この2年程、コロナ禍もあってか、仕事を失い失意や絶望の淵にある方よりメッセージを頂きメールでやり取りしたり電話やズームなどでお話しを伺う事が本当に多くなりました。
*先様のご事情もある事からこうしたケースに於いては無料で対応させて頂いております。
下記内容はある方へのメールでの返信ですが、今のご時世に普遍的とも言える悩みの原型とも思え投稿いたします。
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おはようございます。
仏教の観点で言うとこの世界は苦しみの世界です。ただ生きて行くだけでも苦しみが伴います。
形あるものは常に変化しそれは人の心も同様で隅から隅まで無常の世界と理解される事が大切です。
○○さん、貴方だけが地獄の中にあるのではありません。
リアルに幸せそうに見える人の中にも金持ちは金持ちなりの貧乏は貧乏なりの葛藤や罪悪感は必ずあるもので、ここで生きるとはそうした因果律の中に身を置く事であり、そこから内面で抜け出し醒めて生きるのは瞑想なり、赦しの姿勢を身に付けるなり、何かしらの心の訓練が必要となってきます。
ただ、○○さんの言葉にある仕事もしていないから排除されている感覚と言うのは『他者からどう見られているのか?』と言う自我から投影される典型的で誰しにもある怖れの形であり、そこにとどまっていたのでは自らを縛るばかりでつまらないものになってしまいます。
辛いから死んでしまおうと思う時、自殺が大罪と見るよりも試験会場を放り出して帰ってしまう学生の姿を思い浮かべると良いかも知れません。試験を受ける事が先送りされるばかりで、輪廻転生の旅の中で何度となく角度や姿形を変えても同じ課題に向き合わされます。
苦しみの最中にある時はやり過ごした未消化のレッスンをクリアにする時が来たのだと深刻にならぬ事も大切です。
業(カルマ)で人間の寿命は定められています。ならば、与えられたその時まで『まあもたもたしながらでも生きてやるか』と肩の力を抜いて日々過ごす事が大切です。仕事をしていないから、金がないから家に引きこもっているからと自らないない尽くしにするのも人間の高慢さと言うもので、そんな中でも自らの内面を高めたり素晴らしい気付きを得る事は出来るもので、世界は自分発信と心得てどうぞ第2の人生スタートするつもりで日々楽しまれてください。
日日是好日
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合掌