※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。
私は6年に進級してまもなくこの小学校から転校しましたが、その後中学に入学しグレ始め、卒業後は右翼から極道の世界へと飛び込んでいきましたが、その頃には力こそが全てと言う信念に染まりきっていたものがありました。
ここで言う力とは、それが剥き出しの荒々しいものであろうと、緻密に計算されたものであろうと、表面上は紳士でスマートなものであろうとも、暴力を背景としたそれに違いないのです。
中学を卒業後の十代の頃などは、暴行事件等を繰り返し、鑑別所から学園、中等少年院から特別少年院などにも入所し、成人間もない頃も、建設会社に嫌がらせで糞尿を撒き散らすなどの罪状で少年刑務所にも入りました。
前回の記事の冒頭でも触れましたが、川崎の中学生が殺傷された事件で、加害者側の少年の非行歴などを調べあげたのか?鑑別所で更生しなかった18歳主犯の云々…と言う見出しで、某週刊紙が取り上げていた様ですが、鑑別所と言うところは、少年法で家庭裁判所の審判(判決)を待つ施設であり、少年院送致ともなれば別ですが、保護観察や試験観察の処分が下され、社会に出てしまう場合など、一ヶ月もいない内に通過してしまう場所でもあり、IQテストや性格分類のテストなどはありますが、更生など期待出来る場所でもないのです。
私なども、少年院に入る前などの初犯の事件では、親に身元引き受け人になってもらう条件で、保護観察処分を受けた時がありました。鑑別所を出た後は、更生の経過を見る保護司の元へ毎月顔を出し、通い帳にハンコを押してもらわなければならないのですが、私の保護司は町の助役さんで、温厚でとても良い方だったのですが、こちらの言う事を鵜呑みにしてくれるものを感じた私は、作業着に長靴姿でこの助役の元を訪れ、「センセ…この通り今は仕事もしております。マジメに仕事をしていると本当にメシがうまいもんですね」などと、腹の中でベロを出して、いけしゃあしゃあと、テイチクをかましたものです(笑)
※テイチクとはテイチクレコードの略で、嘘やみえみえの演技や芝居をする事を指す隠語。
しかしながら、マジメに働く気もなければ親元にいて安心させるつもりもない、そんな私が再び事件を起こし捕まるのに時間はかかりませんでした。少年法では事件を起こすと、必ず警察から親元に連絡が行くのですが、私はこれがいつまでも親の比護下にある子供扱いされている事の様で、嫌で嫌でしかたなかったものです。でも、こうした思いがどれほど傲慢で身勝手さに満ちたものだったのか…
私が十代の頃など、夜に家の黒電話が鳴る度に、警察からまた私が捕まった知らせがきたものと、身の縮まる思いがしたと言う母の話しを聞くに及び、心から申し訳ないと思える様になったのは、これより長い歳月を経た果ての事でした。
一般の方から見れば少年院や少年刑務所なども、更生の為の矯正施設と映るのかも知れませんが、犯罪学校の一面があり、
簡単に言うと…
「俺こんな事で捕まってきたんだよ!」
「そうか!俺もおんなじ事でパクられたんだよ!」
「そうか!じゃあ今度は力を合わせて捕まらねえ様にウマイ事やろうじゃねえか!」
と…悪事にこそ簡単に単純に意気投合し、犯罪のネットワークを築きやすい場所でもあるのです。まだ考え方に柔軟性のある十代の頃でも、施設を渡り歩いてきた様な人間は、監視体制に慣らされている事から、教官や刑務官の見ている前では要領よく規則正しく立ち回っても表裏が激しく、そうした人間にとって、更生などと言う言葉は会社の朝礼であくびをこらえながら唱えるスローガンや標語程度の重みしかないもので、十代にしてすでに充分な塀の中の懲りない面々達がいたものでした(笑)
初等、中等、特別と十代の殆どを少年院で過ごしたきた様な人間と言うのは、上の人間の見ているところではビシバシと機転も利き、組織の中でも上の人間から認められたりするものですが、監視体制に慣らされた要領の良さがかえって仇となり、見えぬところで手を抜いたり横着したりで綻びを出し、落伍して行く人間などもいたものです。
こんな事を言うと意外かも知れませんが、傍目には派手さも無く、とりたてて器量の無い様に見える人間でも、アゴの堅さ(仲間や組織の秘密を警察等に売らぬ口の堅さ)や、一つのところで辛抱のきく我慢強さなど、その世界で問われる誠実さを持った人間は、どこかのポイントで人に認められ、芽を出して行く事の多い世界だった様な気もします。
また、こうした施設でのイジメと言うものも、昔は少年院などでは新入の入所儀礼として院生によるヤキやリンチなども恒常化していた時代もあり、教務官もそれを黙認していた様で、また性欲旺盛な若い時の事でもあり、ヤキに耐えられない様な可愛い顔をした若者などは、自然と性欲のはけ口にされてしまい、そうした若者は何人かが共に暮らす雑居房のボスでもある部屋長と愛人の様な関係になってしまい(笑)塀の中では、おかずやご飯が多く盛られる事を「顔ヅケ」と言ったりしますが、食事などもボスの愛人よろしく、自然と部屋長に次いで多く盛られる様になり、オカマを掘られている内に、いつの間にかその若者が話し方も歩き方も女性の様に変わってくるのがおかしかったと…
古い時代の少年院に入った人間の話しなど聞いた時がありましたが、これを刑務所用語ではカッパ(男役・カッパが肛門を取ると言い伝えられている事になぞらえてか?笑)とアンコウ(女役)と呼んだりするもので…
今はどうか知りませんが、昭和の昔などは長期刑務所ではまるで恋敵の女性を取り合う様に、アンコウの取り合いになり、刃傷沙汰にさえなる事があると聞いた時がありました。
私が少年院に入った時は、院生による新入生に対するヤキやヒッツキ(イジメを現す隠語)に耐えきれず独房で首を吊り死んでしまう人間が出るなど、全国での少年院での暴力が社会的にクローズアップされた後で、規則や教務官による監視体制を強化するなど、だいぶ少年院特有のヒッツキなども緩和された時期の入所でもありました。それでも弱いと見ればとことんな、少年院特有のヒッツキ(イジメ)は名残の様に残っていたものでしたが、少年院に入る頃には私も裏社会で生きる性根が身に染
みている頃であり、入所早々は多少口数少なく大人しくしているものの、日の経過と共に、右を見て左を見て、自分が属する班や舎房(何人かで生活する部屋)の力関係を見定めたら、後は先に入所していると言うだけで敬語を使う少年院の因習にあぐらをかき、先輩風を吹かす人間などのケツをまくっていったものでしたが…
(ケツをまくる・居直り攻撃する事)
小学生の頃に自分自身も経験したイジメも、少年院や少年刑務所で垣間見たイジメも、「全く同じ鋳型」を持つものである事に気付くまで、私はそれから長い年月を費やしたのです。
イジメに大人も子供もないのです。
それが大人らしいもっともな社会概念に裏打ちされたものであろうと、弱者の立場を多少は考慮したスマートなイジメであろうと、根っこのところでは全てが一緒です。
イジメっ子は別の集団やコミュニティに所属した時には逆にイジメに晒されると言う、イジメっ子の顛末がある事をしっかり大人が教えなければならないのではないでしょうか?
私は体罰を奨励するものではありませんが、我が子がイジメに加担し、冷めた笑いを浮かべている様なら、本人の情動に訴える意味でもビンタをくれる事には賛成です。
また今時の親御さんは、イジメとケンカをごっちゃに考えてしまう傾向もある様で、冒頭の話しの様に、子供が外傷を負って帰ってきても、特に父親などが「どうせケンカだろう、だらしないなお前は…」などと、イジメられている後ろめたさから口に出す事の出来ない子供のSOSを全くとらえる事が出来ていないケースも多い様です。
心身を消耗しつくすイジメの被害に子供が遭っていると知ったなら…
世間体や親の体面などはかなぐり捨て、子供にまずは「明日から学校には行かなくていいからね」と父親が子供に声をかける勇気を持って欲しいものです。
子供の心身の安定をはかる事を第一として、その後で学校側や児童相談所等との協議に移るのでしょうが…学校側は世間に知られる事を怖れ、担任や生活主任の教師などを矢面に立て、穏便に済ます譲歩案を提示してくるケースも多い様です。
でも、子供が恒常的なイジメを受け、明らかに心身にダメージを負っている場合など、学校の体面などに構っていられるものではないはずです。
警察に刑事事件として告発し、とことんメクってしまう(メクる・白日の元に真相を晒す)決断も大切な事ではないでしょうか。何故なら、学校の示す妥協案に従い再登校したはいいが、学校がイジメっ子に対して、親をまじえての説諭などで懲りているだろうとの甘い見込みから、イジメの被害に遭っている子供をイジメっ子からしっかりブロックするフォローがなされていない場合も多い様で、こうした事から少しほとぼりが冷めた頃をみはからい「テメエ!よくもチクりやがったな!」と、より悪質に、陰湿にイジメを再燃化させるケースも多いからです。
私はヒーラーとしてのセッションの他に、イジメの被害に遭っているご家庭のサポートをさせて頂く時があったりもしますが、そんな時ご両親が席をはずした時など、イジメに遭っている当人が「あいつらはきっとここまで(自分の家)僕をイジメにきます。親ではあいつらから僕を守れない、怖いです」と言葉の言い回しこそ違えども、今まで何人もの中高生などの子供達が、その正直な恐れを私に伝えてきたものです。これもスピリチュアルな観点から見れば、報復される恐れで人間を縛りあげる、人間社会に張り巡らされたエゴのシステムの現れでもあるのですが…
イジメに遭っている子供を救ってやりたい気持ちに於て、どんな親御さんも一緒に違いありません。でも、転校や学区の問題、学校に行かぬ子供が家庭にいる事での生活の変化、世間の目、果てはフリースクールまで見越しておかなければと考えたりで、イジメの被害に遭っているご家庭には少なからず嵐が生じる様です。
でも、愛する子供が心身共に侵奪を受けている状態から目を逸らさず、夫婦でよく話し合い、目の前にある事を一つひとつクリアして行けば必ず解決出来るはずです。
私が昔いた極道の世界では、愛する人や縁ある人を守る事を「前に立つ」と言ったものでしたが…
子供の心身に危機が及んでいる時に、親が前に立たずして、いったい誰が前に立つと言うのでしょうか…?
合掌