☆松山出張セッション&トークライブを終えて②…元極道から僧侶の二人による講演【新垣玄龍編】

 
 
松山出張セッション2日目の12月3日は、陽光降り注ぐ穏やかな陽気の中、素敵なカフェにてパーソナリティに主催者の予約の取れない占い師LEO・矢野真弓さんを迎え、やはり元極道から僧侶の道へ転身し、現在は瞑想コーチとして活躍する新垣玄龍さんと共に講演&トークライブに臨みました。
 
 
 
前にもブログなどで書いておりますが、矢野真弓さんも、新垣玄龍さんも、摩訶不思議なご縁からお寺のご縁を繋がせて頂いた方達であり、同じお寺の一門に連なる弟、妹弟子の関係にあたる方達でもあるのです。
 
 
※矢野真弓(法名・真弘)さんの伊勢二見太江寺に於ける得度式に参座した時のヒトコマ
 
 
※新垣和彦(法名・玄龍)さんの(上記同寺院)得度式に参座した時のヒトコマ
 
 
弟、妹弟子とは言っても、極道渡世の兄、舎弟などとは勿論違い(笑)たまたま僧侶として先鞭を付けていた私が有り難くご縁の橋渡しをさせて頂いたに過ぎませんが、それぞれが強い自分自身のカラーを持ち、信ずる道を体現して行くであろう事は疑い様のない事に思え、どこかしら安心して二人を眺めている自分がいたものです。
 
ただ…玄龍さんに限って言えば、僧侶になる直前まで極道の世界で現役の組長をしていた人間でもあり、とまどいや葛藤、私もその世界を後にした時に感じた堅気の世界の冷たさ(これも自らの作り上げた幻想なのですが…)など風当たりの強さを感じたりと、仏法の世界に身を投じても、自分の居場所、安心に至るまで答えの出ない試行錯誤も続くであろう事が私自身の経験からも手に取る様に分かる様でもあり、
「大変だろうな…」と多少なりともその道で先に歩き始めている私としては、遠くから弟を見守る様な感想があったのも事実でした。
 
 
※初めて自坊を訪ねてきた時の玄龍さん、まだ荒ぶるエネルギー残るものを感じさせ、今とは別人の感があります。
 
 
※2014年11月、私の大阪での出張セッションの際、講話会で、ゲストとして玄龍さんを紹介。
 
 
※今年6月東京サンクチュアリ出版でのコラボ講演。
 
 
※今年9月の奈良県橿原市でのコラボ講演。
 
 
 
司会の矢野真弓さんから会場の皆さんへのご挨拶と講師二人の簡単な紹介があり、まずは玄龍さんのお話から始まりました。
 
 
話の冒頭、おんぼろ長屋に住み、サンドウィッチ売りまでした幼少時の貧困の経験を話す玄龍さんでした。貧困は犯罪を生み出す温床となる事は犯罪心理学の世界でも言われる事ですが、「三つ子の魂百」までの例えの如く、人権に対するシャープな感覚、その後の事業を営みながらの市民オンブズマンとしての活動、その後の右翼団体の結成や、果ては極道当時にも発揮された理不尽や権力に対する反骨精神など、この時期に形勢されたものが色濃く現れ投影されて行ったものを感じさせるものがありました。
 
講演とは関係の無い事ではありますが、玄龍さんの話を聞いていると、玄龍さん自身のカースト制度を憎んだインド人の過去生から今生に持ち越してきているものさえ窺える気がしたものです。
 
 
玄龍さんの話の中でも特に会場の皆さんの注目を引いたのが、獄中での厳正独居と呼ばれる独房での2年間に起きた精神崩壊、そこから死への誘惑を断ち切るかの様に始めた瞑想との出会いに見るプロセスだった様です。
 
東京、そして奈良での講演では仏教の縁起、瞑想への想いを分かりやすく語る事なども話の大きな部分を占めていましたが、今回はその前段、人間新垣の闇から光への転機とでも言うべき内容で、重く響きがちなその話しの内容も、玄龍さん持ち前のコミカルさを発揮し、極道当時や服役時のエピソードを語るなど、場内には幾度も笑いの渦が起きたものです。
 
話の最後、玄龍さんが極道世界からの離脱を決意した時、毎日の様にウェブで「元極道の僧侶」と検索し始めたところ、私のアメブロに行き当たった事から私宛にメッセージを送り、交流が発生した事、それが今日に繋がっている事を話し、私にバトンを渡す様に話を結んだ玄龍さんでした。
 
これまで、東京、奈良、今回の松山と共に講師として臨んできましたが、真摯に瞑想と托鉢の日々を送り、内面の探求に向き合っている事が玄龍さん自身のエネルギーの変容として皆さんの前で話す姿にも現れている様で、アメブロでまだ現役の極道当時にメッセージを送ってきてくれた時からの彼を知る者としても、同じ道を歩く者としても感慨無量なものを感じた愚僧でした。
 
つづく  
 
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