深夜の遠隔加持を終えて・雑感

未明からの遠隔加持を終えてお堂の窓を開ければ秋の夜長を思わせる様な虫の大合唱が聞こえていました。
人間と言うのは猛暑が続いたりすると『さっさと夏など終わってしまえ』と思ったり、冬の寒さがやってくると逆に夏の陽射しが恋しくなったりで、かと言って、新緑や桜、紅葉を見て心地よく過ごせる春や秋などと言うのはアッと言う間に過ぎ去るもので、まるで人生の配分そのものとも言えそうです。
無常、破壊と再生、変化変容のリズムは私達の生きるこの地球の万物に組み込まれたものですが、それでも私達人間は身近な人間に対しては、知らず知らずの内に自らの理想とするこうであって欲しいと言う様なエゴを通して見るものです。
思い通りに動いてくれない事から腹を立てたり葛藤を生じさせたりと、いつまでも『自分の望む相手の姿』に固執して相手の心に生じている春夏秋冬に気付く事が無いもので、愛だとか常識だとか人の道だとか色んなフレーズをかざして非難したり引き戻そうとするものの上手く行かず大きく傷ついたりもします。

でも、そんな時、本当に難儀で手に負いかねるのは相手ではなく自分自身(マインド)ではないのでしょうか?

人間と言うのは人のコントロールには余念が無い生き物ですが(笑)自分の内面の統御などは思いもよらないもので、瞑想をしても2時間もすれば家族を怒鳴りつけ気持ちを乱したりもするもので(笑)
話しは変わって…
スピリチュアルに傾倒し金がでずっぱりだったり、自分を見失ってている人などに対して『現実を見なよ』とは適切な言葉かも知れません。成功や実現、豊かさや愛情、健康などのワードを目にすれば、上昇一途、人生の谷など自分には訪れないと思いたいのも人間ですが、そこには失敗や挫折、不和や欠乏、病気や老い、別離なども等同もしくはそれ以上に生じ、無常が支配するこの世界は成功や快の振り子一辺倒の世界では到底あり得ません。
スピリチュアルな教師と言うものも集客の都合などもあり、ポジティブ要素ばかりを強調するきらいがありますが、自らが説く事の無いネガティブな要素に喰われ散々な風評を残して消えて行く人間などもいるものです。
でも、そもそも、物事をポジティブやネガティブに分類するのも自らの煩悩や妄想と言うものであり、出来事は出来事として、起こるべくして起きている事を体験している事象として眺める事で心穏やかにやり過ごす、または共存(病なども)する事が出来る様になります。
過去生からのカルマなどと言うと人間関係や恋愛の成否にばかりそれを適合させ様とする人が多いものですが(笑)肉体のパターンから始まり、見るもの聞くもの味わうものの全てもシナリオ通りのカルマの所産であり、不公平はある様でもそれも因果の内で私達人間は受け入れて行く他無さそうです。
難儀で不可解で手に負いかねる自分自身を赦す事の大切さ。そうしている内に手強い内面の葛藤の種さえ摘んで行く事が出来る様になります。そして何よりも人も自分も一瞬、一瞬、生まれ変わっている生き物であると理解し、人の中に生じている春夏秋冬を受け入れ、と言うより結局受け入れざるを得ないのですが(笑)そんな視点視座を心掛けると人生の質感も変わり人生の振り子がどっちに揺れても囚われる事なくフォーカスして行く事が出来る様になるのではないでしょうか。
今日はセッションなどお休みを頂きゆっくり過ごしております。
世界の生きとし生けるもの全てが幸せであります様に
合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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