※ヒーリングルーム吉祥に於けるヒーリングセッションのヒトコマです。下記セッションのケースとは関係ありません。
先日、当サロンに於て、トータルセッション(リーディング30分+ヒーリング30分)をお受けになられた占星術ライター逢坂杏さんが、そのご感想をご自分のブログに綴って下さいましたのでご紹介させて頂きたいと思います。
お忙しい毎日を送る逢坂さん、施術受付最終時刻に駆け込む様にお越し頂いたものですが、そのご感想もとてもライターならではのユニークな視点で書かれています。
ブログ ☆逢坂 杏のとらんぷ庵。
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http://blog.livedoor.jp/ousaka168/archives/40070541.html
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所用で田端まで。
作務衣の背中を追っかけながら、夜の下町をずんずん進みます。
先導するはお坊さん。
こんな時間に押しかけちゃってすいません。
でもどうしてもお目にかかりたかったんです、と、例によって図々しくもまたやってしまいました。
手前を行くは、真言宗の僧侶であり、透視能力者であり、かつヒーラーである男性。
短く刈り込んだ頭と、朗らかだけどどこか鋭い眼差しを持つお方です。
その方と自分をつなぐのは、私が“薔薇の人”と勝手に呼称している女性。
かつてお目にかかった欧米の透視能力者です。
当時はまだ一般的ではなかったオーラリーディングのほかに、
薔薇の花を使ったいくつかのメソッドを教えていただいたおぼえがあります。
私に対する的確なリーディングに舌を巻くのと同時に、取材でご自身の恋愛観などに水を向けると
意外にもわたわたしてたのがおかしくて。
(失敬! でもご多分にもれず、波乱万丈な“女ののど自慢”系の人生を送ってたことは当時の私でもなんとなくわかった)
透視能力者としての掛け値なしの実力と、少女みたいなピュアさとの落差に、そのお人となりが長く印象に残っていたのでした。
で、作務衣のお坊さんは、その“薔薇の人”に教えを乞うた生徒さんなんだとか。当時、ライターとして彼女を招聘した目黒の会社をうろうろしてたのでええっ、どっかでニアミスしてないですか!?的な経緯から、今回お目にかかることになった次第。
お仕事場に到着して、しばらくは、“彼女”のことで思い出話を咲かせたんですが、
一連の教えがサイキックな能力の開花よりまずとにかくグラウンディングを重視することとうかがって納得。インタビューのときもそうだったけれど、“薔薇の人”って本当に一貫したスタンスだったんだなあと。言行一致の彼女も偉いけど、目の前の僧侶ヒーラーさんはもっと偉い。
なにせ政治結社の構成員を経て、極道の世界に身を投じ、最後の服役時にやっとこさ精神世界に開眼した、という異色の経歴の持ち主。お客様からどんなお話を聞いてもドン引くことはありません、と公言する肝の据わり方はなかなか真似のできるものではありません。
うっかりご自身の出生データをお教えください!とかうかがいたくなっちゃう誘惑を飲み込んで、えと、その今日はヒーリングを…、などとお願いすると、逢坂さん、その前に今日はグラウンディングについて特別にお教えしますよ、と鷹揚なお坊さん。(ええっ!)
修羅の世界からどうやって生還を果たしたのか、あるいは心と体にどんな鍛錬を課したのか?、教えて教えて!、がこれまた顔に出ちゃってたんだと思います、が、しかし後の祭り。ということでご厚意に甘えて、見る前に飛ぶ、じゃなくて飛ぶ前(飛んでから?)にいかに接地するか、についてお話を伺う機会に恵まれました。しかし、この方とお話してると、炎や白いコードなどがリアルに頭の中に像を結ぶから本当に不思議。
そして久しぶりに専門の方からヒーリングを受けたのですが驚かされました。身体は真綿に包まれたようなリラックス状態なんだけど、頭の芯には水晶のような認識がさえざえと研ぎ澄まされている感じ。伝統的なお手かざしヒーリングみたいに、手から暖かいエネルギーが送られるかと思ったんだけどそうではない。ただただ涼やかな風がおでこを吹きわたっていくような。見た目のお坊さんルックスに惑わされてたけど、やはりこの方、不断の努力を怠らないエネルギーワーカーさんなんだなと。
そして私が抱えるいくばくかの恐怖について言及されたとき、スゲー、にんげんって“思い出さない機能”がついているんだー、(忘れ去る機能ではない)と己の狡猾な脳味噌のつくりにに感動すら覚えてしまいました。冗談はさておき、この方のヒーリングを受けてひとつふたつ、うっかり思い出してしまった記憶が。それは若いときに端を発する、犯罪体験だったんですが。喉元過ぎたはずの被害者としての記憶が、ここまで人生に影をおとすものなのか、と改めて驚愕。
建て前では許しても、感情が許せない、あるいは魂が許さない。しまいには、許すことに匙を投げて最初からなかったことにする。
このあたり目に見えない宿題を、長いことほっぽらかしてた気がいたします。
考えたら人生の理不尽に際して、私が占星術の勉強に本腰を入れたのは、この出来事を境にしてからなんだよなあ。
すっかり夜も更け、車で駅まで送っていただいた途中、人間関係はそれがどんなものであれ、ギフトであり学びである、としみじみお話されていた先生に、かの人もまた、別位相の理不尽と闘われた方だったんだなあ、と。
己の狭量さと人生のベクトルについておおいに考えさせられた一夜でありました。これ、今年の太陽回帰直後に手にしたもっとも大きなプレゼントだったのかもしれません。
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合掌