【①のつづき】
日本と言う国はストイックな民族性もあってか、『大きい声を出す人間』を嫌う傾向もあるのかも知れません。
亀田史郎氏の暴言は、TVでのやくみつる氏との対談などでも問題視されていました。
その他にも観客の野次に応戦してみたり、リングサイドで好戦的な野次を飛ばすなど、とかくマスコミでも取り沙汰される事が多かった様です。
私は正直なところ…亀田史郎氏に同じDNAを感じ、親しみを持っているのかも知れません…。
やくみつる氏との対談で見られる様な彼がとる好戦的な態度というものも、公共の電波に乗る事を考えた時に…
ボクサー亀田興毅の名前から発生するケースメリットをマネジメントし、計算高い『商売人』であれば、亀田興毅君の宣伝媒体などに及ぶ影響を考えて…
やくみつる氏の挑発とも思える言動に乗る事もなく、煙にまいた話しで終始したのかも知れません。
確かに、亀田史郎氏の対マスコミやセコンドでの対応などに問題が無かったとは言えませんが…
ただこれさえも『喧嘩ボクシング』にこだわる亀田家のそのスタイルやパフォーマンスを損なわまいとする史郎氏一流の愚直さの現れとも言えるのではないでしょうか?
人間というものは、自分の選び取る価値観があります…その影響は思考、感情、行動パターン全てに及ぶのかも知れません。
私は、亀田史郎氏の胸の内は知る術もありませんが…
ただ…私から見て史郎氏の世界観、サンクチュアリ(聖域)とでも言うべきものは、家族との絆に見受けられたものです。
そしてボクシングの対戦相手は勿論の事、世間や周囲の人々にさえ、あえて隔絶する様なスタンスをとる事によって、家族が一丸となり『世界チャンプ』になる事にその持てる全エネルギーを意図的に向けていたのだと思うのです。
ひとつの方向にむけられた情熱やパッションというエネルギーは、 時に強力な現実の創造をもたらします。
そしてそこに過剰な競争意識がある場合、その現実化に拍車をかける場合もあります。
純粋に一途な思いやそこに費やしてきた努力というものも見事に開花する時もあれば…
その思いを努力を陰で支えていた『負の想念』…それは他者を排しても勝てば良しという思い…
信ずるは家族だけというストイックな信念や、周囲や対戦相手に対しての必要以上の好戦的スタイルをとる事によって家族を『結束』させたその意図と言うもの…
自分のスタイルにこだわるあまり、周囲の忠告やアドバイスといった他者の情報を拒絶する姿勢など…
こうした徒花とも言うべきものも見事に実るものです。
私自身を振り返って考えてみても…
過去の私というのは『一発屋』とも言う様なところがあり、『自分のハマリどころ』を捉えた時は運気の流れに乗り万事好調なのですが…
一度低迷しだすと…自分のプライドが邪魔をし、周囲との調和を失い、他人にへつらう様な葛藤を感じ、柔軟性を欠いた考えが自分を支配し、そのフリーズした状況からなかなか抜け出せず停滞してしまうパターンがあった様な気がします。
亀田史郎氏には失礼かも知れませんが…彼にも同じ匂いを嗅ぎとる事が出来るのです。
ボクシング界から永久追放され、マスコミや世論の非難にさらされ…
今この時期、亀田史郎氏にとって、大きな試練である事は間違いないと思います。
しかしながら…世界チャンピオンになる選手を手塩にかけて育て、ボクシングの世界で三人もその頂点を標榜できる選手を育成した彼でもあります。
今はエネルギーは粗いのかも知れません、不遇に置かれた今…なおさらに周りを呪い他者に対して厳しさに過ぎる考えが彼を支配しているのやも知れませんが…
でも…亀田史郎氏が自分の子供達に鬼コーチを演じても、時折見せる愛情と尊敬の目線…
そうしたものを非行に走る子供や、次世代の若者達に向ける事が出来たならば、そんじょそこいらの学校の先生などフッ飛んでしまうほどの『パワフルな教師』になれると感じているのは私だけでしょうか?
話しは変わりますが…正月の番組で、大阪の橋下府知事と亀田興毅選手が共にTVに出演していたのですが…
その中で橋下知事が大阪では先生達が対応しかねる程の荒廃した現状の学校が幾つもあって、そうした教育の現場に『やれば出来るんだ!』と、亀田興毅君がチャンピオンになった道のりや、またそれを支えた亀田史郎氏や兄弟達の生き様を熱く語る機会を是非作りたいと云う様な意味の事を言っていました。
私はこれを見た時に内心「その通りだ!」と思ったものです。
今後において…亀田史郎氏の情熱を求めるテーマは案外こうした場所にもあるのではないかとも思ってみたりします。
史郎氏の人生は彼のものであり、見ず知らずの私が、こうだと断言出来る様なものではありませんが…
しかしながら、同じ昭和40年生まれの亀田史郎氏に、ツッパリ世代を生きてきた同級生としてエールを送りたい気持ちもあるのも事実です。
亀田興毅君や兄弟達は史郎氏の鍛え方が良かった事もあり、どんなトレーナーに付こうとも充分に自らの能力を発揮出来る地金が出来ている様に思います。
子供達のセコンドにつく希望を絶たれた今、一抹の寂しさはあると思いますが、子供達のそれからは卒業して、精神的バックボーンとして心の支えになってあげたらそれで充分ではないでしょうか。
人の人生とは、ある面皮肉でもあります。
私がヤクザをしていた当時は、私についてきた人間に対し、私は本当に責めるに厳しい人間だった様な気がします。
他の組織の人間に負けないで欲しい…
警察の取り調べに屈せぬ根性を持って欲しい…
ヤクザの生き方から発生する信念や考え方を私についてきた人達にぶつけ、鋳型にハメ様とばかりしていたのでした。
そこへ持ってきて、若手の組長と言う事の気負いもあり『ナメられてたまるか』とピリピリした雰囲気を常に発散させていた様な気がします。
でも、人それぞれなものがある事はその後気付かされた事でもあります。
優しい心根を持つ人間に、先鋭化された考えを押しつけてもどだい無理があるのです。
そんな私について行けないと思ったのか?
私の元を夜逃げ同様に去って行った人間達もいます。
おおらかさや優しさ、人の美点を認め伸ば
す事…人を束ね率いて行く上で必要な資質は、極道から堅気になったその後で私に訪れたのです。
何かにしがみつくのをやめ手放す時こそ、本当に自分にとって必要なものが(内面の豊かさ)流れ込んでくる様になるのやも知れません。
亀田史郎氏にとっての本当の意味でのリベンジはこれからなのだと思います。
熱い鉄に触れてやけどをしなければ熱さをわからないのも人間なのです。
ひとに脚の脛を思いっきり蹴飛ばされるまで痛みがわからないのも人間なのです。
こうした経験もその後の人生で必要で完璧な経験だったと必ず思える日がくると思います。
またこうした経験を恥じる必要はなんらありません…。
自分の経験がそこにある時『人の痛み』を知る事が出来ます。
亀田史郎氏も、まだ当面はマスコミから指弾される日が続くかも知れませんが…
史郎氏が再度違う形でブレイクする事を心から願うばかりです。
合掌