毎回お加持を終えると窓を開けてお堂の空気の入れ換えを行います。
お堂と言っても、一般居宅の一室をあてがっているに過ぎぬものですが、シャッター、ガラス窓、障子の三層になっている為、完全に閉めきってしまえば、ほぼ完全防音で、深夜のお勤めでも金剛鈴の音がご近所に聞こえる様な事もありません。
二階でのヒーリングセッションを終えてから加持祈祷をご希望される方など、お堂にお通しすると、セッションルームとの氣の違いを感じる方も多いもので、
『ここで瞑想していたいです』
『動きたくないです』
『不謹慎ですがここで寝たら熟睡出来そうです』
などなど(笑)その時々、訪れる方のご感想にもユニークなものがあるのですが、そんなお堂もいつの間にか拝み始めてより十年以上の月日が流れました。
私のところは拝観を受け付けている様な伽藍を有するお寺ではありませんが、それでも遠隔加持やヒーリングなど、時にカウンセリングを通してお客様の赤裸々な人生に接する機会も多く、そうした意味に於いても、祈願札をお授けして終わる一般の社寺の御祈祷とは異質なものもあるのかも知れません。
妻や夫、両親、子供、恩師に当たる方や時には不倫相手などの病氣平癒や対人不和やトラブルの解消を願って、または霊障の解決、浄霊など、様々なバリエーションがそこにはあるものですが、かと言って、我が身をさておいて愛する人の為に加持祈祷をご依頼される願主の方自身も病気を抱えていたり、様々な苦しみの最中にあったりと、それ一つとってみても、この世界を『苦の娑婆・しゃば』と呼び看破した釈尊の言葉を感じさせるに充分なものがあり、そうした事からも私は、ご本人は勿論、遠隔加持をご依頼されてきた願主の方へもお加持をさせて頂く事が多かったりもします。
今日も深夜のお加持を終えて窓をあけると、お堂にこもった燃焼した抹香や沈香の煙りと共に、浄霊を意図して拝んだ故人の魂が私に挨拶するかの様にちょっとの間立ち止まり、白い煙りと共に外気に消えて行ったものを感じたものです。
合掌