5/30男たちの挽歌⑥に続く
こうして刑務所の中で再会を喜びあい、兄、弟の絆で結ばれた私達でした…。
刑務所の工場で作業をしていると窓から差し込む陽の角度が季節が変わった事を教えてくれます…。
娑婆(シャバ、表の世界の事、仏教用語でもあります。)から隔絶された塀の中の刑務所の楽しみに入浴があります。
私が若い頃、極道渡世の先輩が「なんぼ立派な刺青入れたところで、人前で見せるのは刑務所の風呂くらいなもんだよ…」と語るのを聞いた時があるものですが…
なるほど…浴槽の前に整列する懲役(受刑者の事)を見る時、さながら刺青展覧会の感があります。
(((;゚д゚)))
背中に竜や鯉の彫り物をしている人間もいれば、天女の美しい絵柄の刺青や、不動明王や毘沙門天や観音などの仏像を背中一面に入れている人間…かと思えば、背中に入れた人物像に更に細かく桜吹雪などの刺青を施した細かく美しい絵柄まで、色々であります。
変わったところでは若い懲役が、今流行りの西洋スタイルのTATOOを全身に入れ、背中には天使の羽を入れているものまで…笑
年老いた懲役などの背中には、若き日に入れた刺青なのか?その入れ墨の線も年月と共に太くなってしまい、絵柄の色も薄くボケてしまっているものの…それが娑婆と刑務所を往復したその人生を物語っている様でもあり、その背中に言い様のない哀感を漂わす懲役もいたりします。
不思議なもので、刺青に入れた人物や仏像などの顔と入れている当人の顔が似ている場合も多く…
例えば、顔に傷のある落ち武者などの顔の刺青を入れた当人が、その後、刺青の顔と同じ様に、顔に同じ傷を持つハメに成る様な場合もあり、入れる絵柄との因果もあるのかも知れませんが、こうした事を「入れ墨に負ける」などと当時はよく言ったものです。
また当時を振り返ると…天女などを入れる人間は、その綺麗な絵柄の如く一見、美男タイプの人間も多かった様な気がします…。
「入浴」の刑務官の号令でいっせいに浴槽に身を沈めます…肩まで熱い湯に浸かり目を閉じる時…獄に囚われる懲役の憂さからも解放され、娑婆に思いを馳せるわずかな至福の時間でもあります。
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!
しかし、身体も温もり気分も良くなったところで、隣りの人間と「いや~いい湯だね~!」などと私語でも交わそうものなら「コラ~ッおいそこのお前達何を話しているんだ」と刑務官の怒号が飛んでくるのです。
((=_=;))(`з´))
ここで一言でも反論しようものなら、『担当抗弁』の反則を取られ、入浴中であろうと容赦なく連行され、懲罰房へと送られてしまいます。
また気持ちの良い湯上がりを通称『玉検たまけん』なる刑務官の抜き打ち検査が待っている事もあります。
(=_=;)(^皿^)
この『玉検』とは、少々女性の読者には下世話な話しに聞こえるかも知れませんが…笑
男性の陰部に歯ブラシの柄の部分を短く切断研磨の上、親指と人差し指で挟める程度の球体、それはちょうど真珠ほどの大きさにしたものをシンボルの表皮を鋭利なもので貫通の上、埋め込む事であり、勿論見つかり発覚すれば『自傷行為』として懲罰の対象でもあるのですが…笑
これが夜の営みに於いて女性が悦ぶとは建前で…これもひとつの男の見栄や虚勢を表すものでもあり、中には数十個の歯ブラシの玉を入れている人間もいたりで、さながらそれは「食いかけのとうもころし」の様なグロテスクな外観を装うものでもあったりします…。
(( ̄▽ ̄;))
少年院や少年刑務所から成人の刑務所へと入所履歴の多い人間の中には、まるで勲章の様にシンボルに歯ブラシの玉を埋め込んでいる人間も多かったりするのですが…
ところが官(刑務所側の事)も抜け目はありません…
入所時には、歯ブラシの玉が幾つあるのかしっかりチェックしているのです。
それでも塀の中の懲りない面々…若い懲役などが、刑務官の巡回の目をかすめて舎房で『内職』をするのですが、傷がまだ完全に癒えていない内に抜き打ちの検査などに遭い、連行されて行ってしまいます。
連行されれば、取り調べの上、懲罰があり、懲罰を終えても工場にすぐにはおろしてもらえず、長い間独房での生活を余儀なくさせられる場合もあるのですが…
警備隊に連行される時に別れを言うかの様に、皆の方を向いて「やっちゃいました」とばかりにペロリと舌を出す若い懲役のその顔は、さながら小学校でイタズラをして廊下に立たされる子供の様でもあり、自業自得と言えばそれまでですが…こうした事も刑務所の中では永の別れとなる事も間々あり…
生みの親の顔も知らずに育ち、親戚をたらい回しにされたと本人が語っていた生い立ちと言うもの…「自分は娑婆に戻るのが怖いっす…刑務所にいる方が楽です…。」と語った時の純真な瞳が思い出される様で…
生まれ出でた時より親の愛情を知らずに育ち、出所して定職に着こうと思い履歴書を出したところで、賞罰を書き込む欄で言えば、罰ばっかりの人生…
相手にしてくれるところ(会社等)は皆無に等しい現実もそこにはあります。
子供の頃から寂しい思いをしてきた人間は、社会や周囲から『自分が受け入れられない事』に敏感なもの…自ずと行き場を失い自らドロップアウトへ追い込んで行ってしまうもの…
それは親にはぐれて鳴く鳥の姿の様でもあります…
昨日まで明るく笑っていたその人間が懲罰で連行される子供も間々ある刑務所、そんな時居なくなった職席を見ていると…こちらも獄中にある身で、憐れむ立場などではないのですが…
一抹の寂しさを感じるのでした。
後に私と再会したTもこの玉検に見事引っ掛かるのですが…笑
【つづく】