★人生交差点…サラリーマンと少年院

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※社会通念上不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

ある日の事、街中を歩いていると、先を歩く若者達の間から『昨日クラブ行ってさあ~、』などと言う会話が聞こえてきました。
クラブと言う時、今の時代、DJのいるクラブを連想する方が多いのかも知れませんが、こちらのクラブが発音の際に語尾の下がるのに対して…
これから出てくるクラブは語尾の上がる、酒席として知られる綺麗な女性のいるクラブの事で、同じクラブと言う言葉でも、発音に微妙な違いがある事にお気づきだったでしょうか?

平成を目の前にした昭和の時代、まだ当時二十歳そこそこだった私には、勘定も高い高級クラブで酒を飲む甲斐性(器量)もなく、たまに上の人間から声をかけられそうした店に連れて行って貰う事があっても、入り口に近い席でボックスの背にもたれる事なく、ボディガードよろしく店に入ってくる客などに注意を払いながら、烏龍茶や時にはトマトジュースなどを飲んでいたものです。

当時、こうした店で綺麗な女性(ホステス)が接客の為、私の隣に座ろうとする時など、小声で『おねえさん、俺の隣になんか座らなくていいからさ、向こうへ座ってよ…。』と、さりげなく高目の人間(自分より組内で地位の高い人間)のいる席を示し、その隣へと座り直して貰ったものです。

クラブなどではお客の煙草に火を点けるのもホステスの仕事だったりもしますが、親分や兄貴と呼ぶ人が対目で煙草をくわえれば、隣に座る女性よりも素早く火を点けるのも当たり前なら、たとえ離れた席に座っていても、あらかじめ店のボーイや上の人間の隣などに座るホステスなどに『あのなおねえさん、あの席、煙草の吸い殻が二本と溜まらぬ内に灰皿換えてな、それとしぼり(おしぼり)もまめに換えて出してやってよ。』と耳打ちしとく事もあったものでしたが、そんな私に…

『お前、今日は運転しとらんのだから飲んでええぞ。』と上の人間が声をかけてくれる時もあったものでしたが、そんな言葉も下の人間をいたわる一つの社交辞令であり『はい、ありがとうございます!大丈夫です。』と断るのが常だった様な気がします。

まかり間違って…
『はい、頂きます、おねえさん水割りね♪』などと言った日には(笑)その場では咎めだてされる事がなくとも『こいつの根性はサラリーマンだな?』と、烙印を押される事になりかねないものがあり、万事にストイックで分相応が求められる世界でもありました。

この『サラリーマン』と言う言葉、極道の世界では…

『おいっ、てめえは時間から時間までのサラリーマンか!?答えて見ろっ!』

『だからお前の根性はいつまで経ってもサラリーマンだって言うんだよ!』

と、おもに上の立場にいる人間が、下にいる人間を叱り飛ばす際に用いた言葉でもあった様な気がします。例えば、まだその世界で『部屋住み』と呼ばれる修行中の若者などが『おいっ、近所のスーパーに行って○○を買って来てくれ!』などと先輩に言われた時、言われた品物が店先にあれば問題はありませんが、無い時もあり、それをそのまま事務所に戻り『そこのスーパーに行ったんですが、○○はありませんでした。』と当たり前に報告した日にはさあ大変で…笑

『バカタレ!だからお前はトロ臭いって言われるんじゃっ!何だ、たかが一軒覗いて○○が無いからって素直にありませんでしたって帰ってきちまうのかお前は?小学生のガキだってもう少しましなお使いをするんじゃねえのか?違うのか?だからお前はサラリーマンだって言われるんじゃ、無けゃ無いで見つかるまで探してきやがれ馬鹿野郎!』と、たかが買い物一つの事で、一般の方から見れば、度を過ぎたイジメにさえ聞こえる言葉かも知れませんが、汚く罵っている様ではあっても、こんな言葉にも極道の世界のロハ(基本的な事)を叩き込む意味があったりしたものでした。

この引用したサラリーマンと言う言葉、日本の経済を背負って立つサラリーマンの皆さんに気を悪くして頂きたくないものですが(笑)本来、ヤクザとは関係の無いサラリーマンが何故揶揄される言葉として出て来るのかと言うと、

それは無いものを無いとただ報告するだけなら、朝出勤し、タイムカードを押し、退社まで働けば後は責任の発生しない万事が受け身なサラリーマンと一緒ではないのか?と、そこには行住座臥、一日24時間、事務所から召集がかかれば、たとえ深夜であろうとも駆け付けなければならない極道の世界、勤務が終われば自由な堅気の会社などと決定的に違う身の上である事を、身体に染み込ませる為に用いられた言葉だった様な気がします。

時には不条理な要求とわかっていても、それ以上の答えを出す事を求められる世界でもあり、転んでもタダで起きぬ反発と言うものを身体で覚え込まされる世界でもあった様な気がします。

勿論、サラリーマンの世界も様々な苦労や努力が必要な世界である事を見越した上での言葉でもあり、『お前はサラリーマンか!』と言われる時『お前はカタギじゃねえんだぞ!』とそこには法の外で隔絶された世界に生きる事を知らしめる言外の響きさえあった様な気がするものです。

こうした事の積み重ねが、後に部屋住みを終えて自分でシノギと呼ばれる収入源を作り自活して行く時、請け負った仕事にさらなる利益の可能性がある事を見抜く、貪欲とも思える仕事や事業センスに発揮される時もあれば…
掛け合いと呼ばれる他組織とのトラブルでの交渉などにおいても、こちらの分が悪くとも、相手のたった一つの言葉の過ちでさえも聞き逃す事なく、揚げ足を取り、劣勢をハネ返す感性と言うものに直結している場合もあったりで、時には良く出来ても怒られる様な場面もあり、言葉では怒られても、上の人間の目を見て『よくやった…。』と認めてくれているものを見て取り意気に感じたり、事務所で、ある人間を上の人間がこっぴどく怒鳴り付けている場面に鉢合わせする様な時なども…

『ああ、これは○○にカマシを入れている様ではあるが、御家(おいえ・一家や組)引き締めの意味から我々皆に聞かせている事だな…。』と背景にあるものを理解する事も必要だったりと、対警察、対組織のリスクは元より、資金繰りや下手を売れば組織からも処分されかねない緊張感が常にある事から、自己防衛の観点からも、一を言えば二を悟る感性を求められる世界でもあった様な気がします。

私なども十代の頃は鑑別所や学園、少年院などにも行きましたが、少年院出の人間なども、当然の事ながらその犯罪傾向などから、裏社会である極道を志願し、その道に入ってくる人間も多かったものでしたが、当時は今の様な児童福祉法や少年法も改正される前で、中学卒業と同時に、ヤクザの道に飛び込んだ人間も多かった時代で、『少年ヤクザ』とマスコミに取り上げられた時代でもありました。

そんな中で、初等、中等、特別と、十代のその殆どを少年院で過ごしてきた人間は『金筋・きんすじ』などと呼ばれその世界のエリート候補生として有望視される傾向などもあったものです。

ただし、窃盗や強姦、猥褻な犯罪を繰り返した者が、『組の若い衆になりたい』と志願して来ても、許さぬ厳しい一面もあり、たとえ迎え入れるにしても何年も事務所に出入りを許す事なく、若い衆の誰かの下に付けておき、その人間の素行を試し見る様なところもあったものでした。

犯罪に貴賎があるのか?と不思議に思われる方も多いかも知れませんが、泥棒を重ねた人間は、シノギと呼ばれる商売や仕事で使うにしても、辛くなれば安易に金を持ち逃げする場合も多く、逃げていなくなった後も、よその土地で盗みを働き、挙げ句の果ては逮捕され、警察の心証を良くしたいばかりに組織にいた当時の事を洗いざらい供述し、とんでもない被害が組織に及ぶケースなどもある事から、そうした事故を未然に防ぐ意味もそこにはあるのでした。

十代の頃から教護院や少年院に入ってきた人間と言うのは、その世界に入っても、動作は機敏で機転も利き、上の人間からの問い掛けにもハキハキと答えるメリハリの良さがあり、端で見ていてもわかるものがあったものです。

でも、少年院の監視体制からくる、表裏の使いわけが垢の様に染み込んでいる事から、それが仇となり、メッキが剥がれる様に落伍して行く人間もいたものです。

少年院では先生と呼ばれる教務官にヅケ取り(ご機嫌取り)をする様な人間を指して『あの野郎、要領使いやがって!』とよく言ったものでしたが、たとえば『気をつけ!』の姿勢一つとって見ても指先がピンと伸びていなければ『なんだキサマ!指先が伸びとらんじゃないか!ここは娑婆じゃねえんだぞ!』と教官に目を付けられるところとなり、ここで反抗的に返事をしなかったり、舌打ちをし様ものなら、まってましたとばかりに柔道や空手の心得のある教官に投げとばされ、身体を抑えられ、謹慎と称して(刑務所は懲罰)独房へほうり込まれてしまうのです。

私なども少年院に入っている時など反則を取られ、個室サウナと呼ばれた独房(少年院では単独室と呼ぶ)に真夏の暑い日に一ヶ月以上謹慎していた事もあり、あまりの暑さに独房の扉の横にある小さな食器口に頭頂部を押し付け涼を取ろうとした思い出があります。笑
(;´Д`)

少年院へは各都道府県にある鑑別所から来るのが通常ですが、約一週間の独房での考査期間を終えて、三級生の暮らす寮へと移って行くのです。

私の入った少年院では、ここで皆が並ぶ廊下で新入の挨拶をさせられるのが恒例で、ある時など新入生が『宇都宮鑑別所からまいりました○○○男です!よろしくお願いします!』と元気に挨拶をしているにも関わらず、側にいた寮担当の教官から『なにぃ!どこの鑑別所から来ただって?ウルトラマン鑑別所だと?キサマはウルトラの星からやってきたのかこの馬鹿もんが!やり直し!』と何度も挨拶をやり直させるところが通過儀礼で、宇都宮とウルトラマンをもじるこの教官に私も思わず吹き出したものでした。笑

時には院生の暮らす舎房の廊下を夜など音も立てずに抜き足、差し足、忍び足で歩き、室内で違反行為がないか見に来る教官にも月日と共に慣れてくるもので、部屋の整理整頓から運動、作業に至るまで、先生と呼ぶ教官が見ているところでは真面目にさも更正を誓う模範を演じても、そうでないところでは手を抜く要領の良さが身につくのも少年院で…
矯正施設として少年院を見る方は世の中に多いに違いありませんが、この施設暮らしで染み込んだ監視体制に対する二重規範意識が、出所後、せっかく就職した職場でも表裏となって現れ、長続き出来ず、またドロップアウトして再犯を重ねる原因となっている事もまた多いに違いないのです。

また極道の世界でも同様で、初めは少年院出の要領の良さから『こいつは使えるな!』と上の人間の目に止まる事はあっても、段々と月日と共にその表裏は露顕してくるもので、
親分と呼ばれる人などは、駆け出しの若者の間に出来る力関係から生まれる序列などは自然に出来るものと放っておくものですが、ただ、その中でも不器用でも愚直さや純粋さを持ち合わせた人間や、何をやらせてもそつなくこなすが、情に希薄で心の見えない人間や辛抱のきかない人間など、様々な人間のタイプを見ていない様でありながら、その周辺視野にしっかりとらえている様なところがあったものです。

私はこうした過去の生き様を記した記事においては、読む方に混乱を招く事もあり、あえてスピリチュアルな解釈を入れない様にしています。

また私がかつていた極道の社会を礼賛するものではありませんが…
その人間の中にあるものが人生に剥き出しに現れる事において、裏も表もないと感じるばかりの愚僧であります。

合掌

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