☆知ったつもりの「あの人」の噂の何が悪いの?…ヒーリング私記

 

 
 
近い人や親しい人ほど自分への評価が低く、またそれを回りまわって人の口から聞かされて傷付いたと話してくださる方がいたりします。
 
たとえばスピリチュアルな業界での話として…
高次の存在のコンタクトに長けたチャネリング能力の高いAさんがいたとします。
 
そんなAさんをよく知り、日頃から交流のあるBさんがいます。ある時Aさんのチャネラーとしての評判を聞いたCさんが、BさんがAさんと仲の良い事を知り「Aさんてどんな方ですか?」と聞いてきたとします。
 
そんな問いにBさんは「えっ、どうって、別に全然普通の人ですけど…」と答えたもので、Bさんの心中とすれば、Aさんが何ら一般の人と変わらぬ生活を送り感覚を持って生きている事を伝えたつもりでいるのですが…
 
でも、この時のCさんの心中とすれば、Aさんのチャネラーとしての能力を尋ねたものであり、Bさんの「全然普通の人ですけど」ばかりを早合点してとらえ、次に仲間内でたまたまAさんの話が出た時など「あのさ、Aさんのお友達のBさんに話し聞いたんだけど、Aさんて『本当は全然普通』でチャネリング能力なんてないんだって」とAさん像が歪曲されてしまい、そこに加えて「そうそう、今だから言うけどAさんのセッションて、私もどこかおかしいと思っていたんだよね…みんなそう思わなかった?」とAさんを日頃からよく思っていなかった便乗組からも火の手が上がり(笑)
 
回りまわって、「実はね…」とやがてそれは他の第三者よりAさんの耳に入るのですが、この時の噂の火付け役として日頃仲の良かったBさんの名前が挙がっている事にAさんは梯子をいきなりはずされた様なショック、次いで憤りを感じ、Bさんの話を聞く事もなく、力任せにシャッターを降ろす様に電話やメール、LINE、フェイスブック、ツイッターなど、今の時代の連絡系統の一切をブロック、着拒否してしまい、いきなり連絡が取れなくなった事から不審に思ったBさんが事の真相を知り今度は…
 
「何でそんな私が言ってもいない事いいふらしたのよ!」
 
「あなたこそAさんが『普通』で能力ないっていったんじゃない!」と…
 
二次災害の様にBさんとCさんのバトルが始まり、口がもたらす災いの典型的なケースとなってしまう事…
 
形態は変えてありますが、実際に私の元を訪れる方のセッション、相談事例として度々お聞きしてきたケースでもあるのです。
 
このケースで言うならば、当の本人のAさんよりも、トラブルの原因を作ってしまったBさんやCさんの立場にある人が深刻に悩んだ末にセッションに訪れてくださる場合が多かった様な気がします。
 
こうしたケースに於いてはそれぞれに言い分と云うものが発生したりで、自己保存の欲求のままに侵害される恐れから相手を罵り、仲間や友人にもその批判を広め、縺れの糸を複雑にしてしまうケースなどをお聞きするに及び、スピリチュアルな学びの難しさ、不断の姿勢に浸透する学びこそが大切なものを感じるばかりで、こうした件でセッションに訪れる方は当初自分ではなく相手に原因ありきで…
 
「相手からの執拗な念を祓って欲しい」
 
「〇〇さんのサイキックアタックからプロテクトする方法を教えて下さい」
 
「〇〇さんと私の間にはどんなカルマがあるのでしょうか?私が過去生で何か彼女に危害を加えたからその仕返しを今受けているとかそう言う事ですか…!?」
 
などとお話しくださる場合も多く、とかく自分を被害者の位置に置きたがる傾向と言うものさえあります。でも、こんな時私は被害者意識にいつまでも酔わぬ様、相手に原因がある様でも自らが招請し自己の内面を投影する影であり鏡の働きをしてくれている事、自分では原因が分からず相手が悪いのにと納得いかない場合でも、それも人間の限界ある思考の上での事であり、
 
無意識下から浮上してくる闇、恐れ、分離意識(全なる神から離れてしまった事への原初にある究極の怖れ)がその人に応じた形で対人トラブル(家庭内も)、病気、事故などの事象を経験させている事、「本当は他者などいない霊的な真実」そう言う意味でも、人に感じる攻撃や怒りは自分に対する不当化や怒りに他ならない事などもお話しさせて頂くものです。
 
それと共に現実的なアドバイスも…
 
気心の知れた間柄での話しであれば人の噂が少々出たところで他愛のないものとしてその場限りのものとして口外する事など思いもよらないものですが、比較的交流の薄い方などが同席していた場合など、その方がNHK(笑)の様な役割を果たしてしまい、トラブルの火付け役となってしまうケースもある様です。
 
人はそれぞれが自分の仕事には特別な思い入れがあるものです。
それはスピリチュアルな世界の住人にも等同なものがあり、月謝を払い教室やクラスに通ったり、セミナーやワークショップに参加したりで、それを現在箸と茶碗(生計)としているならば尚更で、そんな事にまで思いが及ばず、つい知らずに人のセッションの形態にうっかり口を挟んだが為に、地雷を踏むかの様な思いをさせられた方も潜在的には多いのかも知れません。
 
私などは、人から私が知る方のセッションの内容を聞かれても…
 
「知らないものは知らない」
 
「分からないものは分からない」
 
と云うスタンスでお話しさせて頂くもので、「その方のセッションに興味があるならば、ご自分で受けられて見るのが良いのでは?」とオススメします。
 
冒頭の、近い人や親しい人ほど自分への評価が低いと云う事なども、スピリチュアルなお仕事をしている方やヒーラーの周囲などにも発生する事の様で、人間親しい関係になったりすると「俺は(私は)あいつ(あの人)の事を良く知っている」と、さも、全てを知っている様なつもりになってしまいがちなもので、身近なところでは両親などがその最たるものかも知れません。
 
いつまで経っても、親の中では子供であり、どんな歩みや成長を遂げてきたのかなど親からすれば関係なく、子供の頃に手を焼かされた記憶だけが親の方に強く残っている場合も多く、それが子供のやる事への「お前のやる事なんかどうせ中途半端なものでしかないだろう」と強い「画像」として形成されている場合や、親からすれば子供のやる事などたかが知れていると、強く封建的なエネルギーにプログラミングされている場合なども多いものです。
 
でも、親との関係であれば、自分の仕事に実害がなければ自らの中で消化して話の上でもいなしておけば良いだけかも知れません。
 
私が過去にいた極道の世界でも、とかく人を陰でコキおろす時など…
 
「今は金を持って偉くなったか知れんが、若い頃なんか根性なしのカスみたいな奴だったらしいじゃねえか」
 
「何がイケイケだ、知ってるか?あいつ中学生の頃恐喝されて小便チビって泣いて土下座したって話し有名だぞ」
 
「姐さんのご機嫌取りばかり上手にしやがってヅケ取り野郎が、いったいあいつは誰の若い衆なんだバカ野郎が…」
 
※ヅケ取り・ご機嫌取り
 
「何だあの野郎、運転がうまけりゃ一人前のヤクザなのか?あんなもんと根性を一緒にされたんじゃたまらねえぜ」
 
「あのバカ、抗争の功績とか偉そうにぬかしやがるが、あいつがカチコミ行った時なんか事務所じゃなくて空へ向けて鉄砲弾いたって話しじゃねえか」
 
「あの野郎、〇〇親分の直系だなんて十年早いぜ、元のオヤジや兄貴分をないがしろにして、今なんざ、元いた組の組長の事なんか他人行儀にオヤジとも呼ばずサン付けで呼んでやがる」
 
など、いずれもその世界でありがちな例え話しではありますが、親の言う事も聞かぬ人間が集う社会でもあり、負けず嫌いは当たり前で、それが様々な形で男の嫉妬や見えざる確執を生みやすい世界でもあった様な気がします。
それだけに自らの影(シャドウ)を通して人を見る事は習いの様でもあり、座布団(立場・役職)が一枚違うだけでも力関係に歴然と差の現れる社会でもあり、なかなか人の成長や活躍など素直に認める事の出来ない世界でもあった様な気がします。
 
ヤクザの世界を礼賛するつもりはありませんが、それまで事務所の隅っこにいた様な人間でも、ある時メキメキと頭角を現す時があるもので、その人間の内面では「いつまでもお茶汲みなどしてはいないぞ」と言う様な見えざる覇気があったのやも知れず、それは周囲には分からない事でもあります。
 
その道の先達が言ったものです。
 
「たった一年でも伸びる人間は伸びる、ひょろひょろしていた様な人間でも、いつの間にかいい侠(おとこ)になっていたりすもするもんだ、コルク栓を水に沈められない様に、優れた人間はほっといても浮き上がってくる、組織の事を考えればそんな人間を引き上げてやらなきゃな」と…
 
これは特殊な世界の話しではありますが、人の成長や可能性を認め示唆した言葉とも取れるものです。
 
いわんや、スピリチュアルや霊性の道に生きる者、内面世界を含め、日々どの様な成長(逆も)を遂げているかは分からないものです。
 
自分と親しい人なども、自分の浅知恵で知った様なつもりになったり、ましてや周囲にその方を決め付けた人物像を拡散する事の無き様、不断の謙虚さもヒーラーには大切ではないかと思う愚僧であります。
 
合掌

 

 

 

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