ヒーラーの世界では、相手を攻撃したりするイメージは、エネルギーレベルで相手に実際にしているに他ならないとする考え方がありますが、以心伝心とは、この様なところにも仇花の様に発揮され、対人不和などに実を結んでしまう事もあるものです。

ソウルメイトなどの言葉に代表されるとても強い印象を持ち、良いと思った人のご縁も、引き合う様に駄目になったり、喧嘩別れになったり、実らないのも私達の生きるこの娑婆と言うものかも知れません。そんな時、お互いにスピリチュアルな心得があったりすると「あの人が今でも私に生き霊を飛ばしてくる」「いやいや、あの人こそ私に念を飛ばしてきて困ってしまう」と言う具合にちょっとしたスピリチュアル戦争に発展しかねないものがあったりするもので、お互いに自分を受け入れてもらえなかったり、認めてもらえなかった「画像」と言うものが、その人の中でライトアップしているだけで、心身不調の原因も、相手が向けてくる生き霊などのエネルギーよりも、自分自身の想いに原因がある様な場合も多いものです。

人に憎しみや嫉妬、攻撃する意念を執拗に向ける事は何ら建設的でないばかりか、自らも攻撃し人生の不調の谷間に突き落としてくれと、宇宙に宣言しているに他ならない事、忘れたくないものです。

心の平安こそを宝として、心にも言葉にも穏やかさを湛えて行きたいものですね。

合掌

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