自我(エゴ)と言うのは巧妙にスピリチュアルにも煙幕を張り人を欺瞞するものです『私は気付きがすすみ目覚めた。この世界で起きる事は完璧なタイミングで起きるのだから自分には何ら責任が無い。それがニュートラルに生きるという事。私にはそれが理解出来ているが、貴方にそれが理解出来ず納得出来ないとしたら残念だけど、それが今の貴方のレベルだし、しょうがないよね』と、これはわりとスピな世界に見られるパターンでもありますが『まだ貴方そんなところさまよっているの?』なんて露骨な雰囲気を出す自称、霊的教師の方もいる様です(笑)
微妙ながらも自分が目覚めていると言う優越感さえ自我は利用して、人の内面の成長を阻害するもので、これにまんまとやられてしまう人は多い様です。自分だけに用意された特別な出会い、特別な能力、開かれた道やシンクロの数々。神秘的に困難が解決されたのも自分が選ばれし者でこの世での大きな役割があるからと。次から次へと自我は幻想を投影して問題の本質からは目をそらせるもので、そしてある日思いっきり突き落としてきます。
気付きも目覚めも自分だけの体験、私だけの特別な崇高なものではなく、全ての人にある、目の前の人にも起こり得る共通の認識としてとらえる謙虚な姿勢が大切で(うわべだけでなく)スピリチュアルに幼稚な関わりを持つところからは抜け出ていかなければなりません。
合掌