★人生交差点…恩讐の彼方に②

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※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。写真はKindleから4月8日に発売された電子書籍の表紙より

次の瞬間私は…「むかっこのブタ野郎!ペテンかましやがって!承知そんぞ!」と目の前のテーブルを思いっきりひっくり返し、湯飲みから大理石の灰皿セットまでが派手に床に砕け散ったもので、ここに至ってこの社長は「け、警察呼びますよ、お…おい、警察に電話しろ」とさっきはヤクザの事務所に電話しろと命じた若者に、その舌の根も乾かぬ内に、今度は警察に電話しろと言う変わり身の早さで…自らを裏社会に生きるヤクザの相談役と語るなら、決して言ってはならぬ禁句を口に出したものです。

※「ペテンをかます」とはこの場合嘘をつく事。

「何だと?○○組の相談役のくせして、サツタレ(警察に通報)するのか?何だオイッ!相手が弱いと見ればヤクザで、都合が悪けりゃ警察に泣きつく様な行儀を○○組では教えてるのか?ヨシッ!今から○○組に俺が電話入れて聞いてやるよ、オイッ、そこのガキッ!ボケッと口あけてねえで電話よこしやがれ!」と、一気に形勢が逆転した状況に呆然自失の表情を見せる若者から、八つ当たり同様に子機を取り上げ、私はリダイヤルのボタンを押したものです。

すると受話器の向こうに響くは…「ハイッ、〇〇庵です!」と元気の良い健全な蕎麦屋の応答であり(笑)私が訪れる前に出前を頼んだ履歴がそのまま残っていた様で、これでヤクザの事務所に電話した事もすべて芝居だった事がめくれ…

「社長さんよ、いつから○○組は蕎麦屋になったんだよ?まだこれでもヤクザの相談役だなんてあんたシラきるつもりか?」と、私に引導を渡されたこの社長は、観念したかの様に「すいません…奥の部屋によろしいでしょうか?」と神妙な顔をして言うのでした。

こうしたケースで相手が別室を示唆する様な時は金の支払いを呑んだと思ってまず間違いありません。

○○組の人間に知り合いがいるだけで、相談役と言うのも嘘で、借用書の金額は明日中に全額支払うので、○○組の相談役を語った件はどうか内密にして欲しいと哀願する様に頼むこの社長でしたが…私も初めとは別人の様な目も虚ろなこの社長の態度が少々気の毒になり、決して口外しない事を約束し、表に出たものです。

帰りすがら…堅気になり、平穏な生活を良しとして心掛けなければならぬ身でありながら、反対の極へ自分を投げ込んで行こうとする自分は、やはり不良の世界がお似合いなのではないかと、極道社会への望郷の念が頭をもたげてきたものです。

またこの時期、近隣のある町を縄張りとする組長だった人間から、私が関西系列の組織に属していたのを人より聞いて快く思っていなかったのか、酒席で嫌味を言われる出来事があり、向こうは若い衆も連れずにノーガードだった事から、ビール瓶で殴りかかりたい衝動を辛うじてこらえた事などもあり、今思えば、これなども私がヤクザが出入りする様な店に酒を飲みに行くのも間違いなら、酒席で「カタギなんだから、指が無いのを隠して目立たない様に大人しく隅っこで飲んでなよ」と私に警告したこのヤクザの言葉も、至極ごもっともで親切な戒めの言葉として受け止め、襟を正すべき事でもあります。でも、当時はまだ血気盛んな頃で、とてもそんな心持ちになれるものではありませんでした。

父の仕事を手伝っている内に、子供の頃からみてきた酒乱で気難しいばかりの姿ではない一面も垣間見えたもので、仕事に対しての几帳面で真面目一徹な姿勢が幸いしてか、取引先から信頼がある上に、ユーモアもある事から、新聞などの引き取りに赴く先の町内会や子供会のご婦人達にファンさえいる父親の意外な一面を窺う事も出来…この頃には私にとっても父親は憎しみの対象ではなく、父と言い争う事も一切なくなっていました。

家族や関わる人の笑顔を見ながら送る淡々とした日常と、力を信じ、張り駒の様に身体を差し出し、度胸一つで金をせしめる事の出来るヤクザのダイナミズムが自分の中で交錯し、葛藤が生じる様になり、未だに不良の性根が抜けきっていない自分が親元にいるのは場違いで申し訳ないと思う様になり始めていたのです。

日が経つにつれ、堅気の世界に違和するかの様な自らの粗さばかりが際立つ様で、挨拶一つとって見ても違うヤクザと堅気の世界、裏社会で培った見栄やプライドなどと言うものも、堅気の世界では害にこそなれ、無用の長物…

何の仕事をするとか、就くとか表面上の体裁を整える事ではなく、こうした事に向き合い、内側にあるものを落として行く事が私にとって堅気で生きる事だと知る時、心にぽっかり穴があき、自分が無くなってしまう様な言い様の無い寂しさを感じ、まだまだ本当に素っ堅気になるつもりなどない、自分の身勝手さだけが炙り出されるかの様な思いでした。

この時期、妹にも将来を誓う相手が出来、私に極道式の上下関係を叩き込まれる様に厳しい目に遭わされても、私を義理の兄としてたてるこの若者こそが、父の仕事の後継者に相応しいと思う様になり、私は部屋を借りて親元を離れた後は、徐々に実家にも寄り付かなくなり、父の仕事もやめてしまったのです。

こんな私が極道の世界に舞い戻るのに時間はかかりませんでした。
その世界に戻るとなれば親の心配など、どこ吹く風とばかりに功名心にはやる私は、出戻りの様に組に戻れば、かつての後輩さえ兄貴と呼ばなければならないその世界の掟は身に染みている事から、たとえ長い懲役となろうとも、登竜門を一つ踏んでその世界に戻りたい気持ちがありました。

そんな時、私が堅気になり親元へ帰る前に私が所属していた組織(現在は解散)の先代組長を射殺した敵対組織の組長(死去)が長期受刑を終えて、出所した人間を更正支援する為の施設にいるとの情報を得て、もう一名(死去)と共に自由時間を与えられ、施設の表に出てきたその方を拉致監禁したものです。

でも、極道の世界に戻る事なく、これからは出家したつもりで生涯頭を丸め、若い時より仲の良い兄弟分だった先代組長の供養を生涯続け、地元で待つ女房と静かに暮らしていきたいと涙ながらに語るこの方の言葉に嘘はないものを感じ、幸いにしてこの方を殺める事なく、謝罪文と解散声明文を書かせてさらにその証文と共に本人の写真を撮り解放したのでした。

私はこれを機に極道社会に戻りましたが、その後の私は波乱を描き、薄氷を踏むかの様な日々も経験し、諸行無常を自己にも他者の姿にも見るかの様な日々が続きました。

その後私は獄中で気付きを得て、紆余曲折の果てに堅気になり、何かに背中を押される様に、真言宗寺院にて得度、加行、さらにヒーラーとしてスピリチュアルな道に転身し、現在に至りますが、この時こそ、前述の自分の中に積り重ねた心の垢、そこから派生している恐れやパターンに向き合わざるを得なかったのです。
それは私が若き日に先送りした事でもありました。

父は私が極道世界に戻ってから数年して、ガンが再発し亡くなってしまいました。亡くなる数日前意識混濁になる前、病院の個室のベッドの上で端座し、最後の言葉を語った父の姿は今でも忘れる事が出来ません。
もう実体の半分は天界に行っているかの様にすべての執着から解放され、後光が差しているかの様なその姿でした。

父が亡くなり、母がお世辞にもうまいと言えない下手くそな走り書きで書かれた父親が残したメモを見せてくれた時があります。
そこには…

今日も身体を切り刻まれて

運命かな 運命かな

楽しかったよ

愛していたよ

と書かれていました。ガンが骨にまで転移し、手術を繰りかえしていた頃に父が書いたものと思われますが、そこに書かれているのは遺言とも母へのラブレターともつかぬ内容で、あの父親がどの面さげて「愛していたよ」なのか…
私が二十代前半の頃、わずか一年にも満たぬ間だったにも関わらず、私が仕事を手伝った事を心の宝として、酒を飲むと涙ながらに語っていたと言う父…

晩年、気性も穏やかになり、酒乱の気も収まったかの様な父でしたが、頭を何針も縫うほどの怪我をさせられるなど、最後の最後まで父には苦労させられた母でもありました。

でも、連れ添う夫である父にどうしようもない人間としての弱さや暖かさも見出だしていたからこそ、最後まで添い遂げたに違いありません。

そんな母が今では観音の化身の様に思える時があります。

東北の寒村で育った私の父の家系は「ひんきまけ」と言われる変わり者の家系を自慢にしていた様で、九州で言うなら「もっこす」関西なら「へんこ」に相当する形容詞なのかも知れませんが、確かに父もその兄弟の叔父達も、頑固でさみしがり屋でひねくれ者でありながら、人一倍人情もある、そんなあまのじゃくな人達ばかりだった様な気がします。

そんなひんきまけのDNAが私にもまぎれもなく流れている事に、今生では親子の縁薄く逝かせてしまった父を、せめて偲ぶばかりの愚僧であります。

合掌

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