昨日28日は不動明王の御縁日でした。
朝一番で供養法を勤修しました…檀家を持たない私ですが、お盆の季節の八月になるとセッションばかりでなく、御先祖さまや故人のご供養を頼まれる事も間々あり、亡者加持の本尊でもある不動明王の御縁日をその拝み納めの日とさせて頂いたのでした。
お盆の時期と言うもの…先祖や亡くなったお爺さんやお婆さん、ご両親などに手を合わせる時、連綿と続くその家系の中に、深遠な人間の生と言うものを感じさせてくれる瞬間でもあります。
そして家族の絆と言うもの…親や兄弟や子供に対しても
「日頃優しさに欠ける事がなかったか?」「思いやりに欠ける事がなかったのか?」と謙虚な心持ちで自らを省みる事の出来る時…
ご先祖やご両親のお墓を目の前にする時、私達は「生と死」と言う人間の避けられぬ摂理に改めて気付かされる時でもあるのかも知れません…。
もし、自分自身が生い先短い生涯だったとしたら、
「自分自身どんな生き方がしたいのか?」「今いる我が子に何がしてやれるのか?」とお墓やご実家を後にする時、余韻を引く様な思いに駆られる方も多いのではないでしょうか…?
お盆やお墓参りと言う事も、四季折々の日本の季節感と相まって、日本人の情緒や繊細な感性に影響を与えている事に違いありません…。
私の元を訪れて下さる方も、亡くなったご両親や兄弟、子供さんへの想いと言うものを、懐古の情を交えながら話して下さる方も多いのですが…
時にそれは…
「もっと生前に優しくしとけばよかった…」
「もっと献身的に看護してあげればよかった…」
「苦労の掛け通しで向こうへ逝かせてしまった…」
など、強い自責と悔悟の念となって自らを苦しめる時もある様です…。
また、身体の不調や仕事や人生が停滞していると思われる時に…
「私が足ばかりを怪我するのは先祖供養が足りないからでしょうか?」
(((;゚д゚)))
「私の人生がこうもうまく行かないのは、生前酷い仕打ちを私にした母が、亡くなった今でも私を呪っているからではないでしょうか?」
((。。;)))
「私の身内にこうもガンが多いのは、お墓の建て方が悪く、先祖に祟られているからではないのでしょうか?」
(((;゚;Д;゚;)))
と話して下さる方がいるかと思えば…
地方の旧家に嫁いだ女性などが、その家で代々拝まれてきた大きな仏壇や神棚の守り(もり)をする事に違和感を持ち、辟易としてしまっているケースもある様で…
「仏間に入るだけで気分が悪くなり頭痛がするし、今のこの家に来てからと言うもの、主人との関係も冷めてしまったし…これって主人の先祖が私を受け入れてくれてないからではないんですか」と半分怒り口調で私に訴えてくる方もいたりで…笑
(ノ><)ノ
こうした方達は一様に浄霊や加持祈祷を申し込まれてくるのですが、電話で話していても相手のエネルギーに感じるものがある時など…
私はヒーリングやリーディング(透視)のセッションをすすめる場合も多いのです。
こうした方達をリーディングしてみると、先祖云々、仏壇云々と言う前に、その方のオーラやチャクラと言うエネルギーにその問題を認める時があります。
足をケガしやすい方を見た場合など、グラウンディングが弱い上に、買い物依存症の様な状態で、フラフラッと自分のオーラから抜け出る画像が見えたり…
今だ亡くなった親からの呪縛から逃れられないと言う方を見る時…人間の性(さが)とは悲しいもので、親から受けた虐待や否定的な経験など、忌み嫌う記憶としてありながらも、それと同様の仕打ちを我が子にもしてしまう時がある様で…
そうした子供の頃に受けた否定的な体験のビジョンのエネルギーと言うものが、暴力装置の役割を果たし、自分でコントロールの出来ぬ衝動的な子供への叱責や暴力へと形を変えている場合も多い様です。
こうした事を隠し、今自分の置かれている状況を話す方でも、最後にはまるでハイアーセルフに背中を押される様に、自らの子供への暴力と言うものを認め、そうした自分に嫌悪し恐れている事を涙ながらに話して下さる方もいたりします。
その他、一般に言われる霊障や病気、身体の不調と呼ばれる状態を見る時、「先祖との契約」と言う、強く先祖供養に強いるプログラミングされたエネルギーがそこに働いている場合もある様で…
宗教的なカルマを持っている方などが、お寺や教会に強い反感を抱いたり、お線香の匂いを嗅いだり、仏壇に手を合わせる事に拒否反応を示したりする場合など、過去世からの影響を受けている場合もある様です。
こうしたご自分のエネルギーの状態をリーディングし理解して頂いた上で、ヒーリングし滞りのエネルギーを軽減させて行く時…
仏壇や先祖にその問題があるのではなく、自らのエネルギーにこそ問題の根がある事に気付いて頂ける場合も多い様で…
社運隆盛や開運祈願と言う事も願主の方のエネルギーの状態を見極める事がとても大切な事でもあり、その方本人を跨いだところに祈願の成就はないに違いありません…。
聞いたところによれば、縁結びや家出人の足止めに効験のあるとされている愛染明王の真言などを使い、不倫や妻子があり、すでに相手の気持ちが離れ、どう考えても無理のある恋愛の対象でさえも恋愛成就の祈願と称し、高額のお布施と引き替えに女性の願主からご祈祷を受けつける行者さんもいるとか
((( ゜Д゜)))
一時は祈祷の甲斐もあってか?望む男性を引き寄せる事もある様ですが、またすぐに離れてしまう様で…
するとこうした女性は懲りる事なく、また行者の門を叩き、高額のお金を取られた上で、無益とも思える祈祷を頼み込む始末…
(=_=;)(^皿^)
こうした心根の女性に諭す働きをしてこそ行者でもあるのでしょうが…こうした状態と言うもの、エネルギーレベルで見れば入り乱れた状態でもあり、カルマを作っている事に他なりません…。
何とも残念な話しではあります…。
話しが逸れましたが…
「私は先祖に感謝しているので守られています!」と言う方に私はたまに出くわします。
確かに守られているに違いありませんが…感謝とすがり依存する事は違う事でもあります。
依存するエネルギーが強過ぎる為に、自らのオーラに先祖の方や他者のエネルギーを招き入れてしまう時…
それは自分自身の人生の決定権さえ他の霊的存在に委ねてしまう事もある様で…こうした時に周囲は
「あの人何か人が変わってしまったよね」
(((;゚д゚)))
「あの人、顔つきが変わってしまったよね」
((゚m゚;))))
と言う具合に微細なエネルギーの変化と言うものを感じ取る場合があります。
勿論、良い場合の変化も同様に表に現れる様ですが…笑
神や仏に感謝し祈るのと同様…日頃ご先祖様に手を合わせ祈り終えたら、その日一日、そこに発生する功徳など頭から外して忘れていた方が良い様な気がします。
その働き、その功徳と言うもの…忘れている時こそ良く働いてくれるのではないでしょうか?
私は身につけるパワーストーンなども同様だと思っています。
「守られている事を知っている状態」と言うのはとても大切な事かも知れません…。
先祖の目線と言うもの…田舎のおじいちゃんやおばあちゃんを思い出して欲しいものです。
そこに何か条件付けがあったでしょうか…?
ただ…孫の成長を見つめる燦燦とした慈愛の視線がそこにはあるだけなのではないでしょうか…?
しっかり大地に足を着け、自分の人生を歩んで行って欲しいと言う想いは、神や仏であろうとも、先祖やご両親であろうとも同じなのではないでしょうか…。
合掌