50の歳を過ぎると死を意識する人が多いと云うのは、若い内には気付く事の少なかった人生の起承転結の内の「結」の部分を、自己の体調の変化に感じたり、親戚や周りの人の死や入院、退職や廃業、店仕舞いなどの事象を見聞きする頻度に感じたりするからなのかも知れません。別の言い方をするなら「小さな死」を体感する事が多くなると言うことでもそれはあるのかも知れません。
でも、人間の内面の果実と言うものを受け取る事が出来るのは、力に溢れた若き日に用意されるものではなく、まさに50の歳以降に味わう事の出来るものの様な気さえするものです。
私なども、ヒーラーとして密教僧として学びを重ねてきたお蔭はそこにあるものの…
30代や40代、20代に比べてさえも、当年51歳の今が、はるかに生きる事において軽いものがあります。
(体力の有る無しではなく内面世界、自己のエネルギーに於いて)
私が得度以来、作務衣の誂えをお願いしてきた京都のお店が今年3月いっぱいで閉店するお知らせを受けていた事から、ギリギリで春から初夏にかけての作務衣をオーダーしていたものでしたが、昨日自坊に届きました。
私の好きな赤紫色の作務衣の上下に水色の陣羽織、裏地は私が伊達者と分かっているこのお店の店長が(笑)綺麗な裏地をあしらってくれたものです。
縫製もしっかりと、既製品では決して出せぬ袖や全体のフォルムが好きで、京都へ行った時など、このお店の工房にも立ち寄った時などもあったものでした。毎年仕立てをお願いするのが楽しみだっただけに、少々残念な気さえしたものでしたが…
このお店の社長であり、店長である女性と電話でお話しすると、作務衣の仕立てなど特殊工芸の世界でもあり、縫製の職人などが激減している事や、自らの年齢からくるもの…ゆっくりとこれからは家族と過ごしたいと話してくださいましたが、その声は明るく、老いを感じさせぬ、寿退社に等しい響きさえありました。
いつも届く作務衣には、季節の言葉から始まる、小さな便箋に書かれた御礼の言葉や作務衣や陣羽織のコーディネートのアドバイスまでが書かれた添え書きが入っており、この方のお人柄を感じさせるものがあったもので…
こうした付け焼き刃でない気遣いの出来る方は、周りからも必然大事にされるものです。
大きなお寺にお得意先も多く、忙がしい中でも、私からの早目の納期の注文などにもいつも快く応じてくれたものでした。
電話口の向こうで今迄の御礼を言ってくださるこの店長でしたが…「どうぞ、第二の人生楽しんで行かれてくださいね」。と答えた私…。
今日、このお店より届いた作務衣の箱の中には、いつもの様に小さな添え書きが入っていました。
誂えた作務衣の事に触れた後、「長い間、いろいろとアレンジさせて頂き、こちらも楽しませて頂きましたが、これで最後の納めとなります。長い間のごひい気、本当に感謝しております。ありがとうございました」。と書いてあったものでしたが…
この方がこれからの第二の人生さえも、アレンジし楽しんで行くであろう人生の達人の様な気さえしてきた愚僧でした。
一期一会