★あるスピリチュアルな講演会にて…雑感・私記

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先日、あるスピリチュアル関連の講演会に行った時の事…。

赦しの実践を説く、女性講師による講演の内容は、バランス感覚の良い講師の方のエネルギーも感じられ、内容も素晴らしく、今後益々拡がりが出るであろう事などを感じた私、講演が終了した事から、会場の後ろに控える某スピ系出版社のテーブルへと…

そこには講演された女性の著作本を始め、ヒーリングからスピリチュアルに至るまで、様々な本が並べられていました。
この出版社は、以前私が参加した事のあるヒーリングセミナーを主催していた事もあって、顔馴染みのある方などもその席に座っていたものですが、私は、テーブルの端に置かれたヒーリングに関すると思われる本が目についた事から手に取り、目の前にいた出版社の方に『これって、何か新しいヒーリング関連の本なの?』と聞いたものです。

『あっ、ええ…そうなんです、今度その方を日本に招いてセミナーやるんですよ!』と答えるその方に

『あっそうなの…でも、私も二年程前におたくで主催した〇〇のセミナーに出たんだけど、こないだ確かプロティクショナーの認定を出すセミナーも開催したばかりだよね?またそれとは別でやるって言う事なの?』と私が再度聞くと…

『ええ、確かに〇〇は面白いんですけど、こないだのセミナーなんかでも、以前だったら講師の二人も、資料に目を通す事や筆記する事よりも、まずは実演を見て!と言う感じだったんですけど、今回は黙々と筆記する人の姿ばかり目立ってしまって…早い時期にプロティクショナーになっていた人も当日来ていたんですけど、あらあら、なんかセミナーの雰囲気も変わっちゃったね、なんて言ってたりもしましたね…。』

と、不甲斐なさを感じさせる様な言葉に続き…

『それに、〇〇セミナーの場合、どこからヒーリングのエネルギーが来ているか、講師達がわかっていませんからね…それに比べて今回博士を招いて行うヒーリングセミナーでは、ヒーリングのエネルギーは、ここからこんな感じできてますよ!と、誰にでもわかる内容で、今アメリカで一番注目されているヒーリングセミナーですし、よければ是非受講を検討されて見て下さい!』

と明るく言い放ったものです。

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この言葉のやり取りだけ聞けば、ヒーリングのセミナー会場の片隅で交わされる、取るに足らない会話の範疇を出るものではないのかも知れません。

また、その言葉に特別な悪意があるとも思えませんでしたが…
でも、それが私には、新しい商品を売り込む時に、それまでの商品をやんわりと否定するかの様な言葉を吐く、どこぞの店子の言葉の様にさえ思えたものです。

その〇〇のセミナーを、新時代のヒーリング、量子力学のヒーリングと、センセーショナルな触れ込みで宣伝したのもこの出版社でもありました。
営利を考えた時、次から次へと新たなヒーリングのセミナーやスピリチュアルなイベントを企画しなければならない必要性がそこにある事は理解出来るものの…

そのセミナーを主催した社の人間として、セミナーに参加した事のある人間に対する言葉と言うものを考えた時、そこに辛辣な嫌味はなくともデリカシーに欠けるものだったと言わざるを得ません。

私自身も、このヒーリングのセミナーに、当初は斬新なものを感じ、プロテクティショナーの資格を取る為に渡米する事まで考えた時期がありましたが、クレアボヤンス(透視)に関する概念までが、そのセミナーで講師の口から語られるのを聞いた時、大きく興ざめするものを感じ、それ以上の課程に進む必要を全く感じなくなってしまったのでした。

私がそれ以前に、クレアボヤンスの学校を卒業していた事もあり、ワークの違いから生じる違和感と言うものも、そこにはあったのかも知れません。

でも、それもあくまで私個人の感想でもあり、
その人におけるヒーリングの受けとり方や、何が自分にベストフィットするのかは、多様性があって当然で、尊重されてしかるべきものがあります。

実際に、この新進気鋭のヒーリングセミナーに活路を見出だし、プロティクショナーとして活躍する事を夢見た人も多いに違いありません。
そんな方達の事を思う時、この出版社の方の言葉が、少しばかり心ないものに思えた私でもありました。

でも、どの様なタイトルで売り出されるヒーリングやスピリチュアルなスキルであっても、結局はそれを施すヒーラーの在り様が何よりも大切な事は言うまでもありません。
クライアントやヒーリー(被験者)がどんな症状や状況を訴えても、動揺する事なく、本来の無辜な輝ける姿を相手の中に認めた上で、セッションや施術を行うと言うのは、日頃、自らをよぎる感情や想念に揺れる事なき様、間断無いそれらの浄化やクリアリングがヒーラー自らに必要である事、いつも痛切に感じる事でもあります。

それはヒーラーが、自らのオーラを通してクライアントを見る上で、自らのオーラの中に様々な不安や恐れの要因があるのに、なんでクライアントやヒーリーのオーラの中にクリアなものを見出だせるのか?と言う事の裏返しでもあります。

このスピリチュアルな講演が終了した事から、会場を後にする人達の口から『あ~よかった!ねえ誘導瞑想の時、何か光りが見えなかった?』

『うんうん、見えたよ!それに身体が暖かい~!』と新鮮な感動が言葉になって出てくるのが耳に入ってきたものですが…
それだけに出版社の方の先程の言葉が対象を描く様でもあり、

それは、ヒーリングさえも商品としての価値を問われ、次から次へとネームバリューのあるものに淘汰されるかの様な風潮、それはスピリチュアルなセミナーであろうとも、情け容赦なく、人間の集まるところ大なり小なり発生する、エゴの振り子の法則を投影するかの様に思えたものです。

寄らば大樹の陰とは、スピリチュアルな世界にさえ例外でないものを感じるのは私だけでしょうか?

罪無き笑顔のこの出版社の方に『それじゃまた!』と声をかけて会場を後にした愚僧でした。

合掌

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