今日ある方より吉祥に届いた花にはメッセージカードが添えてありました。その方の私に向けた祝いの言葉の後に…
貴方の愛によって愛する者を世界に押し出しなさい
彼らが自分自身を充分に体験できるようにしむけなさい。
「神との対話365日の言葉」より
とそこには書かれていたものです。
「神との対話」は私がまだ極道の世界にいた頃、最後の服役時に獄中で初めて読んだ霊性に関する本でもありました。
当時の私は、敵対組織の縄張りに公然と自分の組事務所を出すなど、武闘派組織の先兵を気取っていたものです。
でも組長とは名ばかり…
気性の激しさばかりが先にたち、その頃の私はすべてにおいて破綻をきたしていたのです。
それは家庭にも及び、「金は天下のまわりもの」などとウソぶき、刹那的でまったく経済観念を持たない私に加え、関西を拠点とする大組織の系列下と言うだけで度重なる抜き打ちとも思える警察のガサ入れ(家宅捜索)に当事私の妻だった女性も疲れきっていたもので、家庭でも喧嘩が絶えなくなり、家庭でさえ私にとって安心できる場所ではなかったのです。
それも今思えば因果応報、自分で求め望んでいた事を経験していたに過ぎません…。
生き馬の目ん玉をひっこ抜く様な揚げ足の取り合いが身上の極道の世界が私は大好きでした。学歴不問で器量一つで這い上がる事のできるその世界が…
ヤクザ同士がトラブルなどで斬り結ぶ様に対峙する、「掛け合い」と呼ばれる交渉事において、たとえ自分に非があってそれを相手から責められても、それを素直に認める様ではヤクザとして話しにならないのです。
相手の弱点こそ見抜き、開きなおってでも居直ってでも相手をやり込め勝ちを取りに行こうとする姿勢は、一歩間違えば、組織同士の喧嘩になる事もあれば、ペナルティとして金をつけなければならぬ(払う事)事もあれば、ケジメとして指を落とさなければならぬなどの実害が裏に控えているだけに、企業間におけるディベートなどとはまったく異質のものでもあります。
こうした信念の元に生きていると何事においても反発の姿勢というものが叩き込まれて行くもので、自分の事など省みる事などないものです。
若い時は人を痛めつけ脅しあげる事にも躊躇はないものですが、徐々に徐々に金銭などで人を追い込んだ時に見る、人が壊れて行くさまなどが、澱の様に心に積もり始め、何もかもが裏目に出る様なものを感じている時に私は逮捕されたのです。
それは財布の中の金が尽きた文字どおり『カラッケツ』になったその日でもありました。当時はスピリチュアルな素養など皆無の私でしたが、思ったものです…「何だよおい、まるで財布が空になるのを待っていたかの様にお天道様の野郎、俺をつまみあげやがった」と…(笑)
数十名にも及ぶ捜査陣に逮捕された警察署では、容疑を否認し調書を取らない私に裁判所から接見禁止(面会の一切が出来ない事)の措置が取られ、やがて私は拘置所へ移送されたのでした。
私は拘置所の独房の中で私の共犯として逮捕された人間や、私の前後に逮捕された人間の供述調書を弁護士を通じて取り寄せ、独房の中で読み始めたものですが、そこに書いてある内容は、己が助かりたいばかりに刑事の心証を良くし様と、人を警察に売るかの様な内容ばかりが書いてある様に思え、しまいには「下の人間に俺は絵を描かれハメラレたのではないか?」と言う疑念が沸々と沸き上がり、目の前にその人間がいたなら間違いなくそうしたであろう、食事に使う箸を衝動のままに何度も何度も突き刺すかの様に虚空に突き上げた私だったのです。
※絵を描く(かく)とは人を陥れたりする為に画策する事を意味する隠語
そんなある日、新聞を読んでいると書籍の案内の欄に載っていた「神との対話」と言う文字が目に飛びこんできました。初めは宗教の本か何かかと思い、新聞を閉じた私でしたが、気になるものを感じ、再び新聞を広げ、出版社などをノートにひかえ、表より差し入れしてもらったのでした。
「神との対話」が手元に届き、ページを開き読み進めていくうちにまるで本を通してマンツーマンで何物かが自分に語りかけてきている様な不思議な感覚にとらわれ、ぐいぐい引き込まれる様に読み進んでいったものです。
この「神との対話」の著者のニール・ドナルド・ウォルシュがこの本を書き始めた時のホームレスを経験するなど八方塞がりの境涯に共感できた事もあるかも知れませんが、この本が私の霊性の上で大きな気付きを与えてくれた一冊である事は間違いありません。
それから刑務所での服役を終え出所した私はしばらくして組織を離脱し堅気になります。でも、長年いた世界の垢は、私の場合、そうやすやすとは拭いきれないものがありました。
その後も闇金の用心棒からアンダーグラウンドの世界に生きた私だったのです。
落武者と言う言葉がありますが、侍が昔仕えた主や御家を誇りに思うかの様な郷愁に似た思いとでも言うものを、その世界を出ておきながらも腹の片隅に持ち続け、ヤクザとさえも喧嘩した私でした。
でも、どこかしら獄中で得たスピリチュアルな気付きと言うものも心の片隅にある、そんな矛盾するものを包含させるかの様な時期を過ごした私は、ある時より真言宗や天台宗など密教寺院の護摩供と言うものに惹かれる様になり、同時に気功などのエネルギーワークにも興味を持ち始め、師僧の門を叩き得度し、気功のクラスにも通う様になったものです。
その過程で、私を慕ってきた人間の獄死や非業の死と言うもの…
得度して間もないまだ本来は葬儀の導師などを勤める事は許されない時期、師僧に「私の縁のある人間なので」 と了解を取り、僧侶として初めて導師を勤めたのは、何を隠そう刑務所の中で死んだ私の舎弟分の葬儀だったのです。
肝不全特有の黄疸で黄色くしぼんだ様なその弟分の仏となった顔を見た時…
またそれから間もなくして、やはり覚醒剤の打ち過ぎで死んでしまった舎弟分だった男の顔を見た時…
その人間が死んだであろう時刻には私の心臓さえ異様にバクバクとあぶり始め、「兄貴ーっ!」とその人間の叫ぶ声に目が覚めるとほぼ同時に死亡の連絡を受けた私だったのです。
今となってはこの亡くなった
男達の顔が、そして無常を描く様々なその頃の状況が、私に裏社会からの決別を、私を慕ってきた人間との別れさえも決断させる引導を渡す役割さえ果たしてくれていた様な気がします。
私がこうして紆余曲折の果てにヒーラーとして初めてお年寄りの方にヒーリングして差し上げた時、その方は合掌して「ありがとう…本当に楽になりました」とお礼を言ってくださったものです。
長い事裏社会にいた私にはその言葉がもったいなくて…家に帰ると涙があふれてとまりませんでした。この日が、密教僧侶ヒーラー正仙の起点となったのです。
ブレ幅いっぱいに生きた私の人生…でもそんな私でも、苦境や闇の中にいると感じている人に変容の可能性を示していけると信じています。
私も今日で40代最後の誕生日を迎えました。
すでに多くの方よりお祝いのメッセージを頂いてます事、この場をお借りいたしまして厚く御礼申しあげます。
今後も末永くよろしくお願いいたします。
愛犬チビ共々(笑)
合掌