出雲より出発当日、早朝より有志の皆さんと共に、大社にお別れのご挨拶に伺いました。
当初は出雲大社を出た後は、まっすぐ東京へ帰る予定でしたが、せっかくの機会でもあり、広島まで足を延ばし厳島神社に参拝して行こうと言う話しになり、急遽、出雲から宮島厳島神社へと向かった私達でした。
出雲から約3時間の移動の後、広島県廿日市市のフェリー乗り場に着き、厳島神社のある宮島へ船で渡って行きます。
ちょうど一週間程前にも、鳥取での出張セッションを終え、宮島に寄った私でしたが、フェリーに乗り、気持ちの良い潮風に身を委ね、船が描く波頭を眺めている内に、かつての広島でのセッションの後、宮島を初めて訪れてより既に三年の月日が経っている事なども思い起こされ、感慨深いものがあったものです。
フェリーを降りて、厳島神社へ向かう参道を歩いていると、宮島名物の鹿をそこかしこに見る事が出来るのですが、この日はお腹を空かした鹿も多かった様で、参加者の一人が、手に持つパンフレットにしっかり噛みつかれたのでした(笑)
平家ゆかりの神社としても知られる厳島神社は、その後も、毛利元就や豊臣秀吉など、時の戦国武将達からも崇敬を集めた神社でもあります。
世界遺産に指定される厳島神社、朱の社殿は、平安時代の貴族の住宅様式だった寝殿造りを現しており、それが他の神社には見られない独特の雅な雰囲気を醸し出しています。
皆さんと共に本殿にて、ご祈祷を受けました。
厳島神社の御祭神は宗像三女神です。(市杵島姫命・いちきしまひめのみこと)( 田心姫命・たごりひめのみこと)(多岐津姫命・たぎつひめのみこと)主祭神の市杵島姫命は神仏習合の時代に弁才天と習合しており、日本三弁天の一つと言われています。
厳島神社と言えば、海面にそびえ立つ大鳥居を思い浮かべる人も多い事と思いますが、私などもつい最近まで、この大鳥居の支柱が、基礎工事に杭を埋め込む様にしっかり海中深く突き刺さっているものとばかり思っていたのですが、さにあらず…
最近、広島の方より聞いたところによると、実はこの大鳥居の根本は海底に深く埋められているわけではなく、それ自体の重さで建っているとの事で…
鳥居上部の島木にその秘密がある様で、箱形の島木の中には、約7トンにも及ぶこぶし大の玉石が詰め込まれ、この重さが、台風や地震にもビクともしない大鳥居の安定の源の様です。
また主柱、軸柱あわせて安定感のある6本としている事や、柱と屋根の交差する部分には、柱と屋根の間に発生しやすい、ひずみなどを自然に吸収する特殊なクサビが用いられている事、海底部分には松材の杭を打って地盤を強化し、その上に布石を並べて基礎としている事など、いにしえの時代の先人の知恵、工法など、平成の今に照らして見ても驚くべきものがあります。
朱の社殿を後にした私達は大元神社(おおもとじんじゃ)へ…
厳島神社よりも前に創建されたと言う伝承を持つこの神社は、私が宮島を訪れた時は必ず立ち寄る、強い御神氣を感じる場所でもあります。
御祭神は(国常立尊・くにとこたちのみこと)(大山祇神・おおやまづみのかみ)(保食神・うけもちのかみ)さらに厳島神社の初代藩主佐伯鞍職を祀り、宮島の地主神として信仰を集めた神社です。
その後は真言宗御室派のお寺、大聖院へ行きました。
ダライラマが来日した際など、法話をした事でも有名な大聖院ですが、ダライラマが開眼したと言われる弥勒菩薩(マイトレーヤ)の仏像からは、ただただ、穏やかさを湛える菩薩のエネルギーが放射されているかの様でした。
高所にある大師堂と、そこから眺めた風景です。
宮島には何度か訪れている私でもあり、案内がてら、先を歩かせて頂きましたが、ご一緒した皆さんの中には、宮島を訪れたのが今回初めての方もいれば、久しぶりに訪れた方もいたりで、それぞれにとって、感慨ひとしおなものがあった様です。
私は宮島を訪れる度に、弥山を頂くこの島自体が、聖なる島である事
を感じるばかりであります。
時間の関係で、弥山に登る事は出来ませんでしたが、今度訪れる時は、弘法大師が虚空蔵求聞持法を修法したと言われる奥の院を訪ねて見ようと思います。
こうして宮島厳島神社を後にした私達は、長躯千キロ以上に及ぶ東京への帰路に着いたのでした。
出雲、宮島とご一緒頂きました皆さん、ありがとうございました。
合掌