※社会通念上、不適切な表現や描写がある事お許し頂きたいと思います。
師走のある日…夜更けの道を愛犬チビと散歩に出ているとその歌は聞こえてきました…
酒が~降らせた男の涙~一頃前はカラオケなどでよく歌われた吉幾三の『酔歌』忘年会なのか?…お年寄りと思われる嬌声と共に聞こえてくる歌に…
歌は不思議なもの…その時々の情景を鮮やかに瞼の裏に甦らせる時があるもの…
その歌に、昭和の終わりから平成の始めまでを生き急ぐ様に死んでいった一人の男の姿を思い出していました…。
その男Uと知りあったのは極道社会が激動の最中、最大組織を二つに割っての抗争の最中でした。
当時私は極道組織の末端の若い衆(組員)、それを当時、枝の枝の若い衆とも呼んだものです…Uもやはり同傘下の組織の若者として、上部団体(その後解散)である本部事務所部屋住み修行中の身でもありました…。
部屋住みとは、朝は早くから起き、掃除をし、当番者の食事を作り、お茶を出し、灰皿も吸い殻が二本とたまらぬ内に換え、炊事に洗濯、電話の応対と、緊張感と自由のない生活の中で極道としての基礎と我慢を覚えて行く場でもありました。
電話の応対ひとつでも、しどろもどろとした語調で対応していれば『コラッ!ワレ寝ぼけとんのかい!』と激が飛ぶのであります。
電話が鳴って受話器を取るタイミングも、何コールも鳴ってから取る様ではダメで、殆どワンコールで取るのでした…電話の応対ひとつでも、その組織を量られてしまう事でもあり、常に油断は許されぬものがあります。
『おう、何処か電話入っとるか?』と名前も名乗らずにかかってくる組織の長である親分の声に、部屋住みに入った当初は緊張のあまり声が上ずってしまう様な人間もいたものです…。
(((;゚;Д;゚;)))
お茶を出すタイミング、灰皿を換えるタイミング、親分や叔父貴(組長の舎弟分)の煙草に火を付けるタイミング、ただすれば良いと言うものではなく、常に機転が求められます。
初めは万事がぎこちなく、慌てるあまり電話線に足を引っかけ、テーブルの上のお茶をひっくり返してしまい…
『あっ、す、すいません!』
((゚m゚;))
『アホが!何しとんじゃい!』
(。。)
と叱咤される時も間々あったりするものですが…でも、カマシ(怒鳴る)を入れる先輩も、自分も通って来た道でもあり、そうした修行中の失敗も、厳しさの中にも暖かく見守る優しさを感じる事もあったりするものです。
掃除に洗濯、料理までをしっかり覚えさせられる事からか…掃除にしても料理にしても、部屋住みを経験した人間は女性顔負けのものがあり…(笑)
吉祥を訪れる方から、チリひとつ落ちてなく綺麗だと言われる由縁もこんなところにあるのかも知れません(笑)
部屋住みの内は、組長が事務所に来たところで、居る間は直立不動であり、気安く話しなどしてもらえるものではありません…
そうした時期が半年、一年と続いて行きます。
でもそうした中でも、親分たるもの…見ていない様でその実、若い人間の一挙手一投足を見ている視線と言うものがあります。
その人間の挨拶ひとつ、受け答えひとつ、電話の応対ひとつ、日常の動作ひとつからも、その人間の極道の資質を見極めている様でもあり…
そうしたある面居心地の悪い、ケツの座りの悪い沈黙の中に身を置く事さえも、全て理に叶っているのかも知れません…それは『警察根性』と言われる取り調べ室での対警察との攻防に於いて、容疑を頑強に否認し沈黙する根性に繋がるものでもあります。
偉い方達が麻雀を夜通ししていれば、おしぼりを出し、灰皿を換え、煙草に火を付け、夜食を作り、寝る時間などない時もあり…そうした日常が続く中でも、やがて緊張の中にも息を抜く事も出来る様になってきます。
私などもその世界に居た頃、部屋住みの若かりし頃、事務所で居眠りが出来ない事から、たまに行く床屋で気持ち良くうたた寝していたものでした(笑)
(´Q`)。oO
冒頭のUはそんな部屋住み当時より、群を抜く資質を見せた人間でもありました。
極道の世界には『内輪の中の内輪』と言う言葉があります。同じ一家であっても、更にその傘下の組が違い、慕う親分や兄貴分が違えば、笑顔で交わす挨拶の中にも、どこかの部分で心許さぬ油断なく構えるものをお互いに秘めているのも極道なのかも知れません…。
Uと私はヤクザの貫目(かんめ・ランク)で言えば、私の方が少しばかり極道歴が長いだけで、五分の間柄でもありました。
しかし当時は私も血気盛んな若い頃の事でもあり、例え兄弟分であっても、呼び捨てにされれば、喧嘩を売っていったものです…若い内から分別臭い様では伸びて行く事の出来ないのも極道の世界…『一度ナメられたら百歩下がるも一緒』と言う様な思いもそこにはあったのかも知れません…。
ある日…私が自分の所属する組事務所にいると後輩の人間が私に…Uが私の事を呼び捨ての上で陰口を吹聴していると焚き付けてきた事に端を発し、揉めた事がありました。
以前からUとは同じタイプのものを感じ、どこかでバッティングする未消化なものを感じていた私でもありましたが…その一方で、このUの親分は、私にとって叔父貴分にあたり、私の事を目にかけてくれていた方でもあり…
一瞬、逡巡する思いもありましたが、『そんな事で遠慮しとった日には、ヤクザでメシが食えん』とばかりに、気がついた時は、台所にあった出刃を腹にしまい…Uが事務所にいる事を確認した上で本部事務所に向かったのでした。
本来こう
した事は、目の前でそうした事実を押さえ、言った言わぬの逃げ口上が出来ぬ様にした上でケツを取る(ケジメ・落し前の意味)のが定石かも知れませんが…
若き日の事でもあり、スイッチが入るのに時間がかからなかったのです…。
((-_-メ))
内輪揉めは御法度…破門されれば、浪人するも致し方なし、これは若かりし頃の事でもありますが、極道として生きる事は二律背反の局面に立たされ試される事が往々にしてあるもの…
幸い…その場に居合わせた叔父貴分やその組の人間に制止され、事無きを得たのですが…
それでも内輪揉めには違いなく、私もUも謹慎となりましたが、裁定は私に有利なものに働きました…Uは不承不承ながらも『すいませんでした…。』と私に頭を下げてきたものです…。
でも、得心した上で頭を下げていない事…私には十二分に分かっていました…。
((-.-;))
それから暫くして、私が本部事務所を訪れた時に、組員が使う着替え用のロッカーの表面が拳形にくっきりへこんでいるのが見えました…それはUの拳の後に違いありませんでした。
私との件で忿懣やる方ない彼の気持ちが、その拳の跡に現れていたのです。
でも…それ以降不思議なものでUとは肝胆相照らす仲になったのでした。
その道の先輩達が『自分らは、(二人が)デコボココンビやなあ!』と揶揄するほどに…
時代は…さあさあ殺せ!さあ殺せ!とばかりの極道世界の抗争の真っ最中…そんな中でUは極道社会の登竜門に身を投じて行きます。
Uは自らが狙う対立組織の人間の命を取れなかった事を詫びて自らの小指を叩き落したのでした。
この時に、ズシリと『極道として生きる』と言う性根が彼に宿った瞬間だったのかも知れません…
堅気には戻れない事を自らの身体に刻みつけると同時に、心の片隅をも切り落した瞬間だったのかも知れません…
昔の親分達はよく言ったものです…『堅気になるのに指はいらん』と…(堅気になるのに指を詰める必要はないの意味)断指している事は、衣服で見えない部分に刺青をしている以上に、堅気になる上でデメリットをこうむるもの…履歴書をあげれば、賞罰の欄には服役歴を書かずとも、指のないそれが全てを物語り、雇ってくれる会社など皆無に等しいものがあります。
それも自らが蒔いた種と言われればそうかも知れませんが、堅気になり、一生懸命働こうと思っても、周囲の冷たい視線を感じたりで、中々堅気の社会に馴染む事が出来なかったりするものです。
古い映画に「竜二」と言うヤクザ映画の秀作がありました。
今は亡き金子正次と言う俳優が主演したこの映画は、新宿歌舞伎町を舞台に、ヤクザの幹部だった人間が、女房子供の為に意を決して堅気になるも、堅気の世界に馴染まず、また元の世界に舞い戻ってしまうプロセスや、覚せい剤に溺れ、ヤクザの世界からさえも落伍して行く若者の姿を描いた映画でした。
仕事が辛いのではなく、挨拶の仕方ひとつとってみても違う堅気の世界…金は天下の回りものとばかりに、刹那的に生きていた頃の感覚が通らぬ淡々とした日常を送る時…自分を受け入れてくれる人との出会いがそこにあればそれは幸せに違いありません…
けれど、大抵は孤独な状況からそれをスタートせざるを得ず、そんな時に、長い間培ってきた向こうみずな極道の性根と言うものも、堅気の世界では邪魔になる事この上なく…周囲からの疎外感と共に益々自分を孤立させる方向に向けてしまう時があるもの…
そんな時、子供の頃より、親の愛情を知らず、刑務所の塀の上で踊りを踊る様に生きてきた人間にとって、はぐれ者を受け入れる、冷たくも暖かい極道渡世に郷愁を覚える瞬間なのかも知れません…。
合掌 つづく