随分前のセッションでの事。セッションを終えると、セクシャル系のセミナーやイベントにも参加したと言うその方が余談の中で…
「全部がそうやとは言えへんけど、男性が主催されている会なんかだと、中性的な雰囲気出していかにも無害装っているけども、信者の様な女性が周りにしっかりおいでになられてデキテルのがバレバレやん、言う感じでしたわな。
女性が主催されているセミナーとか催しなんかも結構行きましたけどね、性的に満たされれば枯れないとでも言わんばかりの内容でね。自分で齢には見えへん美魔女やと思ってはるのか?やはり信者の様な女性達がようけいて『センセ、お綺麗!』なんて持ち上げまくるもんやからその気になってしもうて、よく見ればシワもあるし、お尻も垂れていたりで、何でこんな女性の講釈真面目に聞かなあかんねんと悲しくなって途中で退席したんですわホンマに。。
それに参加している男性も何を勘違いしているのか?セックスや具体的なテクニックにも触れる内容やからそれに飢えて不満を持った女性ばかりが来ているんだろうと、あわよくば仲良くなってホテルでもいったれ言う感じで、あれ視姦言うんですか?ホンマ、講義中とかジロジロ人の身体舐め回す様に見る人もいたりで、休憩中とかLINEの交換とか当然の様に求めてきたりで『誰がお前みたいなハゲオヤジに教えるかい💢』と、さすがに口には出さへんかったけど、トイレ行くふりして逃げました(笑)
何か真言密教の理趣経を持ち出して空海さんも性的なエネルギーの大切さを理解していたとかフリーSEXもOKとか勝手な事言う人達もいて、高野山とかに聞こえたら大丈夫なんかこの人ら?なんて思う事もありましたね。冷えた旦那との関係見直したくてセクシャル系のセミナーとか講演に随分と行きましたけど、私の中では元風俗嬢の実演以外はあまり得るものありませんでした(笑)」
と、お話し頂いたもので、なかなか手厳しい意見の様ではありますが、本質を突く一面を持つ内容ではあります。『老いても尽きぬ性の悩み』などとはよく言われる事ではありますが、どんな美男美女の組み合わせでも、出会った時の燃える様なバイブレーションも時と共に変質し、物理的に言えばお互いの身体に飽きる時が来るのも無常と言う生滅変化の因果法則の中では自然の事と言える様です。
私が極道当時なども本妻以外の愛人との関係に於いて『身体の相性が良いので離れられない』などとのたまう人間などもいたものですが、それでも時がくれば当然の如く別れていたし、挙句の果ては本妻からも三行半を突きつけられ本妻、愛人をダブルで失うといった『二兎を追う者は一兎をも得ず』とばかりの業(カルマ)に晒されていた人間などの姿もあったもので、別段、そこに特別なものがあるわけではありません。
男女も若いギラギラしている時分ならいざ知らず、年齢と共に更年期に代表される様な心身の不調を経験したりで、妻や夫との夜の営みなど、とうの昔よりご無沙汰、また興味も無し、ただの同居人同様で、それよりも自分自身の痛みや身体の不調を改善したいとセッション時にお話し頂く方も多かった様に思いますが、仏教で言えば肉体は不浄、時と共にいつ壊れるか分からぬ電化製品と同様の視点視座で見るもので、執着すればやはり苦しみを増すものと一刀両断に明快なものがあります。
されど、出会いに期待し(配偶者がいても)性の快楽やバイブレーションを追い求め、老いてもなおそうしたエネルギーが起爆剤になると信じている人には到底仏教のそれは受け容れられない論理に違いありません(笑)
でも、年老いてもなお変わらず、肉体の盛衰などの条件付にも影響受ける事無く、相手との関係に優しさ、慈しみ、思いやり、穏やかさを見出すのも仏教の説くところで、それは同時に真のスピリチュアルが見出す事ではないでしょうか?たとえ、お互いの間にまぐあいはなくとも、人生を共に過ごしてきた戦友といった様な見方へシフトさせる事で、夫婦の絆は継続されて行くものの様に思えるものです。
たとえ普段はお互いを『トド』とか『メタボオヤジ』などと呼び合う間柄でも(笑)ご縁あればこそめぐり逢い同じ空間で生活しているのですから。
合掌
【残席2名】10月開催のお知らせ!
密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰
かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。
あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に
愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。