「私」という男の生涯を読んで

政治家の頃など執務室に於いて情事に及んでいたと言う好色一代男的な故人の不倫や恋愛遍歴、やはり後を追う様に鬼籍に入られた妻である女性へ懺悔の想いを覗かせつつ、若い頃は浪費癖で家を傾けた弟、石原裕次郎との関わりや芥川賞作家から政界への青雲立志編的な内容、青嵐会の結成、運輸大臣や都知事在任期間中のエピソードなどにも触れており、単に読み物としても面白い本であると思います。
新興教団の教祖との関係や宗教観なども随所に見られ、晩年、自殺の名所青木ヶ原を題材にした映画を監修した事などにも頷けるものがありました。
私は極道当時、選管に届け出をした政治結社(右翼団体)を持っていたものでしたが、そんなご縁から作家、三島由紀夫が結成した楯の会の初代学生長を務めた松浦博(旧姓持丸博・故人)さんと交流があり、当時、私の後援会長などもしてくださっていたもので、工務店をされていた事から私の組事務所の防弾ガラスや改装諸々をお願いしたものでした。三島由紀夫から深く信頼され、寵愛を受けたこの方が会を離れたばかりに盾の会の性格が変貌し、
昭和45年の自決事件への流れが出来たとする評価があるなど、最も三島由紀夫を知る一人でもありました。この本の中でも石原慎太郎と三島由紀夫の邂逅や小説家としての視点、評価なども書かれていたものでしたが、この方も石原慎太郎と交流があり、当時総理への出馬、野心が取り沙汰されていた頃でもあり、ある席で一緒になり、それを問うと、
親指と人差し指で金を意味する丸を作り『何せ、カネ、カネなんだよ』と話していたそうで、私自身も一国の首相と言うより都知事、江戸の大番頭として国政にも物申す立ち位置がこの人の分なんだろうなと言う気がしていたものです。
俳優、石原裕次郎のデビュー作「狂った果実」は兄である石原慎太郎の作品を映画化したもので、この本でもその時の事に触れているものですが、晩年、好々爺を演じる事の多かった津川雅彦を石原慎太郎が発掘しこの映画に起用し俳優としての成功への足がかりとした事など、人の成功の裏には人の縁が介在している事を改めて感じたものです。
時代で言えば、私の親などが十代の頃の映画で、モノクロではありますが、当時の逗子や湘南辺りが映し出されていて、キャストや内容に至るまで、ヌーヴェル・ヴァーグの様で令和の今観ても新鮮です。
石原慎太郎が作詞したと言うこの映画の主題歌「狂った果実」私が初めて聞いたのは中学生の頃だったでしょうか。石原裕次郎のデビュー曲としても知られるこの歌、歌詞にある『人は誹るとも』と言うのはこの映画が不倫を題材にしたものでもあり、それに抗うかの様に恋する者の情熱を謳い上げている様ではありますが、エレキともウクレレともつかぬ伴奏に乗せて、まだ若い頃で成熟していない石原裕次郎の歌声が余韻に残っていたのは、何かを結んだり、情熱のままに掴んだつもりになっても、最後は無一物のままに死んでゆく、人が生きる無常をこの歌に感じていたからなのかも知れません。
狂った果実
作詞:石原慎太郎
作曲:佐藤勝
夏の陽を浴びて
潮風に揺れる花々よ
草蔭に結び
熟れてゆく赤い実よ
夢は遠く 白い帆に乗せて
消えてゆく 消えてゆく
水のかなたに
人は誹(そし)るとも
海の香にむせぶ この想い
今日の日もまた
帰り来ぬ 夏の夢
熱きこころ 燃え上がる胸に
狂 いつゝ熟れてゆく
太陽の実よ
潮の香も匂う
岩かげに交すくち吻(づけ)も
その束の間に
消えゆくと知りながら
せめて今宵 偽りの恋に
燃え上がり 散ってゆく
赤い花の実
合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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