ネパールの大地震に想うこと

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あなたはアジアン雑貨店で購入する綺麗な音色のするシンギングボウルやテインシャ、ヴァジュラなど、チベットスタイルの密教法具、仏像や仏画、マンダラに至るまで、その殆どがネパール製だと知っていましたか?

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すでに犠牲者が8000人を越えるとまで報じられているネパールの大地震ですが、地震当日の25日の夜に聞いて知った私は、早速ネパールの首都カトマンズより仏像や仏画の行商で日本に来ているネパールの方に連絡したのでした。

本国ネパールから、仏像や密教法具、仏画やマンダラなどを仕入れてきては…出どころのわからぬ怪しい骨董品からありとあらゆる物が連なるテントの軒先で売られている事からついた俗称なのか?私が極道当時などは「泥棒市」と呼んで親しんだ上野忍池の露天市での出店をはじめ、全国の主要都市を兄弟3人で行商の為に渡り歩いている方達なのですが、私が7年前にネパールに行った際もガイドを務めてくれた方達であり、ここしばらく疎遠になっていたものの、地震と聞いて、ネパールで見た寺院や歴史を感じさせる町並み、雲を突き抜けるかの様なヒマラヤの山々の姿と共に、いつも明るく屈託の無い笑顔を見せていたこのネパールの友人の顔を思いだし電話したものです。

電話すると…

「アア…アア…ホントニヒサシブリデス。ネパールガタイヘンナコトニナリマシタ…」と兄弟の内で最も日本語が不得手ながらも人柄は一番実直なものを感じる長男の方が電話にでました。
この時期、自分以外は皆ネパールに帰国していたとの事で、安否を訊ねる私に…共に日本とネパール間を往来し、行商をしている弟達をはじめ、家族全員が無事である事は確認が取れたのでホッとしてはいるものの、カトマンズ市内にある事務所としている自宅の半分が倒壊した事などを「モウオコッテシマッタコトデ、シカタアリマセン…コレカラネパールガドウナルノカワタシニハマッタクワカリマセン、デモウケイレナケレバナリマセン」と話す言葉は、まぎれもなく自分自身に言い聞かせている言葉に私には聞こえたものです。

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続けて…「ネパールデ、イチバンタカイタワー(高いタワー)モ、タオレテシマイマシタ…ネパールデアンナイ(案内)シタ、フルイオテラ(寺)モ、ストゥーパ(仏搭)モ、ジシン(地震)デホトンドガコワレテシマイマシタ」と語る長男の言葉に…

7年前にネパールを訪れた際に見て回ったヒンズーとチベット密教を合祀した様な美しい寺院の数々や、どこもかしこも塗金された仏像が店の軒先に並ぶカトマンズの一角、ヒンズー寺院の側の川のほとりで死者が黒煙をあげてまるでゴムが焦げている様な異臭を放ちながら焼かれる風景、そしてその傍らで手垢だらけの人形を片手に物乞いをする幼い少女の姿、その瞳…
世界遺産と貧困の両面を併せ持つかの様なこの国の素顔を思い出した私でもありました。

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私がネパールを訪れた際に、カトマンズの街並みを、車に乗せて案内してくれたこのネパールの兄弟に「こんな事言いたかないが、この建物じゃ、大きな地震がきたらひとたまりもないね?」と、カトマンズ市内の外国人向けのショッピングや観光スポットとされている地区などでも、建物の大きさで言えば東京御徒町のアメ横商店街ほどの小さな店が連なる地区も多く、老朽化した建物も目立つカトマンズ市内を見た感想をそのまま言う私に…
三兄弟の内一番下の弟が「ハイ…ジツハ、ジシンノアッタシセン(H・8年四川大地震)ト、ネパールハ、オナジプレートナノデス。ツギハネパールガアブナイトワタシハオモッテイマス」とまだ発生して間もなかった四川大地震を引き合いに私に話すのでしたが…

この3年後に日本は未曾有の東日本大震災を経験し、そして7年後の今日、このネパールの友人の言葉が現実となってしまいました。

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さらに私は、私のブログやfacebookでもお馴染みのインドカレーのお店の店長がカトマンズ出身な事から、安否の電話をいれると、ネパールにいる家族も皆無事で大丈夫との答えにいささかホッとしたものでしたが…今も震度4レベルの余震がひっきりなしに続いている事から、耐震構造などと言う言葉とはおよそ縁遠い家屋が多いネパールの住宅事情、ほとんどの人が家の中にも入る事も出来ず、停電し真っ暗な中を表で夜を明かしているとの事でした。

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マスメディアの報道に慣らされた私達は、被害状況で知らされる亡くなられた方の数字をいつの間にか何かの統計の様に考えがちになりやすいもので、昨日なども山手線に乗っているとリクルートスーツに身を固めた若者の一団が…

「ネパールの地震で死んだ人って今何千人だっけ?でも、日本の震災に比べればたいした事ないよね」と話すのが聞こえてきましたが、これなども人としてのモラル以前、まだ大切な何かを失う経験をした事のない若者ゆえの言葉なのかも知れませんが、私達人間にある狂気をこの若者が代弁してくれている様にさえ私には思えたものです。

私がネパールを訪れてより7年が経過している為、今はどうか知りませんが…日本では水道の蛇口をひねれば美味しい水が飲めますが、ネパールは水事情も劣悪なものがあり、現地の人間でさえ、水道の水は飲まないでくれと言うほどで、私はそうした事から、ネパールで子供が売り歩くペットボトルの水を買って飲んだ時があったのですが、中身が井戸の水などと入れ換えてあったのか?口に入れた瞬間に「これはペットボトルの水とは違うだろ?」と思いつつも喉が渇いていた事からゴクゴクと飲んでしまい、帰国間際に猛烈な水あたりに遭ったものです(笑)

ネパールは、ペットボト
ルの飲料水を買う事の出来る自販機や、24時間オープンしているコンビニなども首都のカトマンズでさえ見当たらない、そんな国でもあります。電気の状態も悪く、カトマンズ市内でも平時の時でも日に何度も停電する有り様でした。
各国の救助隊がネパールに入国し、空港が混乱している事なども報じられていますが、ネパールの空港は日本の地方都市にある空港に等同な小さく、ローカルな雰囲気さえ漂わすものがあり、各国の救助隊が着陸を見合せていると言うのもうなずけるものがあります。

道路も整備されているとは言い難く、カトマンズ市内を少し離れると鋪装されてはいるものの、車で走ると、ガタピシ、ガタピシと音がする様な起伏の激しいデコボコな路面が続き、私がネパールを訪れた際も、カトマンズ郊外から山間部に差し掛かる山道などで、ネパールではバスの上にも乗客が定員オーバーして乗るのがあたり前になっている為か、急なカーブで車体を支えきれずに道路脇の溝に脱輪したり横転する事故も頻繁に発生する様で、別に警察が介入している様子さえ見えないバスが横転している光景を、二度三度と旅の道中に目にしたもので、現地のガイドの話しを聞くと…そのバスを引き上げにくるにはまた数日はかかるだろうとの事で、その倒れたバスの側で、運転手や乗客とおぼしき人達が、ケセラセラとばかりに笑ってバスを見ていたもので、日本では考えられない光景であり、約束に五分遅れるだけで時には信用を失う日本と、「モウスグツキマス」と1時間や2時間は約束に平気で遅れてくるネパールでは時間一つとってみても大きな違いがあるのです。

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私はこのネパールの地震の報に触れた時、生存者の一刻も早い救出は勿論の事ですが、水事情、環境衛生面も決して良いとは言えないものがあるだけに、細菌による伝染病などの二次災害と言うものにも迅速な対応が必要の様に思えたのでした。

地方の状況などを含め、被害の全容を把握するにはまだまだ時間のかかりそうなネパールですが、72時間が生存のタイムリミットとされている事もあり、瓦礫の下で救出を待つ方達の一刻も早い救出を願うばかりです。

地球のシフト期に伴い、天変地異や紛争や戦争など、混沌とした状況が噴き出す様に現出されると言われる今の私達人間世界のタイムラインですが、私達人間の学びや課せられているミッションがあるならば、穏やかなものとなる様に祈るばかりの愚僧であります。

アジアの友人ネパールの大地震でお亡くなりになった方の御冥福を心よりお祈りしたいと思います。

合掌

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