正仙の愛説法…武田節より

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※昨年12月宮島にて撮影

私が少年の頃に入所した『学園』と呼ばれる篤志家が運営する矯正施設では…朝は4時起きで、真冬でもパンツ一枚で整列点呼、まるで軍隊よろしく国旗掲揚の後はマラソン…更には
あせる((゚m゚;))

長い廊下を『ヨイショ!ヨイショ!ヨイショ!』と裂帛の掛け声の元に何十往復ものダッシュでの雑巾掛けをさせられたものでした…走る人走る人

中学の頃は柔道をかじり、多少は体力に自信のあった私ですが、この雑巾掛け…初めの頃などは息切れしてしまい、足が筋肉痛で棒の様に突っ張ってしまった思い出があります(笑)
(((;゚д゚)))

この学園では情操教育の為か、詩吟の時間が設けられており…

祖霊ましますこの山河

敵に踏ませてなるものか

人は石垣 人は城 

情けは味方 仇は敵

仇は敵

の歌詞で知られる『武田節』を他の少年と共に声を張り上げ詠唱したものでした。
(( ロ゚)゚((( ロ)~゚゚音符

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彼の戦国武将、武田信玄は、病で死を目の前にした時、まだ若い実子勝頼の力不足、自らが死した後の内憂外患を憂いてか…三年は死んだ事を伏せおく様にと勝頼に遺言していた事は有名な話しでもありますが…

勝頼が凡夫ではないにしても、信玄と勝頼では武将としての器量の差は歴然としており…

信玄が憂いた通り、その後、織田、徳川の連合軍に敗れ去った事は歴史が証明している通りであります。

その後に於ける本能寺の変から豊臣秀吉が天下を掌握し、政治的に組み伏しても、ただの一度も戦で勝つ事の出来なかった最も油断ならぬ大敵徳川家康に…

その晩年…死を目の前にした床で、子供だった秀頼の後見をその家康に哀れなほどに縋り頼まなければならぬ人の歴史の皮肉と言うもの…

大きな力を発揮し、富を握り偉業を成し得た人間も、その晩節に…自らが心に蓋をしておいた闇も…

また人知れず積んできた善行や功徳と言うものも…顕現するパターンが多い事、歴史上の偉人ばかりでなく、そこかしこ、新聞やマスコミを賑わす政治家や芸能人、あらゆる職種の人の中に見られる事…

親や身内、自分の身の回りにさえ程度の大小はあれど気づいている方も多いのではないでしょうか…?

『十年一昔』ならぬ『三年一昔』と言われる現代…そのスピードは科学の進歩やインターネットの普及だけを指すものではありません。

人間の想いが具現化するスピード…それはポジティブ、ネガティブと選り分ける事なく、蓄積された思いやヴィジョンと言うエネルギーが形を持ち、露顕し発散されるスピードが格段に増している事…

人間関係の終焉や奇跡とも思える新たな出会いなど…その形こそちがえど、その人に相応しい形で訪れ、気付き始めている方もとても多い様な気がします。

ここで、『引き寄せの法則』を説くつもりはありませんが(笑)

人間、死して荼毘に付される時は裸ひとつ…どんな財産も貴金属も、宝石も車も、ましてお金を持って行く事も出来ません…。

どんなに栄華を誇ろうとも、巨万の富を築こうとも、そこに『安堵を伴う満足感』がなかったら巨大な負債以外の何物でもない様な気がします。

私達が信じ選び、何かをするにあたって、対価として求めているのは『満足感』に他ならないのかも知れません…。

しかしながら…どんなに美味しい物でも、美食を続ければ飽いてしまう事を知っている私達人間でもあります。

飽食とそれは違う事…またそれは他者のそれを真似する事ではなく、自分独自のオンリーワンのそれがあって良いはず…

葬儀の時…その人の徳が現れるとも言いますが…

人生を終えて花に囲まれた自分の遺影に言葉をかけるとしたら、あなたはどの様な言葉をかけてあげたいでしょうか…?

『おつかれさま…』

『楽しかったな…』

『お前なりに頑張ったね…』

人それぞれ違うかも知れませんが…それはシンプルな言葉で形容されるのではないでしょうか…。

自分の立ち位置がわからなくなってしまった時…こんな事に思いを馳せて見るのも、逆説的ではありますが、生きる指針に繋がる時があります。

そしてそれはとても優しい色を帯びています。

合掌

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