深夜の遠隔加持・私記

おはようございます。
未明からのお加持を終えた後で換気を兼ねて窓を明けるのですが、壇を降りて座布団に正座し窓から流れ込んでくる冷気が気持ち良いもので、春夏秋冬、季節の移り変わりを感じさせてくれるひとときでもあります。
真言密教のお寺と言うと誰しも不動護摩で知られるお不動様(不動明王)を思い浮かべるのではないでしょうか?自坊の本尊、大元帥明王は『国家守護の体を為す』などとも言われ、日本が外敵に攻められるなど、国難に遭う度に宮中などで修法の尊格として拝まれてきた歴史があり、観音様の化身とされながらも怨敵調伏の性格の強い秘仏でもあります。
大元帥明王、不動明王、毘沙門天とキツイ仏ばかりが並ぶ自坊の壇上を見たある方が『正仙サンそのものではありませんか』などと言ってくださったものでしたが、得度し大元帥明王をお迎えした時など、元極道の私は三体並ぶそれを見て『おーっ、組長、若頭、本部長と三役揃ったやないかい』とバチ当たりな軽口を叩いていたものです(笑)
でも『行者を調伏する大元帥明王』の言われの通り、これはいい加減な気持ちで拝めば行者自身にも障りが現れ罰されると言う行者(僧侶)に於ける一つの戒めなのですが、大元帥明王を迎えてより一気呵成に物事が起きたもの事実で、私の人生のシフトが先にあり、たまたまそれを象徴するシンボルとして招いただけなのか?
前後はともかくとしても怒涛の如くそれは生じたもので、まだ澱の様に残っていた裏社会への未練や憧憬を断ち切るかの様にそれは意図されている様に感じたものです。
お寺と言えど戦時下に於いては国や軍部から敵国を倒す為に戦勝祈願や怨敵調伏の祈祷をする様に命じられたもので、明治以降の国家神道立ち上げに伴う廃仏毀釈の流れなどもあり、国のプロパガンダを担わなければ寺院は存続も叶わぬ所へ追い込まれた歴史があります。それは日清日露戦争や第二次世界大戦など近代まで続き、怨敵調伏の最たる尊格、大元帥明王を拝む行者にもそれは当然及んだものです。
日露戦争などに於いてバルチック艦隊を撃破したその時刻に『勝った!勝った!』と叫び声を上げて大元法(大元帥明王法)を修法していた行者が壇上で息絶えた事実や太平洋戦争に於ける時の米国大統領も大元法による調伏祈祷時に発作を起こしそれが原因で死亡したとする記録があるなど、仏教史などでは決して明るみにされないコアな歴史と言うものもあります。
突き詰めれば最後は命の取り合いになる様な極道の世界を生きた私にとって、大元帥明王は申し分の無い拝みの対象であり、それはパワーを象徴するものでもありました。
でも、得度に並行して私はスピリチュアルな分野でこそ、その鼻っ柱を折られるかの様な大きな学びをさせられたものです。
力やパワーの誤用や過干渉がもたらすカルマや弊害。自由意思の大切さ。信念や思考のプログラミングがもたらすものなどそれは多岐に渡り、そうした学びが無ければ、きっと昨今勃発したウクライナの戦争に乗じてロシアのプーチンに対して呪詛調伏の祈祷を立てる様な、いたずらに幻想を強化するばかりの無軌道で天狗な行者になっていたに違いないのです。
こうした事から今では大元帥明王やお不動様は私にとってはパワーの象徴からヒーリングのシンボルとして変換されるものがあり、私が壇上で行い得るのはせいぜい世界平和を祈る事や個人様へのヒーリングを兼ねての加持祈祷、これだけに尽きると得心しているものがあります。
どうぞ良き一日をお過ごしください。
世界の生きとし生けるもの全てが幸せであります様に
合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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