シオンの議定書
この本を読んでみて、ふとその昔よく洋服を買いに行った店のご亭主の言葉を思い出したものです。
当時マスターと呼んでいたこの方は、イタリアのブランド店で長い間下積みを兼ねて働いた事もある方で、セーターやタートル、ズボンやジャケット、小物に至るまでなかなか他店には無い小粋なものを扱っていた事からよく通ったものでした。
ある時「たとえば…銀食器はどこの国、背広や着る物はどこの国といった具合に我々人間はユダヤがその昔に割り振りして定めたものを当たり前のものとして享受してすりこまれているんですよね」などと、アメ横の一角の店舗で語るこの方の記憶が思い出されたものです(現在は閉店)
確かに外的事象だけを見るならばたとえこの本が偽書だとしても「21世紀の歴史は、この書の通りに進行している」と書かれたこの本の帯の通りに違いありません。1800年代の後半にユダヤ教改革派の長老が起草したと云う無制限の世界制覇の綱領計画と云うもの…
「ゴイム」と形容される「非ユダヤ人」の世界各国の国民をその対象とした油断無き悪意に満ちたアメとムチの論理、深謀遠慮を通り越して透徹したものさえ思わせる超マキャヴェリズムとでも言うべきものが展開されているもので、現代訳に書き直されてはいるものの、今の時代にも全く遜色なく読める内容であり、それはあらゆる紛争や内乱、貧困、戦争、暴力の影にあるものを映し出しているかの様でもあります。
それは言わずと知れた世界の闇権力の介在と云うもの…
この本にもフリーメーソンやロスチャイルド、イルミナティの記述や発生起源なども解説されており、ユダヤの陰謀論を裏付けるその内容でもあります。
(プロレタリア独裁、世界同時革命を標榜したカール・マルクスの共産主義インターナショナルにもロスチャイルドが世界の混乱を起こす事を目的とし加担していた記述もあり)
またこの本の中で、たとえばフリーメーソンなどの動きでも組合(フリーメーソン)のやる表面上の事に世界の目を釘付けにしてあえて非難させておいて世論をコントロールし、その裏で易々と世界経済を牛耳る構想なども書かれているもので、だとすれば現在などさらに高度な洗練されたシステムを構築し、あえて「金融経済を作ったのはロスチャイルドだ!」とか「イルミナティは悪魔崇拝の秘密結社だ!」(詳しい暴露本らしきものは多数出版されています)など開示しても痛くもかゆくもないフェイクされたルポさえ自ら用意し、世界に流布する事で眩惑し撹乱してそのシステムを隠蔽している事は火を見るより明らかな事かも知れません。
またこの「シオンの議定書」を翻訳した明治生まれの陸軍中将で衆議院議員だった四天王延孝と云う人物が戦前すでにユダヤの策謀に警鐘を鳴らしていた事など興味深いものもあります。
でも、私はこの「シオンの議定書」にエゴ(自我)が企図するもの、人間を使って版図を拡げ様とするものが書かれているものを感じるばかりで…そう言う意味に於いてはフリーメーソンもロスチャイルドやイルミナティも「エゴの触手」「エゴの駒」にしか過ぎないものを感じるばかりです。
「エゴ」といえば世間一般の方からすれば「人様のものを横取りした」とか「理性に従わない心」だとか、心理的なもので日頃の心がけでどうにでもなるものでさしたる問題ではないと考えるのが普通かも知れません。
「エゴがどうした?世界情勢に何の影響を及ぼせると言うのか?そんな事言ってる間に爆弾落とされたら対応出来るのかアンタ?現実逃避だろそれは💢」
「そんな事よりも手をあげて具体的なアクションこそが問われるべき事ではないのか?言葉遊びじゃ平和は来ないさ」などなど…
評価されるべき平和運動は当然あり、社会構造や枠組みへの提言やアプローチなども同様にありますが、気を付けないと「平和に名を借りた裁きや攻撃」を推奨しているのもエゴであり、もっともな大義名分を人間のマインドに用意して分裂抗争に仕向けるのもまたエゴの得意とする働きと云うものです。
世界の巨悪とか闇権力さえシンボルとして利用して影に隠れてしまうのが「エゴと云う大立役者」であり、心眼と云うのはこんなところにも試されているに違いありません。
人類の歴史を見ても高度な古代文明があった事なども明らかにされていますが、結局平和は続かず、今で言う核戦争の様な事を繰り返し何度も滅びと再生を繰り返してきた歴史はスピリチュアルでもよく言われるところでもあります。
破壊と再生の星地球…仏教の諸行無常そのままに形あるものは全て滅び形を変えてしまうものであり、目に見えるものに真の意味で信を置けるものはなく(猜疑心とかネガティブとかの見地ではなく)この世界では自由意思を保証されている様でありながら、常にカオスを描き外側の事象をいじくり回す様に仕向けられ、またそれをしたところでまた振り出しに戻されてしまう、地球とはそんな「契約」のある星なのかも知れません。
それゆえ、釈尊は「苦の娑婆・しゃば」とこの世界を喝破し輪廻を断つ事を説いたもので、その為にも輪廻転生に引き寄せられる原因となる執着を手放す事の大切さを仏教を通して説いたものであり、これを現代に生きる私達に照らせば人間関係に於ける「赦しのレッスン」なくして為し得る事ではない様です。事故や病気などにさえも人への想いや葛藤が大きく原因としてある事など、口に出さずとも本人が理解している場合があり、医師には分からぬ事でもあります。
釈尊もキリストも何に対して悟りや解脱を求め為し得たかといえばこの「エゴ・(自我)からの脱出」の一点に尽きるものがあったに違いのです。
人は肉体が滅び死んで行くと誰しも知っています。また生き残る人間の為に何がしかの責任も追わなければならないとも感じています。
でも、私はある時から死んで行く者、生き残る者がこの世界では分かれてある様に見えながら、本当は分裂したパースナリティを幻として見せられているだけで、身体から抜け出して「あの世」へ移動して行く同胞の魂にとってはこの輪廻転生の一巻を為す世界は消失したも同然であり、ただ、己の心の平和、起きるべき事は起きる事として取り組んだ「赦しのレッスン」の課程だけがあの世で問われるだけで、言い換えるなら、この世界で達成した個々の内面の平和度がこの世界の平和へさざ波の様にフィードバックされているものを感じるものであり「今この瞬間この時を生きる」と言うスピリチュアルの名言は同時に「今この瞬間この時の赦しや優しさから目を背けずに大切にする」と云う事にさえ言及しているかの様でもあります。
赦しなどと言うと「綺麗ごと」ととらえる人が多いですが、この文章を書く当人はアウトレイジな世界を生きた人間で、暴力、恫喝、心理戦、銃器による抗争などあらゆる暴力のパターンを見てきたものであり、綺麗ごと抜きと云う事に限って言えば、なかなか達人の域まで達していた人間かも知れません(笑)でも、そんな人間が転じると不条理の何たるかがよく分かるだけに真の平和主義者にもなろうと云うものです(笑)
目の前にある赦しの機会、優しさを大切に…
それは…自分の罪悪感を手放し身も心も軽くなるチャンスでもあります。
合掌