★正仙の愛説法

恐れ…あなたが訪れるヒーラーや霊能者にも恐れはあります。

スピリチュアル流行りの今の時代、癒し人の為の癒しも必要な時代でもある様です。

恐れ…肉体を持つ以上それは手をかえ品をかえてやってきます。

時と場所を選ばずに…

ポジティブ思考が持て囃される現代ですが、時にはその恐れがあると言う事実、繰り返し繰り返し、自分を苛み悩ませてきた恐れが自分にある事を受け入れて見てはどうでしょうか?

感情を移入する事なく、ただ「恐れがある」という事だけを受け入れたらあとは無視し注意を払う必要もありません。

と言うと…「それが出来ないから苦労するんじゃないか!」
と言う声が聞こえてきそうですが…笑

色々な不安や恐れを訴える方が私の元を訪れてくる時、私がいつも感じるのは「恐れを持つ自分を忌み嫌い恐れている」と言う事実でもあります。

恐れを感じている時の自分の呼吸や身体の緊張に注意を向けて見てください。

呼吸が浅く早くなっていませんか…?

身体が緊張し強張っていませんか…?

不安や恐れ怒りや憎しみは、身体に緊張をプログラムしてくるものです。

逆を言えば、身体がリラックスしている状態に怒りや恐れは宿る事が出来ないのです。

膨大な情報が行き交う現代で不安に駆られず生きる事がいかに困難であるか?いかに至難の技であるのか?

いにしえの時代に生きた仏陀でさえも、現代にタイムスリップしてきたら目を回すに違いありません。

だからこそ…悩む自分、不安や恐れる自分、鬱に苦しむ自分を責めないで欲しいのです…。

抗えば抗うほどにその対象(不安や恐れや)により頑固な力を持たせてしまう事になります。

そんな悩み苦しむ自分さえもどうか可愛い人間だと思ってください。

過去に極道をしていた私がこんな事を言うのはおかしかも知れませんが…
男性も女性も、頑なな信念を手放し人のスタイルを模倣するのを辞め自分に素直に生き様とする時、それは子供心に溢れた自然体にならざるを得ません。

神の真の寵愛を受けている人間は、実は何に囚われる事のない自由な気風を持った可愛い人間なのかも知れません。

私達は俗世を離れヒマラヤの麓で洞窟に篭る瞑想者ではないのです。

膨大な情報が私達の身体を通過して行く世界に生きています。

そんな私達にとって、日常感じる不安や恐れや怒りと言うものは打ち寄せては去って行く波の如し、大自然の摂理同様、そこにはあるがままの姿があるはずです。

怒りや恐れに抗い意味やエネルギーを与え実体化させてしまうのも人間に与えられた特有の事なのかもしれません。

闇は見つめれば消えて行きます。感情や意味付けをする事なくそれはまるで無関心で観劇をしているかの様に、そして恐れを感じている自分を赦し「愛してるよ~!」でも「俺って最高じゃん!」でもあなた自身の言葉で、それも出来るだけひょうきんな自ら笑い出してしまうくらいの言葉で手放してしまうと良いかもしれません。

今までと違うあなたの不安や恐れに対するひょうきんで可愛らしい対応と言うものにネガティブサイドの思考は右往左往し、あなたを支配出来なくなる日がやってくるに違いありません。

リラックスのあるところにいつまで恐れは居座る事は出来ないのです。

雨が降れば濡れる事を知っている私達でもあります。

傘を忘れ濡れる事に腹を立てる時、その日一日が怒りに満ちたものにもなりかねません。

でも、雨が降れば時には濡れる事を知っていれば、雨上がりの若草からむせ返る様な新緑の匂いがする事も知っている私達でもあります。

不安や恐れ…その出来事に意味を与えリアルにしているのは他ならぬ自分でしかないと言うのが実相でもあります。

それは繰り返し繰り返し来ては去るかもしれませんが、リラックスし、恐れのないあなたには根を下ろす事は出来ないのです。

あなたの主人はあなたでしかありません。

合掌

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