今月の7日、セッションを終えた私は、夕方から深川不動を訪れました。
不動霊場として名高い成田山の別院として、庶民に親しまれ長い歴史を誇る深川不動は、私の出生地に近い事もあり、とても親しみを感じるお寺でもあります。
かつての護摩堂には、今は大きなお不動さまが座ってらっしゃいます。
このお寺は得度する前などよく訪ねたものでしたが、その頃、護摩供に参座していた若いお坊さんも、いつの間にか貫禄充分な阿闍梨さんになっており、時の流れを感じたものです。
まだこのお寺に行き始めた時と言うのは私は裏社会の人間でした。でも、何かに急かされる様にあちこちのお寺に行き始めたものです。そんなある時…仏像の開眼を、あるお寺にお願いしに行くと、そのお寺にいた尼僧さんが「あなた、どの様なお仕事をされているのかは知りませんが、精を入れた仏像を家に置くと言うのは、色んな事を招きますよ」と言うので…
「招くとは…?」と聞き返すと、「仏のお使いをさせられると言う事です。また私にもあなた自身がそれを望んでいる方の様に見えますよ」 と意味深長な事を言ったものでしたが…
まだその頃は自分自身が僧侶やヒーラーになる事など夢にも思わなかったものです。
でも、それからは怒涛の様な変化が押し寄せ、以前の世界にいる事も、腹の中に刃を呑んでいる如きその世界に生きた信念も、捨てろと言わんばかりの浄化の波、それは表面上の演出やフェイクだけでは済まぬ、それまでの長い間染み込んでいた裏社会のドグマを削ぎ落とすかの様な日々でもありました。
護摩で焚かれる炎を見つめながら、まだトンネルの先が見えない様な気持ちの中、覚え立ての般若心経をひっさげて、この深川不動に来た日を思い出していた愚僧であります。
思えば遠くへきたもんだ
合掌