餓鬼と施餓鬼

その昔、私が極道渡世に生きた当時など『あのガキが💢』とそれが年長の人間であろうと何であろうと、蔑みや憎しみ、攻撃の対象を形容する言葉として日常茶飯の様に用いていたものですが、本来それが仏教の地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上『六道』の内『餓鬼道』にその語源がある事など深く考えずに使っていたもので…
痩せ細り目もギョロりと腹だけぽっこり出た地獄の餓鬼と、なるほど浅ましい詐欺師野郎とは似通ったものだと単純に頭の中でイメージを結び付ける事ばかりが関の山だったものでした(笑)
お盆の時期になると全国各地のお寺で施餓鬼法要(せがき)が営まれるものですが、コロナの影響もあり、法要への参座を中止とし、施餓鬼塔婆だけを受け付けるなど、お寺側の対応にも様々にも変化の見られる年でもありました。
檀家さんのいるお寺などとは違い、私のところなど、お施餓鬼をお願いされる事はないのですが、それでも先祖の魂をお迎えするお盆の時期など、先祖供養を兼ねてお願いされる事があります。
(若い時分の中絶手術など、罪悪感をひきずってこられた方なども同伴して来られる事も)
前述の『餓鬼道』に住む存在が餓鬼なのですが、食物を求め常に餓えている状態が、年中お腹を減らし食べる物を欲しがる育ち盛りの子供に共通するものがある事から、子供の事をガキ(餓鬼)と言う様になった歴史もある様です。
(あまり良い呼び方ではありませんが 笑)
施餓鬼と言うのは文字通り、餓えで安楽に至れない餓鬼を憐れみ、食物を施すという意味なのですが、施餓鬼法を勤修する際など実際に餓鬼の口より食物を流し込む観想などもするもので、日頃行う加持祈祷に同様のものがあります。施餓鬼と言うのはこうした事から生じる功徳を先祖に回向(えこう・供養)するものです。
一概に先祖供養と言いますが、私などはそうした事をお話しくださる方を目の前に『そんな貴方も何代か前のご先祖様だったに違いありませんよ』などとお話しさせて頂く事も多いものです。私達には先祖があり子孫もありますが、とかく私達人間は、過去、現在、未来と直線的な時系列でそうした事を判別しようとするもので、先祖からの系譜ばかりに重きを置きがちになるものですが、親や兄弟、配偶者、子供は勿論の事、同じ時代を共に生きて支えあっている仲間や友達、同僚、縁あって自分の元に来た犬や猫などの動物や植物に至るまでの縦横無尽を先祖供養のお盆の時期に感謝と共に心に置いて見るだけでも、
(お世辞にも感謝出来ずともそうした人の姿も心に置いて見る)
とかく適者生存のシステムの中で失われがちになる自分の立ち位置を確かめ、人間関係の見直しや未来への指針が生まれたり、活かし活かされている事を教えてくれる何物かが自分の中にフィードバックされる事請け合いです。
※盂蘭盆会と施餓鬼法要は本来別々のものです。
                  合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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