☆神社探訪…装束稲荷・王子稲荷

 

 

 

 

 
今日は旧暦の初午(稲荷神のご縁日)
と言う事で装束稲荷、王子稲荷に参拝に行ってきました。
 
北区王子にある稲荷神を祀るこの双方の神社、私のところから距離にして3キロと少しで、自転車でも行ける距離でもあります。
 
 

 
※装束稲荷神社
 
私の稲荷行者の友人なども本日の早い時間に訪れていた様で(笑)この方に見習って古の時代からの参拝の作法に従い装束稲荷から王子稲荷へと参拝したものです。
 
装束稲荷は千年の昔、この辺り一面が田畑の時代、大晦日になると関八州より稲荷神のお使いがこの神社にこぞって現れ、衣装を正してより王子稲荷へ向かったと言い伝えられる神社であり、そうした事から装束稲荷で気息を整えて王子稲荷へ向かうと良いと言う事が言い伝えられている様です。
 
 

 
 
次に訪れた王子稲荷は社殿前の桜がとても綺麗に咲いていました。
 
 
 

 
 
御祭神は…
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
宇気母智之神(うけもちのかみ)
和久産巣日神(わくむすびのかみ)
総じて「稲荷大明神」
 
一千年の昔、もともとは荒川の岸にあったので岸稲荷と言われていた様で、14世紀に王子という地名になったことから現在の社名に改称された。小田原北条氏も氏深く尊崇し朱印状を送るなどしている他、江戸時代には徳川将軍家の祈願所と定められ、社殿の造営への寄進、新規再建など、代々の将軍の崇敬には篤いものがあった様です。
 
また王子稲荷は江戸時代など本地は聖観世音、薬師如来、荼枳尼天なり」と、御祭神についても、神仏習合の記録が残されており、明治維新までは近くの王子権現(王子神社)と共に禅夷山東光院金輪寺が別当として管掌し、近隣の住民は「王子両社」と称して氏神として崇められてきた歴史もある様です。 
 
※その後、明治維新で神仏分離、廃仏毀釈が行われ、金輪寺そのものは二坊を残して廃寺となった模様。
 
関八州の稲荷の頭領とされ、狐火が出る事でも有名だった様で、大晦日には関八州の狐がこの神社に集まると信じられてきた王子稲荷神社、幼稚園なども隣接しており、今日も子供の元気な遊ぶ声を遠くに聞きながら境内を訪れたものですが、とても良い神社の氣に満ちていました。
 

 

 

 
今日は境内の裏側にある願掛け石や狐が出入りしたと言われる穴を祀る社も訪れたものですが、願を掛け御石様と呼ばれる石を持ち上げた時に軽く感じれば願いは叶いやすく、重く感じれば努力が必要との事で、試しに持ち上げてみた愚僧でしたが、思いの他軽かったので願いも叶うやも知れません(笑)
 
(狐の穴のある場所で狐が穴に出入りするビジョンを見る方などもいる様です)
 
 
                        合掌

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